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★しょーとれんじすと〜り〜スレッド★
455:岡本 2004/04/20(火) 18:38 ■ 邂逅 ■(4) ところ変わって、冀州校区常山地区に存在する華夏研究学園都市唯一の神社である常山神社では近日に迫った“曲水の宴”の準備で大忙しだった。 〜 曲水の宴 〜 ― 観梅の時期、三月の第一日曜日[古代では三月上巳(弥生はじめの巳の日)]に行われる雅やかな歌会。梅園の中を流れる曲がりくねった小川に小船に乗せた酒盃を流し、それが目の前を流れる前に漢詩(奈良時代)もしくは和歌(平安時代)を読む宮廷人の遊びである。作品が出来たらその杯の酒を頂き注いで再び流すというものと、作品が出来ない場合に罰として酒を飲ませるという2通りがあるようである。 東晋の右将軍 王羲之が353年3月3日に主催した流觴曲水(りゅうしょうきょくすい)が高雅な現在の形の曲水の宴の起源といわれ、日本では485年に始められた。現在も日本の各地で行われ、太宰府天満宮では、958年に太宰大弐 小野好古が菅原道真の往時を偲んで始めたと伝えられる。 本来、中国においては春の禊の行事であり、秦の時代に清らかな流れに杯を流して禊払いの儀式として行われたのが始まりと言われ、平安時代には杯でなく穢れ払いの人形を流していたのが貴族の姫の雛かざりとなって桃の節句に発展する。― 本来が節句の禊の行事のため、多数の参加希望者の中から抽選で選ばれた衣冠束帯(男役)や十二単(女役)の先輩方の歌会の前には白拍子の舞そして巫女の神楽舞がある。 常山神社の一人娘である趙雲子龍、常山流薙刀道の同輩にして巫女見習いの陳到叔至、そしてバイトで雇われた彼女らの友人にしてライバルの田豫国譲の3人は、この日、神楽舞の練習をしていた。長髪の趙雲と陳到、ショートカットの田豫はいずれもそろいの巫女姿である。 午前中は3人とも物珍しさも手伝って見物にきた生徒たちの撮影に気軽に応じていた。ところが暖冬の影響で桃の開花が早まったため、幽州校区のピーチガーデンでの桃の花見のついでに訪れる生徒がかなり多かったのである。 そのため舞の練習と撮影が度重なると流石に疲れ、午後は人の来ないところで一息入れようと、お茶とお茶菓子を用意して普段は人の来ない神社の裏手に向かった。 ところが薄暗く人けがないはずの裏手からは、やぁ、とぅ、と掛け声が聞こえてきた。 裏手に回ると先客がいた。それも抜き身の刀を持って。といっても危険人物というわけではない。見たことのない長身の生徒が模造刀と思しき刀で剣術の稽古をしていたのである。 関羽も最初は近場の体育館に行こうとしたのであるが、どの体育館も既に部やサークルが練習に使っており、個人が居合刀を遣うスペースを借りられそうになかった。地図を頼りに何箇所か歩き回った挙句、人けのない常山神社の裏手を借りて型を遣うことにしたのである。軒下に風呂敷包みをおき、コートを脱いだシャツ姿であるが既に長時間稽古していたようで寒そうではない。 巫女服姿の三人に気づいて、神社の関係者と思ったのか(趙雲がいる以上間違いではない)、練習を中断し、会釈して“お邪魔しています、ご迷惑をお掛けしたなら引き払います”と聞いてきた。場を弁えた態度に、趙雲が、ご自由にお構いなく、と返事を返すと謝意を示して再び稽古を再開した。三人もタオルで汗をぬぐい、湯のみ片手に軒下に座わり、休憩方々何とはなしに稽古を眺めていた。 大きく動く度にそれに合わせて豊かな黒髪がうねるように波うつ様は印象的であった。が、それ以上に3人の関心を引いたのは、この人物の滑らかな挙措と3人の耳に微かに聞こえた風切り音であった。 趙雲、陳到、田豫の3名とも中学生としては傑出した格闘技能を持っているため、挙動の一つひとつを見ただけで、この人物の力量のおおよそは見て取れる。滑らかな無駄のない動きで俄かには真似できそうにない。また、遠目には撫でる様に大きく軽く振っているように見えたのだが、風切り音はこれまで耳にしたことがないくらい短く鋭いものであった。 「…なあ、子竜。あの人の刀って普通より短いのか?」 疑問に思って、田豫が尋ねる。薙刀をたしなむ二人と違い、田豫は格闘畑である。 「どうしてそう思うの?」 「いや、竹刀に比べたら短いしさ。それだったら早く振れるのも分かる気はするけど…。」 だが、力任せに振ったからといって速く振れるわけではない。 この人物の動きは根本的に違う。 田豫の疑問にクスッと陳到が笑って答える。 「あの人の遣っている刀はかなり長いですよ。背が高いからでしょうね。」 確かに目の前の人物は3人に比べて頭一つ以上高い。 「…デカいのタッパだけじゃないけどな…。」 田豫の視線は胸の辺りにいっていた。 「…それは言わないほうが無難でしょう…。」 趙雲、陳到ともに、自分の胸部を無言で見た後に付け加えた。 竹刀は大体全長が3尺6寸から9寸ある(110 cm 〜120 cm)。真剣に直したならば刃渡り3尺(90 cm)クラスの大業物になる。現在、居合いによく遣われるのは刃渡り2尺4寸5分(74cm)のもの。江戸時代の常寸(普通の長さ:治安にも関わるので触れで規定が出されることも)は時期にもよるが2尺2寸から4寸位である(67 cm ~ 72cm)。 「そんなものだったのか?もっと長いものだと思ってたよ。」 「私の見たところ、2尺6寸(80 cm弱)かそこらだと思いますけど。」 「80 cmよりはちょっと長いんじゃないか?」 「2尺7寸(82 cm)ね。」 こういった得物の寸法の見極めは間合いの見切りの深さにも通じる。その技量はこの3人では陳到<田豫<趙雲であった。
456:岡本 2004/04/20(火) 18:39 ■ 邂逅 ■(5) 外野の雑音を気にした風もなく、件の人物は稽古を続けている。ビュッ、ビュッと短い風切り音が聞こえるが、力任せに振っているようには見えない。つまり得物の重心を把握した上で無理なく全身運動で振るっているため、動きの途切れがなく“きれ”が非常によい。よほどこの得物を使いこなしているのであろう。 一つ一つの型の終わりでは血振りしての納刀が入るのだが、その血振りと納刀がまた一風変わっていた。通常の血振りと納刀は右手のみで握った刀を頭上を通るように斜めに振り、そのまま鞘の鯉口に当てた左手の親指と人差し指の又に刀の棟を載せて切っ先を誘導して納める。この人物の場合、諸手の残心の構えから右手を離し鍔のすぐ上の棟のところを握り拳にした右手で音を立てて叩くのである。そして逆手で握りなおした右手のみで柄を握り、そのまま下から刀身を半回転させて左の二の腕と少し抜いた鞘の鯉口に当てた左手の親指と人差し指の又に載せ、切っ先を誘導して納めるという見慣れない血振りと納刀の仕方をするのである。実際にやってみようと思うと少々ややこしい動きであるが、これもまたよほど遣り込んでいるらしく滑らかな動きである。 「あれは多分、香取神道流です。」 納刀を見て首をかしげていた陳到の疑問に答えるかのように趙雲が口を開いた。 「あの棟を右手でたたく血振りと持ち替えて刀身を回転させる納刀は香取神道流独特のものと聞いたことがあります。」 香取神道流の特徴は常に戦国時代さながらの実戦を念頭に置き、相手の攻撃に対し一瞬早い攻撃により必ず倒すという、全ての技に一撃必殺の工夫がなされていることにある。稽古では木刀を使い防具はつけず常に怪我、最悪死と隣合わせる厳しいものであるが、その一方で“試合は死に合い”、“兵法は平法なり”として戦うこと厳しく戒めている。事実、鹿島の本拠では開祖・飯篠長威斎以来600年もの間、他流試合が行われたことない。すなわち兵法は平和のための法であって、戦わずして勝利を得ることが最上であると教えている。門流に“無手勝流”の塚原卜伝がいることも無縁ではない。一撃必殺の技術の習得と平法の順守という一見矛盾したところにこの流派が600年もの間失われることなく昔の型を継承した答えがあるのかもしれない。 「あれで血振りができるのでしょうか?時代劇や先輩方の居合いですと片手でブンって振るものですし、握りは変えずに素早く納刀する人もいますが…。」 陳到の疑問も当然である。 「血振りのことを言うのなら、どのやり方も本当に血はぬぐい取れません。懐紙でぬぐわねば駄目だったそうです。居合いでの血振りの動作は敵を倒して所作の終了を示す合図に過ぎませんから。それに居合いで納刀するとき、古流では相手を既に倒しているわけですから早く納刀する必要はどこにもありません。却って指を切ったり鞘内にぶつけて刃を痛めたりことがあったそうです。抜くときは文字通り抜く手も見せないくらい早く行いますが。」 事実、抜き打ちを見せたが、居合腰で右手の甲を柄に当てそれが翻ったと思ったときにはビュッと短い風きり音とともに白い光が水平に走っていた。 一度見せた型などは、片膝立てて座った状態から瞬時に1mも飛び上がって抜き打ちを放ち着地時に間髪をいれず拝み打ちを切り下ろすとんでもないものであった(抜附の剣)。 居合、立合の抜刀術の後は、刀を改めたのち、太刀術の稽古を始めた。相手(打手)が居ることを想定して型を遣っていることは分かるのだが、1つ1つの型が他流派の数個分ほどに長い。 「しっかし、古流剣術っていったらいろいろ“奥義”とかがあったりする訳だろ。今日はたまたまとはいえ人前で見せていいものなんかね?」 「…普段の稽古では見学に来た他流の武芸者に技を盗まれないようにいろいろ工夫していると聞きます。たとえば、今遣っている太刀術でも一つの型が非常に長いのは、実戦なら打ち合わせず相手の動きに応じて変化して仕留めるところをわざと相手の太刀を受けて次の動きにつなげているからだと聞きました。」 それを表の型、相手の動きに応じて変化する技を裏の型という。それを抜きにしても、型が長いのは鎧武者による剣術(介者剣術)を想定して、長時間の行動に耐えうるだけの体力をつけるためという理由もある。また、鎧をつけない素肌剣術を想定した系統の技も存在する。 3人の持ってきた急須の茶が冷めるころまで件の女性は型を遣ったのち、稽古をやめて近くにあった笹の茂みの方へ歩いていった。 常山神社裏手にはここそこに七夕祭りで学園生が切りに来る笹が生い茂っている。その1つの前に居合刀を構えてしばらく佇んでいたかと思うと、3度大きく鋭く太刀を振るった。 ビュッ ビュッ ビュッっと連続した音が届いてくる。 しばらく残心したのち、よしとばかりに頷くや、血振りをくれて納刀し腰から居合刀を鞘ごと抜いた。これでおしまいということだろう。首筋の汗をぬぐってコートを羽織り、風呂敷包みの上においていた刀袋に居合刀を納めて本殿に一礼した後、荷物をまとめてスタスタと常山神社の大鳥居の方へ歩み去っていった。その際、律儀に“お邪魔しました”と三人に挨拶をするのも忘れていなかった。 「最後、何やってたんだろうあの人?」 「さぁ?」 「…ひょっとしてこれじゃ…。」 田豫の指差した先には小指ほどの大きさの笹の葉があった。何の変哲もない笹の葉である。他の葉と違い、同じ長さで縦に4等分されていたことを除けば。 3人は思わず顔を見合わせた。 「…出来る?」 「…アタシの得物は拳だよ…。」 「…無理ね…。」 3名とも武道や格闘と戦闘系の分野では中等部で期待の人材と目され自身でもそれなりの自負はあったのであるが、こと蒼天学園においてはいろいろな分野でいそうもない人物が集うという事実を改めて突きつけられた気がした。 「…練習に戻ろっか…。」 「…そうね、私も…。」 「…宮司さん、そろそろ探しにくるだろうしな…。」 しばらく無言でいた三人は誰からともなく練習再開を口にした。あたかも、衝撃から気をそらそうとするように。 ***
457:岡本 2004/04/20(火) 18:39 ■ 邂逅 ■(6) 関羽は、境内で香取神道流の型を一通り遣って一汗かいた後、山門から石段を下るときに目に入った桃園によることにした。 緑の木々の間に淡い桃と白の花が慎ましくも美しく咲き乱れ、遠目にも芳しく薫るようである。18年後に陶淵明が随説を書く、荊州校区は武陵地区の秘境・桃源郷にも見劣りはしないであろう。 桃はバラ科サクラ属モモ亜属、つまり桜の仲間で花を楽しむ花桃と果実も取れる実桃がある。3月の花であり、古来東洋では明るく美しい女性の象徴である。 “ほとんどの桃の花の開花時期は3月下旬から4月上旬。暖冬とはいえ今咲いているということは桃色は矢口、白色は寒白ですね…。” 花桃の主な種類としては早生種の矢口(桃)、寒白(白)、中生種の源平(一つの木に桃と白の花が咲く)がある。雛祭りで用意されるのは矢口であるが、これは枝ごと切ったものを温室においてより早く開花させたものである。 一般の桃の花の開花時期は桜とほぼ同じくらい、もしくは少し遅いのである。3月3日は“桃の節句”というが、本来は陰暦の三月最初の巳の日の行事であり、これは現在の3月末から4月中旬にあたる。ここらが通常桃の花の咲く季節である。今日は、暖冬の影響で、花開いたものと思われた。桃園に近づいていくにつれて周りの景色が華やかになっていくが、人の数も増していた。ごった返すというほどではないが、かなりの学園生が花見に訪れているようである。 人の流れに逆らわないように、桃園の奥へ向かう路を両側に立ち並ぶ桃の花を楽しみながら抜けていくと、陸上競技場ほどに大きく開けた広場にたどり着いた。広場を囲むように立ち並んだ桃の木々が遠めに見た以上に華やかに咲き乱れ、蒼天学園生が開いている花見客相手の出店も数多く立ち並んで食欲を誘うにおいを振りまいていた。客寄せの声が活気よくここそこであがっている。 花より団子というわけでないが、かなり運動したこともあり、昼食抜きは流石に応える。 飲食物を扱っている出店の一つに立ち寄ろうとして、ふと足を止めた。 “今日は手持ちが不如意でしたね…。” 進学手続きで授業料を納入したこともあり、帰りの運賃を払ってしまえば手元にはほとんど残らなかったのである。せいぜい、甘酒を1杯買える程度で食事するほどはない。編入試験が好成績だったおかげで、明日からは中等部の学生相手の家庭教師のバイトの口があり日々の食費は購えるのであるが…。 夕飯まで我慢することにしようとしたところ、食欲をそそる匂いに釣られて、ぐうぅぅぅぅ、と腹の虫が鳴るのが分かった。思わず顔を赤らめる。 “少々、見っとも無かったですね。” 武士は食わねど高楊枝という言葉もあるが、腹が減っては戦はできないのも事実である。少しは腹を満たしてからゆっくり桃の花を楽しみたい。さて、どうするかと思案しつつ出店を縫って歩いているうちに、解決策と思しきものが目に入った。 “ひとつやってみましょうか…。” 関羽は広場の一角の人だかりの方へと歩みを向けた。 ギャラリーの注目の中、がっしりとして体力に自信のありそうな女生徒が手に唾してハンマーを振りかぶる。掛け声と共にハンマーを勢いよく台に振り下ろした。 次の瞬間、激突音とともに錘が高く設えられたカウントタワーを跳ね上がっていったが、半分に到達したところで失速し始め、頂上まではまだだいぶ残したところで止まってしまった。あ〜あ、というため息が上がる。 「ざーんねん、惜しかったねぇ、75点。熊のぬいぐるみはあげられないわよ。」 制服を着ていた赤毛の生徒が、がっくりとうなだれた客からハンマーを受け取りつつ、得点の景品を渡した。 この日、簡雍憲和は広場の一角に設えたハンマーストライカーの担当をしていた。劉備玄徳とその義妹の張飛翼徳、そして劉備の幼馴染である簡雍憲和の3人で立ち上げた非公認サークル劉備新聞部の運営資金稼ぎの一環であった。 〜ハンマーストライカー〜 ― 昔ながらの遊園地なら大体あるレクリエーションのひとつ。ハンマーで台をたたくと10mの高さのカウントタワーに錘が上昇する。上昇した高さに応じて点数が決められており、点数に応じた景品を渡す。返しばねの着いた板を押しのけて上昇していくので頂上に着かなければ最後に通りきったところで止まる。頂上にゴングが設置してあって最高得点に到達した場合には最後のばねとゴングの間で錘が跳ねてベルが連続してなるようになっている。最高景品は 熊のぬいぐるみ というのが定番。 使用するハンマーは大体、子供・女性用のものと男性用の2つが用意されており、男性用のものは2倍近くの重量がある。運動エネルギーを位置エネルギーに変換するゲームなので、ハンマーの重量よりも叩き付けるスピードのほうが効いてくる。―
458:岡本 2004/04/20(火) 18:41 ■ 邂逅 ■(7) 客の半数近くが中等部であるが、たまに高等部、時には大学部とも思える客も来た。そういった如何にも記録を出してくれそうな客にはハンディとして男性用のハンマーを使ってもらっていた。 このハンマーストライカーの最高得点は100点であるが、簡雍の目利きも効いていて、女性用ハンマーを使った最高得点は80点、男性用のハンマーを使った最高得点は今の75点というところであった。 景品が取れないと客から文句が出ないように、1時間に一回、張飛がサクラで男性用ハンマーを振り、最高得点を出すというデモンストレーションをしている。とはいってもこういった景品つきの出し物は、普通ならどうやってもトップ賞は取れないように仕組んであるものである。男性用ハンマーを使った場合、張飛が本気で叩かないと最高得点がだせないように錘と返しばねを調整してあった。ちなみに、張飛は中学3年生にも関わらず重量挙げのトータルで200 Kgをマークしている。なお、女子53 Kg級の重量挙げ世界記録はスナッチ(腕の力だけで一気に足元から頭上まで上げる)97.5 Kg、ジャーク(胸から頭上へ上げる)121.5 Kg、トータル217.5 Kgである。 この日の特賞の景品は、恒例の熊のぬいぐるみと大皿に盛られた見事な東坡肉“トンポーロー”だった。 〜東坡肉“トンポーロー”〜 ― 北宋の詩人、蘇東坡(1036−1101)が政変で杭州に左遷されたとき、不作だったのを西湖の土木工事で領民を飢えから救った。そのお礼に領民が豚肉と紹興酒を送ったが蘇東坡は受け取らず、醤油と紹興酒で角切りにした豚肉を煮込んで振舞ったのが始まりと言われる。 もっとも、本場は黄州という説もある。実際、蘇東坡は杭州にも黄州にも赴任しているし、以下のように“食猪肉”という題の調理法を記した詩も黄州に残している。 食猪肉 豚肉を食べるなら 黄州好猪肉 黄州の豚肉は上等で 価銭等糞土 値段は非常に安いが 富者不肯喫 金持ちは食べたがらないし 貧者不解煮 貧乏人は調理法をしらない 慢著火 火はゆっくりつけ 少著水 水は少なめにする 火候足時他自美 充分煮込めば自然にうまくなる 毎日起来打一碗 毎日起きたら一皿にだけつくる 飽得自家君莫管 自分の腹が満たせればいい 他人の知ったことではない 『漢詩紀行』(二)P.111(NHK取材グループ編、NHK出版刊) 日本の豚の角煮のルーツとも言われるが、中国の東坡肉は似て全く非なるものである。皮付きの豚バラ肉を土鍋に入れ、紹興酒と香辛料の入った醤油ダレで長時間煮込む。肉は、やわらかく、とろけるような口当たりに仕上がる。本場中国杭州の東坡肉は筆舌に尽くしがたいほどおいしいらしい。― この東坡肉は劉備の義妹、張飛が手間隙かけてつくったものであった。張飛は実家が肉屋であることもあり、料理などできそうもないがさつな普段の行動とは裏腹に、肉料理に限っては実は大の得意である。ハンマーストライカーのそばに、これまた劉備新聞部の運営費を稼ぐため、豚肉料理を扱った出店を開いていたが、昼の食事時が終わる前に売り切れる盛況ぶりだった。なお、左脇に劉備担当の同人誌を出していたが、こちらもそこそこの客足であった。劉備と張飛は、今は休憩方々桃園内をあちこちを冷やかして歩き回っているはずである。 さて、この東坡肉であるが、もともとはハンマーストライカーの景品にするつもりはなかった。売り物に出している物とは別に、今日のバイトが終わった後に姉貴分の劉備に花見方々食べてもらおうとよい部分を選んで特別に時間をかけてじっくり煮込んで作った自慢の一皿である。 間違って売らないように取り分けておいたのであるが、特賞の景品がいくらかわいいからといって熊のぬいぐるみだけだと引き寄せられる客層が限られるので、簡雍が食欲旺盛な体育会系も取り込もうと「どうせ、だれも取れないだろうから貸してくれない?」と借り出したものであった。ハンマーストライカーの錘設定には張飛自身が立ち会って、主な客層である幽州校区の人間ではおそらく張飛以外では最高得点が取れないようにしくんでいたこと、劉備新聞部の運営費をもっと稼ぐためという簡雍の誘い文句にのったことで、張飛も借用には同意していた。もちろん、絶対に取られないようにと念押しはしておいたが。
459:岡本 2004/04/20(火) 18:43 ■ 邂逅 ■(8) 昼時を回ったこともあり、熊のぬいぐるみ目当ての中等部生や、花見で浮かれたついでに仲間内の力試しを楽しむ連中に加えて張飛自慢の東坡肉の臭いにつられて挑んでくる体育会系の客層も多い。作戦は成功だったと気をよくしていた簡雍に、新たな客が声をかけてきた。 「…最高得点を取ったなら、この景品がいただけるのですか?」 トレンチコートを羽織った大柄な女性がトップ賞の札がつけられた棚に熊のぬいぐるみと共に置いてある東坡肉の皿を指差している。 「お目が高いねぇ〜おねーさん。こいつはちょっとやそっとじゃ味わえない、自慢の逸品さね。これをちょっとハンマー一振りしただけで差し上げちゃおうっていう、この気前のよさ。どうよ、ひとつ“力試し”してみない?」 取れないように仕組んであるからこそいくらでもいえる台詞。 相手も苦笑交じりに口上を聞いている。 「ええ、美味しそうですね。ひとつ、“運試し”してみましょうか。」 運試し、と言い換えた時点でそれなりに力に自信があり、何か細工していることに気づいてることは伺える。小脇に抱えた風呂敷包みと長い紫の紗の袋を置き、財布を取り出そうとしている間に簡雍は客をじっくり観察する。長身に広い肩。そして刀袋 “…この姐さんは武道系か。” 簡雍は、張飛という規格外の格闘マニアと知り合いであることと、劉備新聞部カメラマンとして多くの被写体を撮っていることもあって、体つきを見ただけでその人物の得意な運動を大体判断できる。剣道部やテニス部といった長物を振るのに慣れていそうな連中も挑戦していたが、ハンマーのように重いものを振るのはかなりの筋力と慣れが必要で、木刀やラケットを振るようにはいかなかった。柔道や空手やレスリングの格闘関係も、筋力は仮にあっても振り慣れていなくて駄目であった。張飛以外での最高得点である75点を出したのは巻き割りやくい打ちの経験がある山岳部の連中であった。 “…ま、男用だったら大丈夫か…。” 簡雍は何気ないそぶりで百円硬貨と交換に男性用のハンマーを渡した。客はハンマーを受け取ると、静止線から離れて、ごく近くに人がいないのを確認してハンマーを持ち上げた。 「おっとっと、走っちゃだめですぜ、おねーさん。」 ハンマーを肩に担いで走りこみ、勢いを稼ごうとする者もよくいるので、そこは注意する。 が、そんなことはしないとばかりに再び苦笑が返ってきた。 その場で2,3回ゆっくり振っただけだった。重心の位置を確かめていたのである。 改めて静止線に立って、静かにハンマーを上段に構える。真面目にすっとハンマーを構えた姿はかなり滑稽味がある。失笑が周りの客たちからあがった。 だが、簡雍の本能には警鐘がなっていた。 “なんか嫌な予感がするのよね…。” 思うに、相手の立ち姿とハンマーを軽く振った様子からより正確に筋力を推察していたのだろう。だが、劉備や張飛ほど喧嘩慣れしていなかったため、こういった類の推測の作動するのが遅れてしまった。張飛なら挙措を見ただけで能力をより正確に推し量ってくる。 既に料金は受け取っていた。受け取る前なら苦しいが言い逃れの仕様はあった。 簡雍の不安をよそに、件の客は一瞬後、短い気合と共にハンマーを振り下ろした。 豊かな長い黒髪が舞い上がる。 腹に響く鈍い衝撃音と同時に張飛の時と劣らぬスピードで錘がカウントタワーを駆け上がった。 “うそっ、やばい!” カンカンカンカン!! 簡雍の心中とは逆に、済んだ鐘の音がギャラリーの歓声を圧して桃園に鳴り響いた。 「…では、お言葉に甘えさせていただきます。」 目論見が外れて呆然としていた簡雍の耳には、ギャラリーの歓声も相手の受領の宣告も届いていなかった。われに返ったときには、既に相手は景品の熊のぬいぐるみと東坡肉の大皿を持ってその長身を花見客の中に紛れ込ませていた。 関羽は広場の喧騒から離れ、より奥まったところに一本はなれて聳え立つ桃の大木に向かっていた。桃園を通り抜けている間に目をつけていた静かな場所である。大皿の東坡肉を左手に捧げ持ち、右手に刀袋と栓をした酒瓶をぶら下げている。あの後、甘酒売り場を担当していた中等部学生に交渉して、熊のぬいぐるみと甘酒とを交換してもらったのである。 大木の下に腰を降ろして、一息つく。 杯に甘酒を注ぎ、大皿に載せられていた小刀で東坡肉を切り分ける。 「では、いただきましょうか。」 小さく切り分けた東坡肉を一口含む。空腹だったこともあるが、それ以上にあまりの美味に思わず表情がほころぶ。箸で掴むのが難しいくらいトロトロと軟らかいのに、長時間じっくり煮込んであって油が抜けている。紹興酒とタレ、香料、砂糖もよくしみており、調理した人物の熱意が感じられる逸品である。 甘酒で疲れを癒し、美味い料理に舌鼓を打ち、咲き誇る桃の花を一人静かに楽しむ。 これほどの贅沢はそうはあるまい。 桃の花を見上げて寛ぐ関羽の口から、感に堪えぬかのように言葉が漏れた。 …幸せだ… ***
460:岡本 2004/04/20(火) 18:43 ■ 邂逅 ■(9) 幸せに浸っている人間のいる一方で地獄の業火に焙られかけている人間もいた。 “…やばい、やばい。マジで翼徳にどやされるかも…。” 張飛に本気でどやされたら命に関わりかねない。 「.どーいうことだ、憲和ぁ!獲られないはずじゃなかったのかよぉ!!」 簡雍の前には、鐘の音を聞いて休憩を切り上げてすっ飛んできた張飛がいた。劉備をほっぽって全力で駆けてきたようで顔に血が上っており、中3にしてはかなり豊かな胸がオレンジ色のタンクトップの下で上下している。 「オレが姉貴のためにどれだけ手間暇かけてあれをつくったのか…」 怒りのあまり、知らないわけじゃないだろぉ、という後半のせりふは声にならなかった。 折角丹精込めて劉備のために用意した料理が反古になっただけでない。自分ほどに強いものなど学園全体ならいざ知らず、この校区程度なら絶対いないと思っていたプライドが傷ついたことも手伝って気が立っている。 「翼徳、ごめん!気持ちは分かるけど、まあ甘酒でも飲んで落ちついて。」 頭に血を上らせたまま状況を説明するのは危険だった。簡雍は持参のポットに入れてあった甘酒をコップに注いで張飛に渡す。これには落ち着かせる意味以外にも別のもくろみがあった。この甘酒は普通の甘酒ではない。中学生とはいえ呑み助の簡雍が普通の甘酒を飲むはずがない。 “翼徳は調理酒を料理の味見する低度しか飲んだことないはずだから、甘さにごまかされて多分分からないだろう。走ってきて息を切らしている今なら簡単に酔いが回って動けなくなるはず。” ゆっくり事情を話して酔いが回る時間を稼ぎ、動けなくなっている間に劉備を探してなんとかなだめてもらおう。そう考えたのだが展開は再び簡雍の甘い予想を裏切った。 確かに特製甘酒の効果はあり、コップ片手に事情を聞いている張飛の視線に変化が出てきた。だが、とろんと視線がさ迷うなんて甘いものではない、完全に目が据わり始めた。 「…頭下げて少しでも返してもらうように頼み込むなんてまどろっこしいことしてられねぇな。憲和、そいつ武道やってるようだっていってたな…。」 あろうことか、隣の肉料理屋台の暖簾の竿代わりにしていた六尺棒を降ろし始めた。義理の姉の劉備に、他人様に向けるなとたしなめられていた得物である。 “翼徳のやつ、酒乱の気があったのか…。” 飲ませてしまったものはもどってこない。策士策に溺れる。 「…あの、翼徳サン、どうなさるお積りなんでしょう?」 一縷の望みを託して尋ねるものの、むなしい希望は打ち砕かれた。 「決まってんだろ!勝負して獲られたもんは勝負して獲り返す!うだうだ言うようだったら、張り倒してでもな!!」 “やばい、血の雨が降る…。” 張飛は暴走寸前である。相手の女性が話の分かる人間であることを期待するしかないが、張飛より先にあの女性を掴まえて事情を説明し、少しでも返してもらうよう交渉するしかなかった。 「あたし先に行ってその人と…」 「憲和、お前も着いて来るんだ。オレはそいつの顔を知らねぇ。探すの手伝え。」 簡雍の台詞を聞きもせず、襟首を万力さながらの握力でむんずと捕まえる。得意の逃げ足を披露する暇もなかった。 “…天中殺だ、今日は….。” 目立つ人間であっただけに、件の女性の足取りはすぐに判明した。 「いた、翼徳。あそこ。」 簡雍の指差した先には、満開の桃の花の下に静かに佇み、花を見遣る佳人一人。 甘酒を慌てるでなくゆっくりと口に運び、東坡肉を少しずつ味わうように食べている。 其処だけ切り出せば一幅の絵になる。 “いい被写体ジャン。” 切迫した状況に関わらず暢気な思考が生じたが、張飛のほうは東坡肉が半分近く無くなっているのを見て形相が一気に険しくなる。問答無用で腕ずくに出られてはたまらない。 「翼徳、ちょっと待ってて。」 喧嘩腰で話を進めては、まとまるものもまとまらない。ましてや、景品にしたこちらのほうが立場が弱い。諦めろと言われても本来返す言葉は無いのである。仮に返してくれるとしても、代償に何を要求されるか分からないが、できるかぎり穏便に済ませたい。事件を起こして活動停止などたまったものではない。 花を眺めていた女性は近づいてくる簡雍に気づいて振り返った。 「…どうかしましたか。」 実に切り出しにくい用件だが仕様がない。 「いえ、あの、その東坡肉、ほんとに申し訳ないんですけど、返品願えませんでしょうか?」 簡雍の不躾と言える要望に、訝しげに柳眉を顰めて問い返してくる。 「…詳しく事情を聞かせていただけませんか。そう伺っただけではなんともご返事できませんが。」 もっともである。 「…あれはこいつがうちの大将に食べてもらおうと手間暇かけてつくったやつなんです。客引きしようと景品にしたのはあたしの手落ちです。ほんとに済みませんけど、かわりの景品用意しますから、残った分だけでも交換してもらえませんか。」 頭を下げ下げ頼み込む簡雍の姿に、関羽はしばし顎に手を当てて考えた。軽率な判断ではあったが、ここまで頭を下げに来たのである。顔は立てねばなるまい。幸い、自分はそれほど大食漢ではない。空腹は完全ではないが満たされている。 「….成程、あらましは伺いました。こちらはもう充分堪能させていただきました。半分ほどしか残っていませんが、それでもよろしければ。」 「….憲和、なに長々とくっちゃべってんだ。ぺこぺこ頭下げる必要ないぞ!」 何とか話が通じ、助かったと思ったところ不機嫌そうな大声が後ろから飛んできた。二人が振り返った先には目を怒らせた張飛がいた。
461:岡本 2004/04/20(火) 18:45 ■ 邂逅 ■(10) 張飛にとって、問題は東坡肉を食べられてしまったことにとどまっていない。東坡肉を食われて悔しいのもあるが、それ以上に自分より強い人間が目の前にいるかもしれないという事実に苛立ちを感じるのである。自分の苛立ちの原因がどちらに主にあるのか判断するには張飛は酔っていて冷静さを失っていた。また、簡雍が頭を下げているのを見るのも、自分の力量が足りないことを示しているようで腹立たしかった。 二つの鬱屈を収めるには、目の前の人間を叩き伏せて自分のほうが強いと証明し、東坡肉を獲りかえすのが手っ取り早い。 「翼徳、ようやく話がつきそうなところを。」 「黙ってろ。これはオレの問題だ。」 止めようとした簡雍を押しのける。完全に意地になっていた。 「オレは張飛っていって、腕っ節じゃちっとは知られた顔だ。そいつはあんたが勝ち取った景品だ。だがこっちもただで返してもらうわけにはいかねえ。勝負で獲られたもんは勝負で獲りかえすのがオレらの鉄則だ。」 目的が少しでも東坡肉を返してもらうことから喧嘩に完全に摩り替わってしまった。 「…勝負といわれましてもね。」 「な〜に簡単さ。こいつでケリをつける。あんたも腕に覚えがあるんだろ。その刀袋はお飾りじゃないだろうしな。」 ブン、と手にした六尺棒を一振りする。怪しい雲行きに何事かとギャラリーが集まり始めてきた。編入したての関羽に知る由はなかったが、階級章の強制剥奪権をかけた決闘・喧嘩は蒼天学園では日常茶飯事であった。 「翼徳、よしなって。玄徳が怒るよ。」 「うるさい憲和。文句言うくらいなら、お前の甘酒もう一杯よこせ。」 簡雍の文句も聞かず、有無を言わさずにもう一杯特製甘酒を注がせる。 関羽の鼻腔にぷ〜んと明らかに甘酒のそれと違う酒の香りが伝わった。張飛の思考が短絡的な理由が薄々分かる。 「酔っていますね…。」 びくっと脛に傷のある簡雍が反応する。 「酔う?甘酒で酔うやつなんているかよぉ〜」 呂律が少々回っていない。ぐびっと一気に飲み干して器を投げ捨てる。 “飲んだのが本当に‘甘酒’だったらね…。” 桃の木の下に転がった器を手に取ると、壁面に白い酒粕がこびりついている。そこまでは通常の甘酒であったが、ぷんと鼻腔にかなりきつくアルコールの匂いが伝わった。 “…やはり思ったとおりですか。いい加減な人間が知らずに偶然作っのたか、それとも手の込んだ悪戯だったかは分かりませんが…。” 甘酒の造り方は2通りある。 1) 米麹、ご飯、水を2:2:1の割合でまぜ55 ~ 60度で5時間ほど保って糖化してつくる。 2) 酒粕100 gに水1リットルの割合で水に溶かし砂糖と塩、生姜で味を調えて沸騰させつくる。 問題はこの2つめのほうである。 酒粕の含むアルコール濃度は8 %ぐらいのため、10分の1に薄めればアルコール濃度は1%未満になり酒税法上は「酒類」にはならない。 が、酒粕を使って作る元禄時代の焼酎は、酒粕を細かく砕いて水に漬け、これを温度を保って長期間発酵させて作っていたのである。‘92に再現された薩摩焼酎「辛蒸(からむし)」では7日間の発酵の後の一回目の蒸留で既にアルコール度数は20度あったという。 つまり、誰かが酒粕から甘酒を作ろうとして、水で溶いた溶液を数日くらいうっかりか確信犯かで寝かしておいて発酵させてしまい、それを煮詰めて外観は甘酒であるがその実、酒成分が充分高い濁り酒(どぶろく)を作ってしまったのである。一人暮らしの会社員が炊飯器にご飯を残していたのを忘れて長期出張から帰ってくると酒になっていたという話もあるが、もっとも湿度と温度が適度に(麹菌にとって適度ということで社会生活上はむしろだらしないほうに入るかもしれない)保たれていないとカビが生えてこうはならない。 酔っ払い相手にまともな会話は成り立たないと、無理やりつれてこられたと思しき簡雍と話をしようと思ったが既に近くにいない。見覚えのある赤毛がギャラリーの中へ紛れ込もうとするのが見えた。 “…逃げましたか…。” 当然の判断かもしれない。相手はかなり熱くなっている、衝突は避けがたい。無責任な野次や掛け声もギャラリーから飛んでくる。 「ここまで来て、逃げようって奴は学園にゃいないぜ。腹くくりな。…いくぜ!」 だが、ギャラリーはおろか張飛も知らないことだが、関羽も並大抵ではない。既に尋常でない修羅場をくぐっていた。この時期に編入したのも、とある事件を起こして県下の不良高校生を百人単位で病院送りにしたからである(参考:ぐっこ様“頭文字R”)。だが、そのような事件をまた起こすなど願い下げであった。 “腹をくくれ、ですか…。” 改めて張飛の得物を観察する。六尺棒のようであるが、三等分する位置に金輪が二つついている。それにスイングと風斬り音からただの木製とは思えないほどの重量があるのが分かる。 “六尺棒ではありませんね、あれは…。” 足捌きを駆使して迫り来る棍をさけつつ、刀袋の口紐を解いて模造刀を鞘ごと取り出す。 だが、まだ柄に右手はかけない。一度すっぱ抜いてしまうとただではすまなくなる。極力抜かずに済ませたい。左手で柄を、振った弾みで鞘走らないように右手で鞘の鍔元を握って構える。かわすのみで凌ぎぎれる相手ではない。杖のようにふるって対処しようとした。 “止むをえん!” 打撃のカウンターに柄で突きを入れ、左右の袈裟懸けを繰り出し、膝を払う。が、相手の反応は予想以上であった。棍棒を支点にして軟らかく上体を振ることで突きと斬りを外し、アクロバットのように開脚して飛び上がることで脛払いを避けたのである。当たりそうで当たらない。鞘ごと振っていた上に相手が避けに徹したとはいえ、同世代の人間にここまで完全に避けられたことはない。 “カンフー映画みたいな避け方をしてくれるとは…。” また、攻撃をかわした張飛としても目を瞠ることであった。たいていの相手なら、少なくとも最後の開脚で飛んで避けるときに同時に棍を振りかぶり、相手の攻撃が空を切ったところを打ち降ろす余裕があったはずである。まだ相手を甘く見ていた分もあるが避けに徹せねばならないのは初めてである。 “やってくれるじゃねえか…、面白え!どっちが強えぇかとことんやってみっかぁ!” 血中のアドレナリンが(アルコールの助けを借りて)身体を駆け巡るのを感じる。 “…ちっとマジにいくぜ…。”
462:岡本 2004/04/20(火) 18:46 ■ 邂逅 ■(11) 「喧嘩だ喧嘩だー!!」 ピーチガーデンを満たしていた長閑な雰囲気が破られた。 「張飛が新入り相手に喧嘩売ったんだって。」 「へえ〜相手もかわいそうに。秒殺?」 「それがまだ結構もってるらしいよ。見物らしいわ。」 災難を避けようとする生徒もいるが、野次馬に参加する生徒も多い。 良くも悪くも活気のある生徒がこの学園にはそろっている。もちろん、中には呆れたように、はぁ〜と長々とため息をついた生徒もいた。 「…翼徳のやつ、また羽目外しよったんかいな。性懲りもない話やなぁ…。」 赤パーカーを羽織った生徒は眼鏡のズレを直しながらぼやいた。 まあ、祭りや花見に喧嘩は付きもんやけどな、とつぶやくと、 「どら、おおごとになる前に止めんとな。」 ホタホタと右手の張り扇で肩を叩きながら、喧騒轟く奥へ向かっていった。 真剣試合において精神的重圧は非常に大きい。剣道の試合においても気分をほぐすためコップ一杯ビールを引っ掛ける人がいるくらいである。まして生死とは言わないまで大怪我に発展しかねない野試合の場合のプレッシャーは想像に難くない。何も考えずに暴力を振るえる人間は真性の馬鹿かこれまで強い相手と当たったことがなくまた勝ったにしても大事に発展させるほどの力量もなくゲーム感覚で喧嘩をしてきた人間のみである。 さて、今の相手はアルコールのせいで判断力が甘くなり箍が外れてこのような暴挙に出たのは明らかだが、その実力のほどは関羽をして気を引き締めさせるものがある。 通常ならこのまま動き回らせてガンガンにニトロを燃やさせてエンジン加熱によるオーバーヒート(酔いつぶれ)、もしくは大惨事だがラジエータの逆噴射(バーストによる行動不能)を狙うところであるが、注入されたニトロがそれほど大量ではなかったようで適度に燃えているというところである。酔いの助けで身体能力のリミッターが外れ、威圧や痛覚に対しても鈍くなっているので、駆け引きを抜きにした単純な攻防能力では素面の時を上回っているであろう。頼みの綱は、ニトロが尽きるまで持たせるのみであろうが…。 “この相手に、抜かずにいつまでかわしきれるか…。” 模造刀の重心は杖のそれとは違うので、今の握りでは思うように扱いきれない。防御主体では限界が見えてきた。 「そらそらそらぁー!!何時までもよけてちゃ始まんねえぜぇ〜〜!!」 怒涛のラッシュが襲い掛かる。 “これほどとはッ!避けきれんッ!” 最大の危機に日ごろ鍛え上げた身体が無意識に反応した。瞬時に左手の握りを変え、腰を抜刀の位置に捻るや右手が翻る。白光が関羽の腰間から張飛目掛けてほとばしった。 ギャリンッ! 鈍い金属音が響く。間髪をいれず、両者は即座に飛び下がって間合いを開けた。抜き放たれた白刃が関羽の右手で光芒を放つ。 “…やってしまったか…。” 緊張に引き締まった張飛と違い、関羽は少し苦虫を噛み潰したような苦渋の表情を作っていた。それが次の瞬間には拭い取ったかのように表から消えた。 一度抜刀してしまうと却って開き直れたようである。動揺していた気持ちが落ち着き、目の前の人物をはっきり“打ち倒さねば止められない相手”と認識できた。 切れ長の目がきゅっと細くなる。 張飛のほうでも相手の雰囲気が変わったのは判った。これまでは感じられた動揺・躊躇いがなくなっている。それに先ほどの横薙ぎの一閃。とっさに柄の中ほどで受けたのだが打点を外したつもりが間に合わなかったようで、受けたと思われる場所に切れ込みが走り、その奥の隙間がキラリと日を受けて光るのが見えた。棒をしごいて構えを左右に変えると見せて回転させ、相手に切れ目が見えないようにし、棒の金輪部分を両の手の内に納めるように握りなおす。 酔っているとはいえ緊張からか、無意識にペロリと舌で乾いた唇を湿らせていた。いや舌なめずりかもしれなかった。 “…やっとマジになったってとこか。この張飛様をビビらせるたぁ、やるじゃねえか。だがな、まだこっちには奥の手がある。実戦にこれを使おうと思わせたのはあんたが最初だよ…。リーチの差とこの奥の手、あんたに凌ぎきれるかぃ?”
463:岡本 2004/04/20(火) 18:47 ■ 邂逅 ■(12) 関羽は抜きつけの一閃後右手で刀を相手に擬したまま、張飛は構えの左右を変えたまま、間合いを空け、互いの隙を窺うかの様に回り始めた。対峙するその意識下で、彼我の状況の観察が続けられる。 関羽の模造刀は“超薄刃仕立て”というが本身ではない。遠めには真剣に見えるが焼入れのできない特殊合金製で、普通の模造刀なら刃の代わりに平面のでている部分が鋭角になっているものである。とはいえ、関羽ほどの達者なら刃筋が狂わず手の内がしまっておれば棍棒ぐらいは両断できる。その刀身の“物打ち”(切っ先から10 cm位までの刃部)が1cmほどにわたってわずかではあるが潰れて捲れ上がっている。 “…先程の音と手ごたえ、妙な位置に二つある金輪、そして捲れたこの刃。あの棍、やはり疑ったとおりか…。” 関羽は視線を相手から外さず右手で刀を擬したまま、左手で器用にベルトに鞘を挿すと、両手に刀を構え直した。 本来、刀を腰に帯びない状態から抜刀した場合は、諸手で剣を振るうことができないため、即座に鞘を捨てるのが普通である。巌流島の戦いで浅瀬に鞘を捨てた佐々木小次郎を宮本武蔵が“小次郎敗れたり、勝つ者が何で鞘を捨てようか。”と喝破したのは有名である。しかし、これは佐々木小次郎が “物干し竿”の刀身(3尺1寸5分=96 cmと1mない。だが、江戸初期の常寸とされた2尺4寸= 72 cmに比べれば圧倒的に長い)と“燕返し”(佐々木小次郎の流派・巌流では虎切あるいは虎切刀というのが正式名称。振り下ろしの一刀で相手の動きを牽制し、返す刀を振り上げて仕留める二拍子の技)を生かして、海から来た武蔵を足場の効かない浅瀬で仕留めようとしたのを、それを読んだ武蔵がまだ足場の効く波打ち際まで上がる時間を稼ぐために放った揶揄である。長い鞘なので身に帯びるのは邪魔になる。鞘に砂が入ると刀を納めるときに刃を痛めるので海中に捨てるのが乾かすのに要する時間を除けばベストである。けれども既に2時間以上待たされて精神力を消耗していた小次郎はこの揶揄に引っかかってしまった訳であるが。 ひゅんひゅんと唸りをあげて面上と膝に六尺棒の両端がマシンガンのごとく連続で襲い掛かる。関羽は間合いをぎりぎりに開けてこれをかわし、引き戻したところをピタリと張飛の六尺棒に剣先を貼り付けた。押し付け、圧力を加えることで張飛が思うように六尺棒を振るのを妨げる。少々振ったくらいで外れず、強引に振り払おうと張飛が足場を固めて一瞬、動きを止める。関羽はその隙をついて剣先を棒に沿って滑らせ、間合いを一気に詰めてきた。“橋掛かる攻め”である。 長物に剣先を付け、そこを支点にして力を加える(=橋掛ける)ことで長物の動きの自由を奪い、付け入って間合いをつめる。香取神道流では対長物の定石である。だが、張飛の方に動揺は無かった。純粋な長物ならこれは大ピンチだが、あいにくこの得物では一発逆転の対応策がある。足場を固めたのも有効に効く。 “いまだ!!” 両の掌に包み込んだ金輪を素早く緩め、六尺棒を一瞬にして三節棍に変える。先ほどの関羽の斬撃で生じた金属音は模造刀の刃が三節棍を繋いでいた鎖に切り込んだものだったのである。驚いたことに焼入れした刃がついていない模造刀とはいえ、関羽の一撃は棍の木製部を切り裂き、鎖にわずかながらも切れ込みを入れていた。だが、攻撃に支障はない。 固い足場を生かして腰を捻り、勢いよく振り出した。圧力を急に逃がされて、橋架けていた剣先が外れる。それだけではない。関羽の側からは死角になる張飛の背面から、反動で三節棍のもう一方の先端が飛んできた。 “もらった!” だが、相手も然る者。とっさに歩をとめ、強靭な手首を利して、棟で打ち落とす。 ガシン!! 体の左に張飛の攻撃を捻り落とし、次の連続攻撃が来る前に飛び下がって間合いを開けた。 剣術の攻防において、最善は相手の打撃を受けずにかわして切り込むことである。かわしきれず受けざるを得ないときはまず棟で弾き、次善が刃で受けることである。流派によっては頭上に横たえた刀の鎬で受けカウンターで突きを入れる技もあるが、刀の側面である鎬は刀の弱点であるので、極力鎬で相手の打撃を受けないに越したことはない。 また、実戦においてはまったく見たこともない太刀筋、嵌め手を持っている剣士が存在しうる。現代剣道と違い、剣先が掠っただけで命獲りになりかねない武者修行をしていた武芸者達は、どうしても体捌きでかわしきれないときには、手首の捻りで相手の攻撃を棟で左右に払い落とし、身に掠らせもしない技術を身に付けていた。 “けっ、不発か。まぁ、あんだけ良い反応じゃしゃぁないか。だが、これで攻撃力はさっきより増えるぜぇ。” ひゅんひゅんとヌンチャクのように一方の端を持って握りを左右変えつつ右肩、左肩そして腰周りを回して周囲をなぎ払う型を示して、威勢を振るう。最後に開いた左手を前に突き出して、バンッと型を決めたときにはギャラリーから畏怖のどよめきすらたった。 リーチの差を抜きにしてもその遠心力から来る打撃力、速度。そして真ん中の節で受ければ先端が襲い掛かり、先端で受ければ真ん中と手元の節での打撃をうけるという構造を持つ三節棍は、一刀での対処はきわめて難しい。間合いを十二分に空けて完全にかわすか、届くぎりぎりの間合いで先端の節を外せば防ぐこと自体は可能だが、これでは防戦一方である。リーチの差のため、一撃をかわして飛び込むのも難しく、張飛もそれは当然のこととして折込済みである。 だが、関羽は中段正眼に構えたまま、表情・様子は変わらない。 むしろ、予定どおりという雰囲気ですらある。 この連結式三節棍、六尺棒を格闘中に三節棍にするのはたやすいが、三節棍を六尺棒に瞬時に戻すのはほぼ不可能である。早めに奥の手と思われる三節棍での不意打ちをつぶして勝負を挑むのを選択したのである。 “その余裕…、気にいらねぇなぁ…。まあいい、化けの皮剥いでやる!” 掛け声とともに、中央の節と末節を握って間合いを変化させつつ左右の連打を頭部、胴、そして膝へ繰り出す。関羽は短い間合いを見切って足捌きでかわし、踏み込もうとするが張飛もすかさず引き戻しながら動いて間合いを開け、長い間合いでの打撃を踏み込んできた関羽へ繰り出す。踏み込む呼吸に合わされ、今度は足捌きではかわしきれず、棟で先端を弾いて払い落とした。三度、両雄は矛を交えたが、互いに付け込む隙はやすやすとは見出せそうになかった。
464:岡本 2004/04/20(火) 18:47 ■ 邂逅 ■(13) 生徒集団間の勢力争いが絶えなかった蒼天学園において、戦略や謀略のみならず、戦闘に直接関係する武道や格闘技、戦闘術に秀でた生徒はどの時期においても数多く出現した。後代からそれを振り返って、所詮“見てきたような嘘を言い”の域を超えはしないものの “最強コンテスト”なる私選の番付をするものは多い。その上位陣の常連となる面々はいずれも大規模な騒乱が起こった時期の学生に集中しているのも当然であろう。 後に陳寿著の学園史“学園三国志”で扱われる時期もよく取り上げられる年代であり、 人外の範疇に入りそうな常識はずれの豪勇を示すエピソードを持つ人物が数多く存在した。そういったいずれ劣らぬ猛者の中でも、こと剣技とその駆け引きにおいては関羽が一目置かれていたらしいことは次の言い回しが残されたことで明らかであろう。 “関公面前要大刀” ― 関羽の前で刀を振るう = 身の程知らず 当時の張飛では知る由もなかったが、関羽はその豊富な鍛錬・実戦経験を元に布石をしいてチャンスを待っていたのである。これまでの打ち合いで手の内をそれほど見せず、足捌きか棟での打ち落としで対処していたのも駆け引きであった。 「せやぁ!!」 数度の打ち合いの後、改めて繰り出した張飛の三節棍が関羽の右膝を薙ぐように襲い掛かるが、なんと片足立ちで膝を折り曲げ回避してきた。その足を下ろす動作に合わせた踏み込みで、大技・右片手打ちが得物の間合いの差を埋めて張飛の右側頭部を狙ってすっと伸びてきた。実際、対薙刀対策として古流には膝を狙ったときに狙われた前膝を折り曲げてすかしたところを切り込む手がある。 “これがその余裕かぃ!だが甘いんだよ!!” 空ぶった引き戻しに恐ろしく呼吸を合わせてきたが、余人ならいざ知らず張飛なら対応できなくはない。それが長物と刀の埋めようのないリーチ差からくる余裕だ。それよりこれで胴ががら空きになった。カウンターへのカウンター、ダブルクロスカウンター狙いだ。 “もらったぜ!!” 中央部を右手一本で握り、関羽の攻撃をかがんで避ける勢いで三節棍のもう一端を関羽の右胴へ振り込んだ。これを喰らえば如何に強靭な身体の落ち主であろうと耐えられまい。 ガシッッ!! 張飛の目に映ったのは、会心の一撃が、抜き打たれた左手の鞘で絡めとられている様だった。右片手打ちは三節棍を絡めとるための見せ業だったのである。二刀の心得もある関羽ならではの伏せ技であった。 “がぁっ、なにっ?!” がしゃんと音を立てて、絡みついた三節棍とともに鞘が張飛目掛けてたたきつけられた。思わず左手で攻撃を受ける。視野がふさがって、一瞬ではあるが関羽自身からは注意が逸れた。即座に注意を引き戻したが、目の前に相手の姿はなく、長い黒髪がぶわっと尾を引いてたなびくのが映った、その先は…がら空きの左! “本命は左か!!” 模造刀を諸手に振りかぶり、これまでと比較にならない鋭さで風を巻いて袈裟懸けに切り込んできた。 “いけねぇっ、やられる…” 模造刀とはいえ、相手は棍の木製部を切り裂き、鋼の鎖に切れ込みを残したほどの手慣れである。その刃が如何に鍛えたとはいえ人体に当たればどうなるか…。生命の危機に本能が反応して、全身の血が引き背筋に冷たいものが流れ、アルコールとこれまでの剣戟で高揚した気分が一瞬にして冷めた。切り込んでくる相手の鋭い視線がそれに拍車を掛ける。 “ちくしょう、動きがやたらスローモーションに見えやがるぜ…。” が、こちらの体は指一本動かない。アドレナリンのせいで時が止まったように感じるだけだ。心臓の鼓動がやけに大きく響く…。 どくん 「その喧嘩っ、うちが預かったぁ〜〜!!」 一瞬後、張飛の視界は赤いもので遮られた。 … … … どくん 予期した衝撃はなく、静寂は心臓の鼓動で破られた。一瞬恐怖のあまり意識が飛んだようであった。 “オレ、助かったのか…?!” 赤いのは血でなく、関羽と張飛の間に飛び込んできた人物のパーカーの色であった。 張飛に振りおろされるはずの模造刀は二人の間に飛び込んできた眼鏡の女生徒の眼前でぴたりと静止していた。 「…全く、無茶をする御仁ですね…。」 呆れとも叱責ともつかぬ言とともに関羽は刀を引いた。あまりのことに正直毒気を抜かれたのである。張飛の方も戦闘継続の意欲を失っているようであった。人騒がせな方法ではあるが、取り敢えずの水入りはなった。だが、これからの展開は予想もできない。流れは鉄砲玉のように飛び込んできたこの人物が握っていた。
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