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634:海月 亮 2005/05/24(火) 22:23 「兵を借りたい?」 「ええ」 それからすぐ、孫策は袁術に面会の約束を取り付け、会うなりそう切り出した。 「従姉妹の呉景たちが今、丹陽地区で劉ヨウの圧力に苦しめられているのを、助けてやりたいんです。貴方にとっても、劉ヨウは勢力拡大の障害。悪い提案ではないと思いますけど」 ふぅん、と怪訝そうに鼻を鳴らす袁術。袁術としても、勢力拡大の手駒として孫策の存在は魅力的であったに違いない。 しかし、孫策の能力を知っているだけに、あまり大きな力を持たせるのは危険であることも、袁術は理解していた。このあたり、袁術がただのタカビーお嬢様ではないことを良く物語っているが…同時に、それが彼女の器の限界でもあった。 「でもねぇ…今徐州攻めの計画が進行中で、余分な労力を割く余裕なんてないですわ」 「ほんの数人で構いません。あとは、道すがら頭数を集めますから」 「う〜ん」 あくまでとぼけた感じで答えを渋る袁術。しかし、孫策にとってはそんなことも想定内の反応だ。 「まぁ、ご信用ならないのも無理もない話です。こちらもただで、とは申しませんよ。あたしの姉がかつて洛陽棟に一番乗りを果たした際、校舎の片隅で見つけた蒼天会のマスターキー、質として献上いたしましょう」 懐から袋を取り出し、中から一枚のカードキーを捧げ出す。 それを見た瞬間、袁術の顔は瞬時に綻んだ。 「え? 私にこれを?」 「歯牙無い居候の身が持っていても役に立たないものです。これを代賞とし、是非貴方の厚恩に対する恩返しの機会を与えていただければ、それ以上のことはありません」 その、由緒ある品物を手渡された袁術は、もはやそれを手に入れた喜びで頭が一杯になりかけていた。辛うじて保っていた僅かな理性でも、長湖周辺地区の勢力を孫策が平らげきれないだろうという考えしか出てこなかった。 「仕方ないですわね〜…でしたら、部下として三十名、貴方に預けて差し上げますわ。それに今確か、蒼天学園水泳部長のポストが空いていた筈…蒼天会に掛け合って、そのポストに就けるよう、取り計らいますわ。そうすれば、討伐遠征主将としての名目も立ちますわね?」 「勿論です…破格の待遇、痛み入ります」 恭しく一礼する孫策、その顔には「してやったり」の表情が張り付いていた。 「はぁ!? あんたいったい、何考えてるのよっ!」 水泳部長の認定を表すバッジを階級章の脇につけた孫策を迎えた朱治の第一声が、それだった。 「随分な言われ様だなぁ…要らないものを要るものに変えてもらっただけだぜ、あたしは」 「だからって…だからって何も蒼天会のマスターキーを渡すことないじゃない!」 「だって此処にいる分にはまったく使い道なんてないし、思いうかばないし」 孫策の言うことも、あんまりといえばあんまりな言葉である。 蒼天会のマスターキーといえば、東西南北へ広大に広がる蒼天学園都市の、いわば最大権力者の証。確かに司隷特別校区から遠く離れた一校区支配者にとっては、その実際の大きさからは想像もできないほど重い。ましてやそんな一校区の支配者の下に飼われているような身分であればなおさらだ。 そう言う意味で言えば、孫策の言い分も理解できないこともない。もっとも、孫策自身はカードキー一枚“ごとき”にどうしてそんなに大騒ぎしなければならないのかあまり解っていないようだったが。 この思い切りの良さだとか、物怖じしないようなところは彼女の長所でもあることは朱治も解っている。それでも、使い方次第では“天下取りの特急券”にもなるマスターキーをこんなにあっさり手放してしまったことを惜しくも思っていた。孫策の天運、天賦を考えればなおさらのこと…朱治は心底残念そうに項垂れた。 「それにしたって…くれてやる相手が違うよ。あいつがそんなの持ったら何仕出かすか…」 だが、孫策は真顔で言った。 「あたしが欲しいのはあんなちっぽけなものじゃない…この学園の覇権、そのものだ」 「伯符…あんた」 「抜け殻になった権力の象徴なんて要らないんだ…そんなの、欲しいヤツにくれてやればいい。今の公路お嬢様にこそ、お似合いだよ」 手摺りにもたれ、掻き揚げた前髪をそっと風が薙いでいく。 「あたしは手始めに、この地に覇を唱えてみせる。姉貴がやれなかったことを、あたしは存分にやってみたい」 「…伯符」 「それにさ」 振り向いた孫策が、不意にいつもの悪戯っぽい笑みを浮かべた。 「本当に必要になれば、きっとまた戻ってくるんじゃないかな、ああいうのってさ?」 その笑顔が妙に眩しかったのは、照り返した太陽の光のせいじゃないように、朱治は思った。 その笑顔につられるように、彼女も微笑んだ。 「そうだね…あんたなら、またきっと手に入れちゃうかもね、あれくらい」 「そう言うこった」 朱治も孫策に倣って、手摺りにもたれて吹く風に身を任せてみた。 心地よい風。 「一応な、散り散りになってた連中とかにも声掛けたよ。子衡や伯海も来るし、徳謀さん達とは途中合流だ」 「そっか…じゃあまた、賑やかになるね」 「ああ、そうだな」 こんな風に、これから隣の少女が巻き起こす“風”に身を任せてみたら、きっともっと凄いだろう。 「さ、そろそろ出かけようぜ…あたし達の、天下を獲りに!」 「ええ!」 互いの拳を突き合わせた少女ふたり。 その眼下には、いくつもの水路が蒼く彩る揚州学区と、広大な長湖が広がっていた。
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