★しょーとれんじすと〜り〜スレッド★
513:海月 亮2004/12/20(月) 21:52AAS
日はすっかり落ち、何時しか、病室の電灯に明かりが灯っていた。時計は、5時半を少しまわっていたので、本来ならとっくに面会時間は過ぎていたはずだ。恐らくは、孫権が入ってくる時に職員に頼み込んだか何かしたのかもしれない。
そこには少女三人を中心に、沈黙があるだけだった。いったい最後の言葉から、どのくらいの時間が経っていたのだろう。その沈黙を突き破るように、(カン)沢は心なしか重くなったような、自分の口をようやく開いた。
「そうだったんですか…」
まるで独り言のように、そう言うのが精一杯だった。彼女の聡明さは、総てを聞かずとも、その真相を完全に解き明かしていた。
陸遜のことを大切に思っていたからこそ…その才能を知りながら…自分の後継者として申し分ないと思っていたからこそ、自分と同じ道を歩ませたくなかったのだ。
おそらくは自分と魯粛の跡目についた呂蒙の末路を聞き及び、その想いを一層強くしていたのだろう。
写真に写る、この笑顔を失わせたくないと思って。
孫権は当然として、おそらくは丁奉も、このときに言い含められていたのだろう。普段丁奉が陸遜のことを「仲のいい先輩」程度にしか言っていないのが、その証拠だ。
誰もがその実力を知る周瑜が皆の前で大げさに陸遜を避けて、その才能を大仰に過小評価しておけば、そんな辛い道へ引き込ませずに済む。陸遜もそんな周瑜の優しさを知って、あえて昼行灯を演じていたのかもしれない。思い返してみれば…。
「だからこそ、荊州攻略の後、かえって伯言は沈んでいたんですね…あなたを悲しませたことを、気に病んでいたから…あなたの心に反して、自分の名を高めてしまったと思ったからこそ」
だからこそ、しつこいくらいにへりくだって、それを呂蒙の功績として称えていたのだろう。
一瞬の沈黙をおいて、周瑜も口を開いた。
「…問題は他にもあるわ…ウチの娘達は、荒くればかりだと思えば、実は目敏い娘も結構いるでしょ? 子敬とか、あなたのように」
そう言って上げた周瑜の顔は、泣き腫らしたと見えて何時もの凛とした表情は何処にもない。
「そういった人たちが、あの娘の真の才能を見抜いてしまうのが怖かった。山越の連中との折衝云々にしても、本当は見事な外交手腕だと思っていた。でも、それをあえてひどい言葉で濁したのは、辛かったわ…でも子敬の場合、私のそんなところまで見抜いていたみたい」
ありうるかもしれない、と(カン)沢は思った。彼女の考えでは、長湖部で一番の目利きは、多分魯粛であろう。
ましてや魯粛は周瑜と仲が良い。気心の知れた友人の心の機微を読むとなれば、朝飯前だろう。
「だから子敬が、自分も伯言の名前を出さない、って言ってくれた時、正直ほっとした。子布先輩に仲翔、子瑜、元歎にすら、騙せ遂せたと思ってから」
確かに、一癖も二癖もあるが、張昭や虞翻、諸葛瑾に顧雍といった連中は、人を見る目は確かである。
もし周瑜が何もしていなければ、いずれその中の誰かしらが陸遜の類稀な才能に気づき、強く推挙したかも知れない。
特に、発言力の強い(というか、言い返せるものが居ない)張昭が言い出せば、即決定事項だ。
何も起こらないままなら陸遜は、以降もうだつのあがらない長湖部のいちマネージャーとして平凡に学園生活を送り、卒業していくのかもしれない。それが、周瑜や孫権の願いでもあったのだろう。
「だから…徳潤。あなたにも黙っていて欲しいの…御願いだから…あの娘に、そんな過酷な道を歩ませないで…」
その言葉の最後は、嗚咽に霞む。縋り付くように懇願する周瑜の姿に、(カン)沢は胸が締め付けられるようになった。
できるなら、彼女の懇願を受け入れ、自分も知らん顔をしていたいと、そう思った。これが普段の平穏な長湖部における、次期副部長を決めるとか言う話であれば、(カン)沢は一も二もなく、それを受け入れたことだろう。
でも、今は違う。多くの先人達の血と汗と涙で築きあげ、以降も陸遜がその一員として過ごしていくだろう長湖部存続の危機だ。その窮地を救える者もまた、彼女しか居ないのならば…彼女が、それを望んでいることを、知っているから。
(カン)沢は、周瑜の体をそっと立て直すと、その目を見つめ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「でも…それでも、今の長湖部には伯言の力が必要なんだと思います。あいつも言っていましたよ…あなたや他の先輩達が築き上げてきた長湖部を、失いたくないって…そのために、何も出来ない自分が悔しい…って」
「!」
「上手くいえないけど…あいつはあいつなりに、自分が何も出来ずにいる現状を、歯噛みしているんだと思いますよ…あなたや部長を、本当に大切な仲間だって…思っているから。それを、護りたいと思ってるから」
「徳潤…」
「だから…恨んでくれても構いません、公瑾さん、部長…あたしは、明日の会議で、伯言を推挙する。あの娘の決意を、無駄にしないためにも」
決意を秘めた視線が、二人の視線と交錯する。ここにいる彼女だけでなく、この場にはいない陸遜の想いさえも、その眼差しに込められているように思えた。孫権と周瑜は、一瞬視線を交わし、覚悟を決めたように頷いた。
「………………時がきた、ということかしらね。それが、あの娘の宿命だというなら」
「ボクの心も決まったよ…徳潤、キミの良いようにはからって頂戴」
悲しげに満ちた、決意の表情だった。
(カン)沢は、そんなふたりに対して、深々と一礼した。
その瞳から零れた一滴の涙は、まるで彼女の心の痛みをあらわしているかのようだった。
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