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★しょーとれんじすと〜り〜スレッド★
513:海月 亮 2004/12/20(月) 21:52 日はすっかり落ち、何時しか、病室の電灯に明かりが灯っていた。時計は、5時半を少しまわっていたので、本来ならとっくに面会時間は過ぎていたはずだ。恐らくは、孫権が入ってくる時に職員に頼み込んだか何かしたのかもしれない。 そこには少女三人を中心に、沈黙があるだけだった。いったい最後の言葉から、どのくらいの時間が経っていたのだろう。その沈黙を突き破るように、(カン)沢は心なしか重くなったような、自分の口をようやく開いた。 「そうだったんですか…」 まるで独り言のように、そう言うのが精一杯だった。彼女の聡明さは、総てを聞かずとも、その真相を完全に解き明かしていた。 陸遜のことを大切に思っていたからこそ…その才能を知りながら…自分の後継者として申し分ないと思っていたからこそ、自分と同じ道を歩ませたくなかったのだ。 おそらくは自分と魯粛の跡目についた呂蒙の末路を聞き及び、その想いを一層強くしていたのだろう。 写真に写る、この笑顔を失わせたくないと思って。 孫権は当然として、おそらくは丁奉も、このときに言い含められていたのだろう。普段丁奉が陸遜のことを「仲のいい先輩」程度にしか言っていないのが、その証拠だ。 誰もがその実力を知る周瑜が皆の前で大げさに陸遜を避けて、その才能を大仰に過小評価しておけば、そんな辛い道へ引き込ませずに済む。陸遜もそんな周瑜の優しさを知って、あえて昼行灯を演じていたのかもしれない。思い返してみれば…。 「だからこそ、荊州攻略の後、かえって伯言は沈んでいたんですね…あなたを悲しませたことを、気に病んでいたから…あなたの心に反して、自分の名を高めてしまったと思ったからこそ」 だからこそ、しつこいくらいにへりくだって、それを呂蒙の功績として称えていたのだろう。 一瞬の沈黙をおいて、周瑜も口を開いた。 「…問題は他にもあるわ…ウチの娘達は、荒くればかりだと思えば、実は目敏い娘も結構いるでしょ? 子敬とか、あなたのように」 そう言って上げた周瑜の顔は、泣き腫らしたと見えて何時もの凛とした表情は何処にもない。 「そういった人たちが、あの娘の真の才能を見抜いてしまうのが怖かった。山越の連中との折衝云々にしても、本当は見事な外交手腕だと思っていた。でも、それをあえてひどい言葉で濁したのは、辛かったわ…でも子敬の場合、私のそんなところまで見抜いていたみたい」 ありうるかもしれない、と(カン)沢は思った。彼女の考えでは、長湖部で一番の目利きは、多分魯粛であろう。 ましてや魯粛は周瑜と仲が良い。気心の知れた友人の心の機微を読むとなれば、朝飯前だろう。 「だから子敬が、自分も伯言の名前を出さない、って言ってくれた時、正直ほっとした。子布先輩に仲翔、子瑜、元歎にすら、騙せ遂せたと思ってから」 確かに、一癖も二癖もあるが、張昭や虞翻、諸葛瑾に顧雍といった連中は、人を見る目は確かである。 もし周瑜が何もしていなければ、いずれその中の誰かしらが陸遜の類稀な才能に気づき、強く推挙したかも知れない。 特に、発言力の強い(というか、言い返せるものが居ない)張昭が言い出せば、即決定事項だ。 何も起こらないままなら陸遜は、以降もうだつのあがらない長湖部のいちマネージャーとして平凡に学園生活を送り、卒業していくのかもしれない。それが、周瑜や孫権の願いでもあったのだろう。 「だから…徳潤。あなたにも黙っていて欲しいの…御願いだから…あの娘に、そんな過酷な道を歩ませないで…」 その言葉の最後は、嗚咽に霞む。縋り付くように懇願する周瑜の姿に、(カン)沢は胸が締め付けられるようになった。 できるなら、彼女の懇願を受け入れ、自分も知らん顔をしていたいと、そう思った。これが普段の平穏な長湖部における、次期副部長を決めるとか言う話であれば、(カン)沢は一も二もなく、それを受け入れたことだろう。 でも、今は違う。多くの先人達の血と汗と涙で築きあげ、以降も陸遜がその一員として過ごしていくだろう長湖部存続の危機だ。その窮地を救える者もまた、彼女しか居ないのならば…彼女が、それを望んでいることを、知っているから。 (カン)沢は、周瑜の体をそっと立て直すと、その目を見つめ、ゆっくりと言葉を紡いだ。 「でも…それでも、今の長湖部には伯言の力が必要なんだと思います。あいつも言っていましたよ…あなたや他の先輩達が築き上げてきた長湖部を、失いたくないって…そのために、何も出来ない自分が悔しい…って」 「!」 「上手くいえないけど…あいつはあいつなりに、自分が何も出来ずにいる現状を、歯噛みしているんだと思いますよ…あなたや部長を、本当に大切な仲間だって…思っているから。それを、護りたいと思ってるから」 「徳潤…」 「だから…恨んでくれても構いません、公瑾さん、部長…あたしは、明日の会議で、伯言を推挙する。あの娘の決意を、無駄にしないためにも」 決意を秘めた視線が、二人の視線と交錯する。ここにいる彼女だけでなく、この場にはいない陸遜の想いさえも、その眼差しに込められているように思えた。孫権と周瑜は、一瞬視線を交わし、覚悟を決めたように頷いた。 「………………時がきた、ということかしらね。それが、あの娘の宿命だというなら」 「ボクの心も決まったよ…徳潤、キミの良いようにはからって頂戴」 悲しげに満ちた、決意の表情だった。 (カン)沢は、そんなふたりに対して、深々と一礼した。 その瞳から零れた一滴の涙は、まるで彼女の心の痛みをあらわしているかのようだった。
514:海月 亮 2004/12/20(月) 21:59 その翌日のこと。 会議はいまだ紛糾の様相を呈していた。先に停戦和議の為に赴いた程秉も、傅士仁・糜芳が関興によってぶちのめされる様を記録したビデオを上映しながら、劉備のドスが利いた「宣言」を聞かされたショックで寝込んでしまう始末だった。 いわゆる「文官系幹部」の中でも、肝っ玉の据わった程秉がそんな有様なのは、いかにそれが凄惨な有様だったかをよく物語っていた。和議が叶わないと言う事は、劉備の態度を鑑みれば帰順を申し入れても無駄だということと同義といっていい。 「まぁ、これで張昭大先輩お得意の"降伏ー!"は使えないわよね〜」 「聞こえてるわよ歩隲ッ! それどういう意味よ!」 「あ!い、いえ、これはただのジョークでして…」 「言って良い事と悪い事と、状況ってモンがあるでしょうが! だいったいねぇ……」 聞こえないくらいの小声で言った皮肉を聞き取られ、怒る張昭に慌てて弁明する歩隲を尻目に、それこそ誰にも聞こえないくらいか細い声で「言葉通りです」と顧雍が呟く。それを地獄耳で聞きつけた張昭は、今度は顧雍にも怒声を飛ばす。 まくし立てるうちに感情をヒートアップさせ、怒り心頭に達した張昭が歩隲と顧雍に飛び掛ろうとするに至って、流石に傍観していられなくなった諸葛瑾や陸績、虞翻等は張昭をなだめに入った。 その喧騒の外、孫権の後ろに侍立しながらその様子を困ったような苦笑いを浮かべて見ていたた谷利は、ふと、主・孫権に目をやった。 そんな喧騒さえ聞こえないかのように、孫権は俯いたままだった。 いまだ救出の目処が立ってない孫桓のこと、先にリタイアした甘寧のことなどが、彼女の心に重くのしかかって、不安で押しつぶされそうになっているのであろうか…。 孫権の悲痛に歪んだ表情と、何処か中空の一点を見つめて動かない瞳から、谷利はそんなことを考えていた。そこには、孫権第一の側近であると自負して憚らない彼女も知りえない感情があることなど、気付く筈もなく。 そのとき、不意に会議室のドアが開いた。おどろいた少女達の脳裏に、先日甘寧が入ってきたときの光景がオーバーラップする…が、そこに立っていたのは、本日大幅に遅刻してやってきた(カン)沢だった。 「なんでぇ諸君、あたしの顔になんかついてるかい?」 「なんだじゃないわよ! 貴女一体どこほっつき歩いてたのよ!?」 咎める張昭の口調は、先程からのテンションそのままに、その怒りを今度は(カン)沢に向けてきた。いつのまにか怒りの矛先が変わったことに胸をなでおろす歩隲と顧雍を他所に、その剣幕を気にした風もなく、彼女は飄々とした体を崩すことなく後ろ手に扉を閉め、部屋の中心に歩み出る。 「ヒデェなぁ子布先輩、あたしゃ一応、吉報ってヤツをお届けにきたのさ。ちょっとくらい大目に見てくれよなぁ」 「はぁ? 吉報ですって!?」 「あぁ。今もなお病床の身にありながら、部の行く末を案じて止まない公瑾大明神の有難いご神託だ」 公瑾、の名を聞いたとたん、満座の面々がお互いの顔を見合わせ、にわかに座はざわめく。俯いていた孫権がいつのまにか顔を上げ、ふたりの視線が交差する。(カン)沢は小さく頷くと、息を整えておもむろに口を開いた。 「どいつもコイツもあまりにも"人"ってヤツを見ていねぇ。確かに公瑾さんや子明とか、先日リタイアした興覇とか、こういう危難に頼りになる連中はどんどんいなくなっちまった。でも、そうして失ったものの大きさが解るくせに、残ったあたしらの中にとびっきりの大物が隠れていることに気づきもしない」 「馬鹿な事言わないで(カン)沢…それとも自分が、それに当たるとでも言うの!?」 「それこそ"馬鹿なこと"だよ。あたしがそんなんだったら、既に興覇の代わりに出撃(でて)るって」 「じゃあ貴女は…」 食って掛かる張昭を制し、孫権が割ってはいる。 「…言って、徳潤…キミの言う通り、その娘の力を用いるべき時が…来たのかもしれない」 幹部達は、その孫権の台詞に、一瞬怪訝なところを感じた。だが、真剣そのものの孫権の表情に並々ならぬ決意が現れているのを見て、先ほどの(カン)沢の発言に応えた揶揄程度のもの、と考えていた。居並ぶ幹部達の注目も集まる。(カン)沢は一度目を閉じ、一拍置いてから、口を開いた。 「それは他でもない…いま呂蒙の後釜として、臨時に陸口棟の指揮をとってる陸遜だよ」 (第三部に続く) --------------------------------------------------- ここまででようやく第二部。 何気に雪月華さまの作品のネタを引用させてもらっています… この場をお借りして、お詫びいたします。できるなら、以降も容認していただければ…(おい
515:海月 亮 2004/12/20(月) 22:03 「風を継ぐ者」 -第三部 風を待った日- 一体どれほどの者か…と期待していた幹部達にとって、それはあまりに意外すぎる人物の名前だったに違いない。満座、呆気にとられて開いた口が塞がらない様子であったが、皆一様に「何を言ってるんだ、コイツは」と言う表情をしている。 ただ一人、孫権を除いては。 「なんですって!!」 「ちょっと徳潤、あんた正気なの!?」 「………………!!」 満座の沈黙が発する圧力をなんとか押しのけた張昭、歩隲、顧雍が同時に非難の声をあげる。もっとも、顧雍の声は相変わらず、聞き取れないほどだったが。 「元歎ですら、何か悪いものでも食べたの、って言いた気よ…徳潤、いくらなんでも悪い冗談は止めたほうがいいわ」 そんな諸葛瑾の一言に、顧雍は少しむくれた表情に変わる。実は顧雍は「熱でもあるの?」と言っていたのだ。その表情は、正確に聞き取ってくれ、という非難の意味合いであるらしい。 「冗談? 子瑜さんまでんなこと言うとは心外だな。冗談や酔狂でこんなこと言うかい?」 それを受けて、虞翻も続ける。 「そう聞こえたからだ。もし仮に、陸遜にそれだけの才能があったとしよう。でも、あの娘が公瑾に相手にもされてなかったことを知ってる者は多い…彼女と仲が良かった承淵ならまだしも、とてもじゃないがあそこにいる連中を統率できるとは思えない。舐められて戦う前に軍団が四分五裂が関の山だ」 「まぁ…あれはな、子敬ねぇさんや興覇にも原因があるんだけどな…それに、子明は常日頃から2つも年下の伯言を尊敬してた。陸口棟長に仕立てたのは計略のせいもあっただろうが、計略とはいえ本当にどうでもいいヤツを自分の代わりにするなんて、子明がするとも思えない」 「でも、あの娘はこんな血なまぐさいことに向かない優しい娘よ! 危険だわ!」 議論の俎上に上がった陸遜にとっては従姉妹に当たる陸績すらそんなことを言い出す。それを受けて幹部達も孫権に対し、口々に「危険だ」だとか「自殺行為はするべきでない」と声を挙げる。 その様子を見ながら頬を掻き、苛立つような仕草をしていた(カン)沢は、おもむろに息を吸い込み「やかましい!」と一喝した。 その瞬間、幹部達の口の動きは一斉に止まった。今まさに何か言おうとしていた張昭すら、それに面食らって口を噤んだほどだったので、よほどの剣幕であったことが伺えるだろう。 「危険は承知! どうせ負ければ長湖部は終わりだ! 失敗したら階級章と言わず、あたしの命もくれてやる! 満座の中で腹でも首でも、リクエストどおりにかっさばいてやるよ!」 眼をかっと見開き、物騒な宣言をしてのける(カン)沢の気迫に満座は呑まれた。いつも飄々とした(カン)沢しか知らない幹部達は、半ば呆気にとられているようにも見えた。 何しろ、普段表情の読み取り難い顧雍でさえ、それと解るくらいに目を見開いて、きょとんとした表情をしていたほどだ。 「…徳潤の言う通りだよ…どのみち、このままじゃ長湖部がなくなっちゃうだけ…」 そのやり取りを真剣な目で黙って見ていた孫権は、意を決したように言葉を紡ぐ。その顔は、真剣を通り越して既に悲痛な表情だった…だが、その真意を知るのは、この場に当人と(カン)沢しか居なかった。 孫権の顔が、不意に厳しい表情に変わる。 「ボクは、伯言に賭ける。谷利、伯言を呼んで来て…すぐにッ!」 「は、はいっ、ただ今!」 主の放つ聞きなれないトーンの声に吃驚した谷利は、矢の如く会議室を飛び出していった。 もっとも、指示通りに陸遜を伴って連れて来るまで、三回ほど帰ってきては、張昭に怒鳴られていたが。 「現時点を以って…陸遜、キミ…いえ、あなたを長湖部実働部隊の総司令官に任命します」 「…長湖部存亡の時、辞すべき理由はありません…大役、謹んでお受けいたします」 こんな日は、来て欲しくないと願っていた。 でも、荊州学区を力ずくで取り戻し、そのために呂蒙が不慮の事故でリタイアの憂き目にあったことで、陸遜自身にも何となく予感はあったのかもしれない。 前任者の魯粛、呂蒙の時の例に倣い、長湖部創始者たる孫堅が陣頭で用いた大将旗を孫権は、何処か釈然としない表情で、それでも整然と並ぶ幹部達の列の間に立つ陸遜へと手渡す。 「畏れながら、部長」 それを恭しく両手で受け取り、一礼した陸遜はそう切り出した。 「私は未だ名声無き弱輩の身…恐らくは、前線の諸将はただ私が出向いたところで容易に諾する事は無いでしょう。そして、鬼才・諸葛亮や名将・趙雲を欠くとはいえ、相手は強敵です。更なる大将の増援と、信頼できる副将を頂きたいと思います」 「承知します。副将には駱統と、既に前線に居る丁奉を命じ、部長権限において宋謙、徐盛、鮮于丹らに出陣命令を通達し、駱統以外の諸将には陸口棟にて合流の手筈としましょう。駱統、いいですね?」 「は、はいっ、畏まりました!」 幹部列の最後尾にいた、亜麻色のロングヘアーに青のリボンをあしらった、大人しめの少女が進み出て、緊張した面持ちで深々と一礼する。 その少女…駱統は綽名を公緒といい、陸遜とは同い年の親友であったが、お互いにその才能を認め尊敬し合う関係にある。早くから文理にその頭角を顕し、一年生ながら既に幹部会の末席を与えられている俊才である。 若手の中では、丁奉や朱桓の武に対して文の逸材として期待されている存在だ。温和な性格は先輩受けも良く、見た目に反して芯が強く弁も立ち、しかも合気道の達人でもある。腕っ節の強い荒くれを制するにはもってこいの人物だ。 「では以上にて、総司令官任命の式を終了とします…伯言、公緒、直ぐに出立して」
516:海月 亮 2004/12/20(月) 22:04 ところ変わって、陸口棟。 「何ですって? それ本当なの?」 「ええ…今通達が来ました。もうすぐ、到着するそうです」 陸遜、前線総司令の任に就く……その命令を受け、諸将は困惑の色を隠せない。 ただ一人、丁奉を除いては。 「部長も人が悪い…こんな時に新手の冗談を試さなくてもいいものを」 「あんな文学少女にこんな大役、勤まるわけないじゃん。部長も何考えてるんだか…」 仏頂面をさらに難しい顔に変える周泰、そして不満一杯の表情で毒吐く潘璋。陸遜に先立って棟の幹部室に来ていた宋謙や徐盛にとっても「とてもあの娘なんかじゃ…」というのが本音である。 長湖部に参画する数少ない文化部のひとつである軽音部のマネージャーで、賀斉の所属するビーチバレー部のマネージャーを兼任する陸遜は、経理の才能などは「そこそこできる」程度の認識はされていた。 だが当然ながら、そこからはとてもこの局面に総大将として用いるに足りる才能があるとは思われていなかった。 潘璋の揶揄も、普段から陸績と一緒に所構わず文庫小説を読み漁っている姿を目撃されていることに起因する。陸遜(と陸績)の「本の虫」ぶりはある意味では語り草になっているほどだった。 だが、丁奉だけは違う。去年赤壁島キャンプに紛れ込み、陸遜と仲良くなったことでその才覚をよく知っている彼女は、この局面をひっくり返せるだけの能力が、陸遜に備わっていることを信じて疑わない。 そのキャンプの後、周瑜にきつく言われていた彼女は、いつかうっかりそのことを話してしまった呂蒙以外にそのことを話していない。 「冗談じゃない…あの娘に止められるようなら、あたし達が既にやってるよ!」 「まぁまぁ…みんな、そこまでにしましょ。今までの印象はそうかもしれないけど、もしかした本当に何かあるのかもしれない…ここは、彼女の戦略方針を聞いてから判断しても、遅くは無いわ」 凌統をなだめ、最高学年として表面上取り繕ってみせる韓当にしてみても、不満の色は隠せない。諸将も彼女の顔を立て、渋々納得してみせたという顔つきだ。 そのことから見ても、此処での実質のまとめ役は韓当であることに間違いなく、韓当が陸遜の展望に不満を示せば、暴発は必至だろう。 しかし、丁奉はそれすらも、陸遜なら多分変えてしまえると確信していた。 恐らく、慎重な性格の陸遜なら、初めはいろいろ言われるかもしれない。その分、この戦いが終焉したときには、陸遜へ寄せる信頼や尊敬は揺ぎ無い物となるだろう。 (伯言先輩なら、きっと大丈夫…でも…本当にこれで良かったんですか?…部長、公瑾先輩…) その一方で、丁奉はどこか、酷く寂しいモノを感じていた。 もう二度と戻らない、彼女達が願ったひとつの小さな幸せは、今ここに終わってしまったのだから。 「…という訳で、菲才ながら私、陸遜が此度の大役を任されることになりました。宜しく、御願いします」 諸将を幹部室に集め、命令文書を読み上げた陸遜は、手短にそう挨拶した。 丁奉、駱統以外の諸将の顔はなおも不満そのもの、韓当は「お手並み拝見」といった感じで、表面上は涼しい顔をしている。 「それでは、これからの戦略方針についてですが…公緒、近隣の地図を」 「はいっ、只今」 控えていた駱統が、あわただしくも手際良い動きで鞄から地図を取り出し、黒板に貼り付ける。そして陸遜の指示に従って、地図にマグネットの部隊マークを配置する。 赤のマグネットは帰宅部連合、青のマグネットは長湖部の布陣を表していた。 「現在、オウ亭を最終防衛ラインとして、既に韓当先輩が完璧な布陣を終えてくださいました。現状、この布陣において特に付け加えるべき点はございません。宋謙先輩、徐盛先輩は、それぞれ左翼、右翼の中核に配し、後は遊撃軍として、本陣に置きます」 それを聞くと、一部の者は明らかに小馬鹿にしたようにクスクスと笑った。「コイツ、やっぱりわかってないなぁ」といった感じのあからさまな嘲笑である。 「えと、お静かに。御意見がある方はお伺いします」 「では、僭越ながら一言、具申させて頂く」 座の中から、周泰が進み出た。 「先に出陣し、やむなく夷陵棟にて篭城を余儀なくされている孫桓殿と朱然殿のことだ。知っての通り、孫桓殿は部長の従姉妹であり、部長の一家の中では、もっとも部長の寵愛を受けている。その方の危難を一刻も早く救い、部長の心痛を安堵させることが重要と思われるが」 普段無口な周泰が、こうも饒舌になるのは珍しいことである。諸将も思わず、聞き入ってしまっていた。しかし陸遜は、気にした風も無く、彼女が言い終わるのを待ってから、おもむろに己の見解を述べる。 「確かに、それも重要です。しかしながら夷陵は堅牢な地であり、そこには非常食の蓄えなども十分との報告を頂いています。その上で、恐らくは若手随一の指揮能力をお持ちである孫桓さんと、実戦経験豊富な朱然さんがサポートについているのであれば、落ちる事はほぼ無いでしょう。むしろ、そこを包囲している帰宅部連合の精鋭を釘付けに出来ている意味では、現状のままにしておくのがベストです」 人物評価に誇張せず、その上で現状を踏まえた、これまた見事な答弁であった。この一言を吐いたのが周瑜や呂蒙であれば、諸将はみな感服して、大人しくその指示に従っただろう。 しかしながら、これまで歯牙にもかけていなかった一書生の意見、として諸将は見ている。ましてや、彼女等は先の敗戦の恥を雪ぐため、血気にはやる風をみせているだけに尚更であった。 「よって、現状で特に大きな変化が無い限り、我々も特に動いてみせることもありません。各員、指示があるまで防御を固めて待機といたします。軍議は、以上とします」
517:海月 亮 2004/12/20(月) 22:05 「馬鹿なことを!」 解散の指示を出そうとした刹那、諸将から一斉に不満の声があがる。誰も皆、満面に怒気を浮かべ、もし後ろに立てかけてある大将旗が無ければ今にも飛び掛ってきそうな勢いである。突然のこの勢いにおろおろする駱統を他所に、卓に着いたままの陸遜は、何の表情も無くそれを眺めている。 怒気を露に不満をぶちまける諸将を制し、今まで事態を静観していた韓当が進み出た。 「伯言…あえて、こう呼ばせてもらうわ」 本来なら総司令ともなれば、「都督」の尊称で呼ばなくてはならない。いくら相手が下級生といえども、例外ではないはずで、まして韓当であればそのあたりの礼儀をきちんと弁えている。 それがあえて綽名を呼び捨てるという行為に及んでいるあたり、彼女もかなり腹に据えかねているものがあるとわかる。 「ここに居るのは、皆一様に長湖部の命運を賭け、一身を顧みない覚悟でやってきている娘たちよ。ましてや私や幼平、文珪なんかは、緒戦の恥を雪ぐため、玉砕も辞さない覚悟で居る。特に計略も無く、待機せよなんて言われて、収まりがつくと思う?」 「お気持ちは解りますが先輩、良くお考えになってください。ここで私達が無策のまま玉砕覚悟で決戦を挑み、僥倖にも勝利を得ればそれで良いかもしれませんし、そのほうが簡単でしょう。しかし、敗北は破滅に直結します。こちらで我々が持ちこたえ、その間に相手の破綻を見出し、そこを突く事が出来れば一戦にして、より安全に勝利を得ることが出来ます」 「しかし、その間に劉備たちが兵を引けば?」 「ありえないことだとは思いますが、そうなればこれ以上ない幸運です」 その一言に、場はどよめく。駄目だ、コイツはといわんばかりの嘲笑もあがる。陸遜の表情は相変わらずだったが、傍に立っていた駱統と、意見の為に正面に立っていた韓当はその変化に気付いた。 何かメモを取ろうとしていたのか、持っていたボールペンが…いやその根元、陸遜の両拳が震えていた。 次の瞬間、ボールペンは派手な音を立てて真っ二つに折れ、陸遜の形相は夜叉の如く豹変した。 「お黙りなさいッ!」 卓を叩いて立ち上がり、そう叫んで凄まじい形相で睨み付ける少女の迫力の前に、呆気に取られた諸将は思わずそちらを振り向いた。普段の彼女を知るものであれば、尚更にそのギャップで固まっている。 キャンプ以来、陸遜と親しくしている丁奉も、親友である駱統も、陸遜のそんな表情を見るのは初めてのことだった。 「私は一書生の身ながら、此度大命を拝して部長に代わって貴女方に令を下す立場にあります! これ以上の"異論"に対しては、何者であろうと、この大将旗の元に処断し軍律を明らかとします!」 凛とした良く通る声と、毅然とした態度には「虎の威を借る狐」なんて形容は出て来そうにない。その迫力に不覚にも怯んだ諸将は、未だ釈然としない表情をしながら、静かに退出していった。 ただ、陸遜当人と駱統、そして韓当の三名を除いて。 机に叩きつけていた右の掌からは、既に血が滲んできていた。慌てた駱統が薬箱を取りに部屋を飛び出したところで、ようやく韓当が口を開いた。 「…あなたにも、あんな表情(かお)が出来たのね」 「……まだ何か、御用ですか?」 昂ぶった感情がいまだに収まらないのか、陸遜の表情は険しい。陸遜の警戒はまだ解けない…そう感じた韓当は、不意に表情を緩めた。 「正直、納得がいかないのは確かよ。あなたが去年の夏合宿の一件以来、公瑾に嫌われていたのを知らないわけじゃない。でも、この局面においてあえてあなたの名前が出てきたことを考えれば…公覆も徳謀も、去年の赤壁の時にあえて公瑾に歯向かってみせて大略を成し遂げたことを思い出したのよ」 「えっ…?」 「最後の最後になって、やっと私にもそのお鉢が回ってきた、と受け取るべきなのかしらね」 韓当は自分のポケットからハンカチを取り出し、彼女の右手にそれを巻いた。戸惑う陸遜だったが、彼女の真意を察して、ようやく表情を緩めた。 目の端には僅かに涙も滲んでいたが、それは掌の痛みからではない。 「…ごめんなさい、です。私みたいな娘が来たことで…」 「そんなこと、言うものじゃないわ。で、私は…何をすればいい?」 「このままで構いません。私に対して諸将が不満を抱きつづけ、先輩を中心にしてまとまりを持っている状態を見れば、劉備さんの油断を確実に誘えます。その後は…」 「…勝算は、あるのね?」 小さく頷く。その目には、己のプランに対する絶対的な自信と、確信があった。 「かつて関羽さんが使おうとした発煙筒と、"風"を使います。この時期、必ず吹いてくる、春を呼ぶ嵐を」 陸遜の告げた一言に、韓当は納得のいった表情で頷く。 「!…そういう事…解ったわ。なら私は、あなたの思惑通りに動いてみる。このことはもちろん、口外無用よね?」 「はい…ご迷惑をお掛けします」 「いいのよ。けど、本当に"来る"の?」 韓当は、当然の疑問をぶつけた。微妙なずれはあるが、この時期にもお決まりの自然現象が起こる。それが長湖部にとって、確実な"春を呼ぶもの"になるだろう。 しかし、自然というものは気まぐれである。人間の小賢しい頭でコントロールできるようなものでないことは、ウォータースポーツに勤しむ彼女等にとってはわかりきったことであるが…。 「雲の流れ、長湖の波の動きを見る限り、間違いないと思います。流石にこればかりは、孔明さんといえども手出しできないと思いますから…期日は、来月の頭」 「一週間か…永いわねぇ」 冬と春の微妙な境目にあるこの時期の、まだ多分に寒々とした色を湛える茜空を眺めながら、韓当はそう呟いた。
518:海月 亮 2004/12/20(月) 22:07 「陸遜? 誰や、ソイツは」 長湖部の総大将が代わった、と言う報告は、夷陵に程近い馬鞍山に仮設テントを張る帰宅部連合の本陣にも届いていた。その総大将の名を聞き、帰宅部連合総帥・劉備は首をかしげた。 この局面において、わざわざ総大将に抜擢するほどなのだから、それなりに出来た人物だとは思うのだが…幕中の帰宅部連合幹部達も、誰一人として知らないようだった。 「まぁ、だぁれも名前知らへんようなヤツなら、どうせ大したモンやないやろなぁ」 「そんなことありません! 孫権さんは、思い切った人選をしてきたようです」 本陣の大きなテントの幕を開けて飛び込んできたのは、南郡の実力者達の調略に動いていた馬良であった。 「お、季常やんか。いつ戻ったん?」 「たった今です。長湖の司令官が代わったと聞いて、慌てて戻ってきたんですが」 「へぇ…あんたが慌てるくらいなら、相当なモンなんやろな。でも、まったくそんな名前、聞いたことあらへんけど」 「確かに陸遜さんは、今までは長湖部のいちマネージャーでしかありませんでした。どういう経緯からかは存じませんが、周瑜さんからは随分と嫌われていたようです。そのために、あまり重用はされなかったそうですが」 「ふ〜ん…あ、そや思い出した。もしかして、ウチが長湖部に遊び行ったとき、そんな名前のヤツが公瑾はんの傍をウロチョロしとったかも知れへん。確か…こんな感じの娘やなかったかな?」 劉備ははっと思い出したように、手を打った。周瑜の謀略で長湖部に招待されたときに見た、周瑜に睨まれて退散していた気の弱そうな少女の顔が、彼女の脳裏に浮かんだ。 置いてあった紙の裏に、彼女が3年間の同人生活で培った画力は、そこに正確な陸遜の似顔絵を描いていく。それを見た馬良は、何時もながらの劉備の腕に感服し、頷いた。 「ええ、その娘です。私が江陵で面会した人相と一致します」 「そないなヤツなら、尚更大したこっちゃないんやないか?」 「いいえ、早くから山越高校との折衝術において長湖幹部でも彼女に一目置くものは多いです。そして何より、呂蒙さんは彼女の才覚を見抜き、実は荊州学区攻略の際の戦略は呂蒙さんの立案というより、陸遜さんの知嚢から出たものといっても、決して過言ではないのです。私にとっても、不覚でした」 「なんやて…!」 いままで軽く聞き流していた劉備だったが、それを聞いたとたんに、わずかに眦を吊り上げた。 「せや何か、その陸遜こそが、関さん追い落とした真犯人とちゃうねんか!?」 「そう考えても、宜しいかも知れません」 「何で早よそれを言わんのや! せやったら、即座に出てヒネリ潰したるモンを…」 「それは早計です。彼女の才能は、決して周瑜さん、呂蒙さんに劣りません…いえむしろ、この二人以上の強敵です。軽々しく出ては…」 「ふん! いくら能力がおっても、実際他の連中に舐められて、統率出来てへんゆうやないか。そんなん恐れるに足らんわい!」 興奮して息巻く劉備の姿に、もはや馬良にも止めるべき言葉が出てこない。劉備は今までの経験からしっかり相手の陣に間諜を放っており、敵陣の様子をうかがわせていたようだが、今回はそれが見事に裏目に出ているようだった。 その翌日、劉備の号令の元、先陣は長湖部の先陣近くまで移動した。しかし、相手の陣があまりにも静か過ぎ、挑発にも乗ってこない。流石の劉備も、相手の異常な静けさに不気味なモノを感じたらしい。 「ち…そっちがそのつもりなら、こっちも持久戦や。思いっきり威圧してくれて、ビビッて出てきたところを粉砕してやろやないか…!」 しかし、長湖部の陣はまったく動きを見せない。いや、正確には周泰、潘璋などといった血の気の多い連中が、時折陸遜のもとへ駆け込んで、ひと悶着起こしているという報告が入ってきている。 それにすっかり安心したのか、劉備は諸将の言葉を容れ、まだ春の遠いことを示す冷たい風を避ける場所へ陣を動かすことを許可した。 なんとも言えぬ不安を抱いた馬良は、たまらず劉備に進言した。 「今の陣立てにしてしまっては、敵に何かしらの計があった場合反応が鈍くなるのでは?」 「敵も寒いんは一緒や。せやったらこっちはそれをなるべく避け、鋭気を養おってコトや」 「それも一理ありますが…なにか嫌な予感がしてなりません。今、孔明さんが漢中アスレチックに出張ってきているそうなので、現状に対する意見を聞いておこうと思うのですが」 劉備はふっと、溜め息をついた。 「心配性やな、季常は。まぁええわ、孔明が近くにおるなら、近況を教えてやっといてもええかもな」 「ありがとうございます」 一例をして退出した馬良は、地図に敵味方の陣立てを書き込み、なにやら一筆したためるとそれ一式を封筒に詰め、呼びつけた少女にそれを手渡した。 「一刻も早く、孔明に届けて。なんだか嫌な予感がする」 「はい」 そのやり取りは、まさに陸遜が決行を予言した、その当日の出来事であった。 風はないが、雲の流れは速い。同じ空を陸口の空から眺めていた陸遜は、力強く頷いた。 「公緒、皆を呼んで。かねてからの計画を実行にうつす時が来たわ」 傍らの駱統に振り向いたその表情は、自信に満ちながらも、微塵の油断もない。長湖部の命運を背負って立つ、総大将としての威厳が、そこにあった。
519:海月 亮 2004/12/20(月) 22:13 なんだかミョーな歌を大音響でたれ流しながら、漢中アスレチックの管理人棟の一室にソイツはいた。 目鼻の整った顔、軽くウェーブのかかったセミロングの髪、そして白衣をまとった上からでもわかる、高校生離れしたプロポーション。 黙ってさえいればほとんどの人間が「美人」と呼ぶだろうその人は、しかして蒼天学園"最凶"の名をほしいままにする奇人、帰宅部連合ナンバー2の鬼才・諸葛亮、綽名を孔明である。 彼女の趣味でその部屋に取り付けられた、部屋の殺風景さから見るとどう考えても不似合いな、豪華なダブル・ベッドに寝転びながら、その脇に山と積まれたアニメ雑誌、ゲーム雑誌の類を貪るように読んでいた。 恐らくは、次のイベントで描く同人誌のネタを、そこから探しているのだろう。既存の人気作品にこだわらず、常に新しいところから読者のニーズに応える作品を生み出す…これが、彼女や劉備のポリシーでもある…と、考えているのは恐らく当人だけではなかろうか。 そんな彼女の一時をぶち壊しにしたのは、前線からやってきた一通の封筒だった。 「ふむふむ、これはまいすてでぃ・季常からのラブレターというわけだな。我輩との関係であれば、メールのひとつでも事足りるというのに…」 やれやれ、と肩を竦めて、少女から封筒を受け取る。先ずは、手紙に目を通す。手紙にいわく。 長湖部の総大将は陸遜が抜擢されている。 長湖諸将は弱輩の彼女を侮っており、我が総帥以下殆どの者がまるで無警戒の状態だ。 恐らくは、これこそが彼女の狙いだと思われる。 乞う、総帥は君の忠告にならば耳を貸すかもしれない。 あわせて、敵味方の現状の陣図も送る。 そのとき、諸葛亮の顔が一変する。封筒から乱暴に地図を引っ張り出し、広げ… 「……何よ、これ…っ」 諸葛亮の顔が、これとわかるくらいに青ざめた。 「マズい、これはマズすぎる! 一体何処のどいつよ、こんな陣立て献策した大馬鹿は!」 「え?…えっとこれは、総帥自らのご立案で…」 その言葉を聞いていたのかいないのか、諸葛亮は窓から劉備たちのいるあたりを眺めた。雲の流れが速い。その向きを見れば、長湖部の陣から劉備たちのいる陣に向けて流れている。その顔は何時になく真面目で、悲嘆の色が伺える。 「これでは…あぁ、我等の大望も、此処までなのかもしれない」 「え…あの、孔明さん…どうしてそんなコトを仰るんですか? 見たところ、相手は与し易く…」 「そこが大問題なのよ。私が長湖部に遊びに行ってたとき、あの娘に直に会って、その人となりはよく知ってるわ…確かに彼女は一見周瑜に詰られるだけのつまんない娘に見える…けど、あれは多分見せかけだわ。あの娘が山越折衝で開花させた能力は本物よ」 先程の諸葛亮の絶叫を耳にしたのか、彼女にくっついて漢中に来ていた楊儀が口をはさむ。 「あたしにはそんな、大騒ぎするような娘には思えませんけどねぇ…荊州の一件だって、ほとんどは呂蒙の手柄でしょ?」 「理由は知らないけど、そう見せかけているだけよ。あの娘はもう多分、行動を開始している。恐らくは一部の連中が陸遜の考えを読み取って、あえて陣内に不和を掻き立てているかもしれない。それに、この陣立て、相手がこれから来る"モノ"を戦略に練りこんでいたなら、多分一人として無事に戻ってこれない…今から止めに行っても、多分手遅れだわ」 そこまで言われて、楊儀も気付いた。 「まさか…今年の春一番」 「それに雲長さんが緊急連絡用に残した大量の発煙筒…多分、気づいてるでしょうね」 かつて関羽が荊州学区に君臨していた頃、彼女は陸口に詰めていた呂蒙の侵攻を警戒し、狼煙による連絡網を完備していた。その設備がそっくり、長湖部に接収されていることは、想像に難くない。 それに発煙筒の使い道は、連絡のためだけではない。数が集まれば、立派な目くらましになる。長湖部は風上から風下に攻めれば煙の影響を受けにくいので、有利になるのだ。 そこまでいわれ、連絡係を仰せつかった少女は、ようやく事の重大さに気付いた。 「…そんな…じゃあもし、私が戻ったときに本陣が崩れていたら」 「戻る必要はないわ…多分、今から戻っても無駄。あなたはすぐに江州棟の子龍のトコへいって、玄徳様を迎えに行くように指示して」 「で、でも、相手がそこまで追って来たら」 「大丈夫。多分、それ以上は踏み込んでこれない…それどころか、上手くいけば頭痛の種がひとつ消える」 「え? どうして?」 妙に確信に満ちた顔で、諸葛亮は笑みを浮かべる。その顔には、いつのまにか普段の表情が戻り…そしていかにも絵に描いたような、悪代官の笑みを浮かべていた。 「そのときが来れば解る…ニヤソ」 釈然としない少女だったが、不意にまた真面目な顔に戻った諸葛亮に命令書を託され、少女は自転車に飛び乗ると江州棟を目指した。日は大きく西に傾いている。 ふと、劉備の陣の方向を見ると、うっすらと黒煙があがっているのが見える。事態の異常さを再確認した少女は、自転車をこぐスピードをあげていた。皮肉なことに、吹き始めた強烈な春一番が、彼女の助けとなった。 -------------------------------------------------------------- ここまでが、現時点で推敲が終わった部分です。六部構成の前半部分が丁度終わってますね。 何気にここから玉川様の「春の嵐」へ読み継いで貰った方が無難かも… 実は三部の主役は、陸遜と見せかけて韓当とかいうウワサ(w
520:北畠蒼陽 2005/01/21(金) 21:30 [nworo@hotmail.com] -覇者と英雄(1/4)- 「あら、おいしい」 袁紹が少し驚いたように箸を止めた。 世界有数の名門、袁ファミリーお抱えの料理人の手によるものである。不味いわけがない。ないのだが…… 「なかなか上質の和牛が手に入りましたもので……」 慇懃に料理人が頭を下げる。 袁ファミリーの厨房を預かる人間をして『上質』と言わしめるその素材の味はいかばかりか。 もちろん値段も庶民的なものではないであろう。 「ふ、ん」 袁紹は少し感心したように皿の上の料理を見た。 料理人のセンスをうかがわせる上品なもりつけに袁紹好みの薄味。 不意に袁紹は箸を置いて立ち上がった。 「え、袁紹様。なにかお気に召さないことでも……?」 狼狽する料理人に袁紹は大輪の笑顔を見せる。 「その逆。すごくおいしい。すごくおいしいから……」 袁紹は言葉を切り、傍らに控える張コウに声をかけた。 「車を出してちょうだい。曹操にこれを食べさせてやりたくなったから」 曹操と袁紹が対立を始めて久しい。 学園最大手新聞『蒼天通信』を掌握した曹操と冀州校区の覇者でありまさに最強の勢力を誇る袁紹。 その対立こそ学園の事実上の最高峰へと登る道であった。
521:北畠蒼陽 2005/01/21(金) 21:31 [nworo@hotmail.com] -覇者と英雄(2/4)- 「も、孟徳ッ!」 「……う、にゃあ!?」 夢の中で泣きながら電子レンジの塩焼きを食べることを強制されていた曹操はその慌てたような声に叩き起こされた。 時計を見る。 ……布団にはいってから1時間ほどである。 曹操は恨めしげに自分を叩き起こした隻眼の少女……夏侯惇にいった。 「いい夢見てたのに……それに寝てから1時間って起こされると一番つらいんだけど……」 本当に『いい夢』だったのかはよく思い出せないが。 「ばッ……! それどころじゃない! 袁紹が今、本陣のすぐそばまでやってきてるんだッ!」 「……ふぇ?」 曹操はぼ〜っと瞬きをした。 「久しぶり」 夜闇を照らす月明かりの中の袁紹の笑顔に曹操は苦笑する。 袁紹が今、いるのは自分の陣の前だ。 今、自分が『かかれ』と一言言えばいかに袁紹といえどもひとたまりもないだろう。 現に曹操側の面々は曹操のその『ヒトコト』を待ってじりじりしている様子が見て取れる。 今は敵味方に別れてはいるが曹操と袁紹は幼馴染だった。袁紹のその口調はまったくその当時のままだった。 今のこんな現状でも昔のままでいる袁紹を曹操はほんのちょっとだけすごいと思った。 「今日はうちの料理人がいい素材、手に入れたんでね。おすそ分け」 曹操は不審を顔に浮かべた。 「まさか電子レンジ?」 「……は?」 「いや、なんでもない。忘れて」 袁紹はなにを言っているのかわからない、という顔をしばらくしていたがすぐに肩をすくめてぱちん、と指を鳴らす。 曹操側の面々が『おぉ〜』と控えめな歓声を上げた。 「おすそ分け……昔はよくやったでしょ」 袁紹はくすり、と笑う。
522:北畠蒼陽 2005/01/21(金) 21:32 [nworo@hotmail.com] -覇者と英雄(3/4)- 運び込まれる肉の塊をちら、と横目で見て曹操は袁紹になんとなく、の疑問をぶつけた。 「袁紹は私が憎くないの?」 月が雲に隠れ、完全な闇があたりを包み込む。 一瞬の無言。 そして…… 「……ぷっ」 袁紹の吹き出すような声。 「なッ……まじめに聞いたんだぞー!」 「ごめんごめん」 そう言いながらも袁紹はおかしそうに目じりをぬぐいながら…… 「バカね、孟徳。あなたのことが憎いわけなんかない」 曹操はその言葉に衝撃を受けたように黙り込む。 その様子に気付いているのか気付いていないのか、袁紹は微笑みながら言葉を継いだ。 「私は次期蒼天会長になる。そして孟徳、あなたは私が誤ったらそれを正しい方向へと導く大事な人間。憎むはずがないじゃない」 「じゃあ……今は……」 呆然と声を震わせながら曹操が問いを口に乗せる。 「そうね……」 袁紹が少し考えこみ……そして悪戯っぽく微笑んだ。 「かわいい部下との武力を使ったレクリエーション、ってところかしら」 曹操は完全に黙り込んだ。 そして袁紹がその場を立ち去るまで身動き一つしなかった。
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