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406:雪月華 2004/01/12(月) 04:16 草原の小さな恋 緑色に波打つ午後の草原を、甘ささえ含んだ梅雨明けの風が吹き抜けてゆく。 7月初頭。午後三時過ぎ。幽州校区と并州校区の境目付近の草原は、輝くような優しい日差しに包まれていた。 こんもりと盛り上がった丘の上に一本だけ立っている、常緑樹の生い茂った枝葉が作り出す陰に、長ラン・サラシ・高下駄・目深にかぶった破れ学帽に身を包んだ、身長2メートルオーバー・超筋肉質の大男が寝転んでいた。荒削りで精悍そうな顔つきであり、いかにも時代遅れの番長といった貫禄を漂わせている。木の傍には、かなり使い込まれた750tの単車が駐められていた。 丘から二百メートルほど離れた場所には幾つかの水田が区切られており、并州、幽州の園芸部員数人が、合同で水質調査や雑草の駆除などを行っている。 草を踏む音が近づいてきて、それが大男の頭上付近で止まった。大男がめんどくさそうに重いまぶたを開けると、そこには見知った顔が、大男の顔をのぞきこんでいた。 「ヒマヒマ星人、みーっけ」 「ち…オメーか、丁原」 迷惑が五割、安堵が五割といった表情と声で、大男…烏丸高校総番である丘力居は舌打ちした。 「隣、いい?」 「勝手にしろ」 丘力居の返事も半ばというところで、もう丁原は腰を下ろしている。丘力居も、めんどくさそうに上半身を起こし、そのまましばらく、二人は無言で水田のほうを眺めていた。 「一ヶ月ぶり…か?」 「そだね。黄巾事件の前に会ったきりだから」 水田のほうを見やったまま、丘力居が短く問い、丁原が応じた。 烏丸高の丘力居と蒼天学園の丁原は、もう一年ちかくの付き合いになる。少なくとも、恋人ではないと丘力居は言う。一年前、好奇心から、放課後ひとりで蒼天学園に侵入し、昼寝を楽しんでいた丘力居を発見したのが、巡察中の丁原の一隊であった。 当然のことながら、丁原は退去を命令する。性格から言って、丘力居が応じるはずが無い。命令が反論を招き、それが口論に発展し、実力行使が用いられるまでに30秒とかからなかった。 激闘は10分近く続き、それ以来、お互いを認め合い『強敵』と書いて『とも』と読む間柄となったのである。 不意に丁原が、丘力居の顔を覗き込んだ。 「随分とシケた顔してるね?悩みでもあるの?」 「オメーにゃ関係ねえよ」 そっけなく丘力居が応じたが、丁原はなおも食い下がる。 「やっぱりあるんだ。なに?なに?お姉さんに話してみ?」 「…ち、まあいいか。猫や犬に相談すんのは、もう沢山だからな。少なくともオメーは人間だし」 「なんか、シャクに触る言い方ね」 「気のせいだろ」 相変わらず水田のほうに目をやりながら、丘力居が悩みとやらを打ち明け始めた。 「先週、そこの水田に農業指導に来てる人に一目惚れしちまってな…寝ても覚めても、あの人の顔が目に焼きついて離れねーんだ」 「…へえ。朴念仁のアンタが恋をねえ。こりゃあ聖母マリアさまの処女懐妊以来の大事件だよ、で、その人って誰?」 「名前までは知らん。その日以来、ほとんど毎日ここで張ってるんだけどな…」 「写真とかある?」 これだ、といって、丘力居は胸ポケットから安物の定期入れを取り出した。それに収められた写真の中では、柔らかく後ろで三つ編みにされた豊かな髪を揺らしながら、クリップボードを持った長身の少女が、このあたりの風景と似たような草原をバックに微笑んでいる。 「…この写真、随分とアップで撮ったみたいだけど、どうやって撮ったの?」 「…撮ったわけじゃねえ。なんせ俺は、使い捨てカメラすら上手く扱えねえからな。ここの生徒から買ったんだよ」 「幾らで?誰から?」 「…二万だ。ヨレヨレの制服で、耿雍って名乗ってたな。3日くらい前、いきなり話し掛けてきて、いい写真があるから買わないかって…」 「…アンタ馬鹿でしょ」 「そんだけの価値はあるさ。いいか、俺はオメーみてえな、口より早く手が動くような暴力女には、憧れって奴を感じねーんだ…!」 言い終わった瞬間、その巨体に似合わぬ敏捷さで、丘力居は飛びのいていた。コンマ一秒前まで丘力居の鼻のあった部分を、丁原の裏拳がマッハで通り過ぎている。 「いい度胸してるわねえ?かかってきなよ、純情君?」 「いわれるまでもねえっ!」 言い終えるなり、丘力居は丁原に掴みかかっていった。 …3秒後。 「あだだだだだだ!放せ!折れる、折れるって!」 「まいった?」 「ま、まいった!俺が悪かった!」 実にあっさりと丁原にサブミッションをかけられ、右の肘と肩、手首を同時に極められて、丘力居は情けない悲鳴をあげた。 一年近くの付き合いのうちに、幾度もド突きあいを演じているが、初手合わせ依頼、未だに丘力居は丁原に勝てないでいる。膂力や体格でははるかに勝っているものの、戦闘技術では遠く及んでいないのである。 「これでアタイの21連勝っと。いつになったら、アンタはアタイに勝てるようになるのかしらね?」 「…ってて。いいか、俺は、オメーがいちおう女だから手加減してやってんだからな。それを忘れんなよ」 「それがホントならいいんだけどねぇ?」 右腕をさすりつつ、丘力居は憎まれ口を叩く丁原の傍に座りなおした。定期入れも返してもらい、そのまましばらく、二人は初夏の心地よい風に身を任せていた。 「…セッティング、したげようか?」 「あん?」 唐突に、丁原が思いがけない事を言った。 「実はさ、その人のこと、満更知らない訳でもないのよ。で、アンタさえ良ければ…ね」 そういう丁原は、どこと無く淋しそうな気配を漂わせていた。当然、そんなことに気付かず、考え込んでいた丘力居が、ようやく口を開いた。 「…そこまでしてもらう必要はねーよ」 「アタイが信用できないっての?」 「そうじゃねえ。あの人と俺とに間に縁ってものがありゃ、また会えるさ。そしてそん時、俺は…」 「俺は?」 「…真正面から」 「真正面から?」 一旦言葉を切った丘力居が、うつむき、両手を握り締め、やっとのことで声を絞り出した。 「交際を申し込む」 沈黙した二人の間を、夏の風が吹き抜けていった。しばらくして、丁原があきれたように、溜息をついた。 「でかいガタイに、ド凶悪な面構えの割には、やろうとしていることは、妙にプラトニックね。どうせなら掻っ攫ってきて、無理矢理キスとかしちゃえばいいのに」 「バ、バ、バ、バカ野郎!俺ぁ仁と愛に生きる正義の番長だぞ!あの人に対して、そんな下衆で破廉恥なマネができるわけねえだろうが!」 「冗談よ。なにをバカみたいに慌ててんのさ」 二人の眼下では、一連の仕事を終えた園芸部員達が、撤収を始めていた。それを見た丘力居が、ひとつ伸びをすると腰を上げた。 「さて、もう帰るか。どうやらあの人は今日も来ねえみてーだからな。じゃ、またな、丁原」 「あ、待って」 慌てて立ち上がった丁原が、丘力居を手招きした。2mを超える巨体の丘力居と、150cmあるかないかの小柄な丁原が並ぶと、まるで熊と猫が並んでいるかのように見える。 「ちょっと耳貸して」 「なんだよ」 両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、丘力居が丁原の傍に立った瞬間、丁原の右拳が、完全に油断していた丘力居の鳩尾にめり込んでいた。 「ぐお…!?」 「なんで…なんで気付いてくれないのさ!この…」 強烈なボディブローを食らって、丘力居は体を「く」の字に曲げ、顎がちょうどいい位置まで下がった。丁原が右拳を、再び後ろに引いた。その両目に涙がたまっているのが、暗くなりかけた丘力居の視界に入った。 「鈍感やろ──────っ!」 地面を擦るように繰り出された、力石式アッパーカットが、爽快な音を立てて、丘力居の顎に炸裂した。 …… … 午後6時。既に草原は茜色に染まっている。心なしか、吹き渡る風も冷たさをはらみ始めているようだった。 丘の麓で大の字になってのびていた丘力居が、ようやく目を醒ました。あたりに人影は既に無く、強烈な打撃を受けた顎と鳩尾がずきずき痛むだけであった。 「ってぇ…あの野郎…しっかりヒネリまで加えやがって…」 顎をさすりながら上半身を起こした時、かさり、と音を立てて、胸の上に置かれていた封筒と、重石として乗せられていた小石が滑り落ちた。どこにでも売っている無地の封筒で、中に紙のようなものが入っているようだった。少々躊躇った後、丘力居は封筒から手紙を取り出した。鞄の上で書いたらしく、ミミズが這ったように字が乱れている。 『丘力きょへ たん刀ちょく入にいえば、アタイはあしたから、らくようとうへ、てん校します (えいてんだって!ワーイ\(^O^)/。でも、えいてんってどういういみ?(゜_。)? ) 今年ど中には、もう会えないと思いますが、お元気で 丁原』 読み終わった丘力居の顔に、ほろ苦い微笑が浮かんだ。 「…ち、あの野郎。最後ってんならもうちょっと素直になりゃあいいものを…、ま、ああやって意地を張り合うのが、あいつの持ち味だったんだけどな……ん?続きがあるな」 『ついしん アンタの思い人は劉虞さんといって、ゆう州校区総代として、けい棟に通っています。 おとなしいおじょうさまだから、いじめちゃだめだよ。せいぜいお幸せにね(^o^)/~~~~~』 「劉虞さん…か。そこはかとなく、まろやかさを感じる名前だぜ…サンキュな、丁原」 丘力居は手紙を封筒に戻すと、上着の内ポケットに大事に仕舞いこんだ。そして丁原がいるであろう、南のほうに向きなおり、学帽のつばを指で弾いた。 「…劉虞さんとは、意地でも幸せになってやるさ。じゃあ、あばよ丁原。オメーは俺の最高の…ダチ公だったぜ」 そう呟くと、丘力居は丘の上に停めてある単車に向かって歩き出した。 ひとつの恋が、おたがいの綺麗な思い出となって終わり、もうひとつの恋がこの草原で始まろうとしていた。 茜色に波打つ夕暮れの草原を、甘ささえ含んだ梅雨明けの風が吹き抜けていった。 −完− …その夜、中央女子寮705号室の、皇甫嵩&朱儁の部屋では、酒盛りが始まっていた… 皇「それでは!建陽の洛陽棟着任を祝って…乾杯!」 朱「かんぱーい!」 盧「乾杯」 丁「……かんぱい…クスン」 皇「そうそう、建陽。失恋おめでとう!いや、めでたい!」 朱「なんだかよくわかんないけど、おめでとう」 盧「おめでとう、建ちゃん」 丁「うわーん!しーちゃんまでひどいー!みんな嫌いだーっ!!」 翌日、三日酔いの丁原は、洛陽棟への転棟初日に3時間の遅刻をしてしまったらしい。
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