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614:海月 亮 2005/03/16(水) 21:21 -銀幡流儀- そのに 「混沌の中の純潔」 「…くっ!」 執務室から離れて一人、凌統は壁に拳を打ち付けた。 惨めだった。 蒼天生徒会が誇る"鬼姫"張遼が、その威名だけで戦場を引っ掻き回していたあの日。凌統はすべての部下を戦闘で失い、蒼天生徒会五主将の一角・楽進を破るもその階級章を手にしたわけでもない。 残ったのは、全治一ヶ月の大怪我で戦える状態にない自分自身と…尊敬する姉から課外活動の舞台を奪い去った怨敵・甘寧の功績に対する見苦しいまでの嫉妬心。 「ちくしょう…ちくしょぉぉッ!」 獣の如き雄叫び…いや、慟哭の叫び声とともに繰り出される拳が、壁に自身の血を染め付けていく。 それでも、彼女はその行為を止めようとしない。拳は既に血にまみれ、一振りするごとに鮮血が舞う。 不意に、その手が掴まれた。 「………止めとけ」 「…ッ!」 振り向くと、其処には甘寧が居た。 振り解こうとするが、怪我の為に身体に巧く力が入らない。もっとも、万全の状態でも凌統が甘寧の力でねじ伏せられた場合抜け出すことはほぼ不可能だった。 「離せッ!」 もう片方の拳で甘寧の顔を殴りつけようとするが、それもあっさり止められてしまう。 そんな凌統を見つめる甘寧の眼は、何時ものそれではなく…酷く、哀しい眼だった。 その眼が、まるで自分を哀れんでいるように思えた。 その眼差しに、心の中を満たした悔しさと嫉妬が、暴れ狂うのがわかった。 「ちくしょう…さぞかし気分がいいだろうな! あたしはこの有様で、貴様は立派に面目を躍如して見せた! どうせこの負け犬みたいなあたしを嘲笑いに来たんだろうが!」 甘寧は無言だ。普段なら嫌味のひとつでも返してきそうな彼女がそんな態度をみせているのが、激昂した凌統をさらに苛立たせていた。 「何とか云えよッ!」 「なぁ凌…いや、公績」 不意に、自分のことを字で呼ばれ、凌統は驚いた。 本名でなく、字で呼ぶのは一種の礼儀である。自分のことを煙たがっていると思っていた甘寧が、自分に対して礼儀を払ってくれたことが、凌統には意外なことだった。 「お前が俺の行動に対して何思おうが勝手だ。確かに何時も何時もお前が突っかかってくるのは面倒じゃあったが…本音、嬉しくもあった」 「…え?」 「知っての通り、俺は不良上がりのはみ出し者だ。チームの頃からの仲間ならともかく、どいつもこいつも俺のことを怖がりこそすれ、親しく付き合ってくれるヤツなんて殆ど居なかったし、俺が不良上がりってことで馬鹿にするヤツだっていた」 甘寧の眼差しは、変わらない。凌統も、こんな甘寧を見るのは初めてのことだ。 「俺も俺で、そうやって意味なく怖がったり馬鹿にしたりするヤツ…お前のことだってうぜぇと思ってたのは確かだよ。だがな、思い返してみれば、それでも俺をかまってくれたのは子明さんと子敬と承淵、あとはお前くらいだって、気づいたんだ」 そう言って、寂しそうに微笑んでみせる甘寧。何時しか、凌統の心を満たしていたはずの負の感情は消え失せ、その一言一言に聞き入っていた。 「公績…お前が俺のことを嫌いだというなら、それでも構わない。でも、お前にもしものことがあって、俺に突っかかってこれなくなったら…やっぱり寂しいんだ」 甘寧は掴んでいた凌統の両腕を解放する。凌統は、自身の血で濡れた拳を、所在無さ気に下ろした。 「…言いたい事は以上だ。その怪我、ちゃんと診て貰えよ。じゃな」 それだけ言うと、甘寧は羽飾りを翻し、その場を立ち去っていった。 凌統には、その背中が、何時もよりずっと弱々しいものに見えていた。 「…公績さん」 はっとして振り返ると、そこには孫権の姿があった。どうやら、孫権も凌統の様子にただならぬものを感じ取って後を追ってきたようだった。 「公績さんの気持ちも、よく解るよ…でもね、興覇さんの気持ちも、すこし考えてあげて…」 泣きそうな顔でそう告げる孫権に、凌統は俯いたまま、無言でその場を立ち去っていった。 あの後、凌統は部屋の中で、今日あったことをずっと思い返していた。 姉の仇。不倶戴天の敵。打ち倒すべき相手。今日、自暴自棄になっていた自分を止めてくれた甘寧は、それまで自分が抱いていたどんな甘寧のイメージにも当てはまらないものだった。 (あいつは…あたしのことを純粋に心配してくれていた) 一番遠いところに居たと思っていた存在が、実は一番近いところに居たことを知って、正直、凌統は戸惑っていた。包帯の巻かれた両拳を見つめると、甘寧と孫権の言葉が、頭の中で繰り返される。 -お前にもしものことがあって、俺に突っかかってこれなくなったら…やっぱり寂しいんだ- -興覇さんの気持ちも、少し考えてあげて- 何時もなら、顔を思い浮かべるたびに不快感を覚えるというのに。 (あいつの力なら、何時でもあたし一人潰すくらいわけないのに…あいつが、あんなふうに考えてたなんて…なのに、あたしは…!) 初めて相対した舞台は、去年の年明けにあった長湖部体験入部。その大舞台で、"銀幡"の演舞に踊りこんだ自分が、衆人環視の前で敵対宣言したのが初め。それ以来、凌統は甘寧を敵視し、逆もまた然りだった…はずだった。 何時から、甘寧の中でそれが違ってきたんだろう。 自分は、変わることがなかったというのに… (違う…あたしは、最初はそんなこと、思ってなかった) (あたしは…彼女を…甘興覇を超えようと、そう思ったんじゃないか…) 凌統は、そんな自分の愚かしさに、ただ涙を流すのだった。 翌日。 「こぉの恥知らずの外道どもがぁぁ! あたし達の怒り、思い知れぇぇ!」 先鋒軍の先頭に、普段はバットを持つ手で竹刀をぶん回しながら、長湖部の軍勢に突っ込んでいくのは満寵。何時ものぽやんとした温和そのものの表情は何処にもなく、こめかみに青筋すら浮かばせ、憤怒を露に次々と長湖部員を薙ぎ払っていく。 「旗なんて飾りに過ぎねぇけどなぁぁ! ヤツらの奪ったのはあたし達の魂だぁぁ!」 「このあたしがついていながら! このザマは何事だぁぁ!」 その左翼から曹仁、右翼から夏候惇も怒号とともに突撃をかける。 蒼天会旗を奪われたことは、やはりというか、蒼天会の主将たちにも大きな衝撃を与えていた。もっとも彼女達の怒りは、「会旗を奪われた」と言うことではなく、むしろ「会旗の近くにいた曹操を危険に晒してしまった」ことによるものである。 更に言えば、曹操に危害らしい危害を与えず、自分達を小馬鹿にするかのような、そんな行為に対する怒りでもあった。 「あ〜むっかつく〜! 大体ブレーカー周りを無防備にさらしすぎだっつーの!」 蒼天会本陣・合肥棟の屋上で戦況を眺める曹操も、悔しそうに地団駄を踏んだ。後ろに侍した劉曄がぼんやりした表情で呟く。 「…今回の件が帰宅部連合へ知られれば、彼女達も何処かの局面で使ってくるかもしれません」 「解ってるわよそんなことっ。ねぇ子揚、何か対策とかできない?」 「前々から申し上げていると思いますが…やはり本来の電源とは別に存在する、各棟の予備電源の復旧作業を早めるべきでしょう」 「そ〜ね〜…」 曹操はふと、怪訝そうな表情で劉曄のほうを振り向いた。 「…ちょっと待て…何時言ったんだよ、そんなコト? てかそんなのあったの?」 「…………ごめんなさい、知ってると思ってました」 ぼんやりした顔のまま、劉曄は悪びれることなくさらっと言った。 実は蒼天学園の各学区には、棟ごとに緊急時の予備電源が存在するのだが…黄巾党蜂起のドサクサで学園全体にある八割以上の棟で予備電源が壊され、二年以上経った現在もそのままである。メイン電源の安全性が良過ぎる為にほとんど支障は出ず、それゆえに直されもせず放っておかれたのだ。 そんな説明を受けた曹操は、 「そんなの初めて聞いたよ…つーか何で誰もそんなこと言わなかったのよぅ?」 「さぁ…」 同じ表情のまま小首を傾げる劉曄に、曹操も呆れ顔になる。 「まぁいいや、知ったからにはどうにかしなきゃなんないわね。次の生徒会会議で優先事項として審議にかけないと…とりあえず勢力境界線にある合肥や襄陽、長安あたりのを速攻で直しておきたいわね〜」 なにやら懐からメモ帳を取り出し、メモをとりだした曹操の姿を見ながら、劉曄は相も変わらずぼんやりと突っ立っていた。
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