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191:雪月華2003/02/17(月) 01:43AAS
烏丸征伐反省会 その1 〜北の果ての晩餐会〜  作・雪月華

「紅茶とケーキは行き渡った?じゃあ、烏丸・袁姉妹連合(※以下、袁烏連合)征伐反省会はじめまーす!」
 曹操のよく通る声が響く。場所は幽州校区の北のはずれ。長城の外だが蒼天学園の敷地内というあいまいな地所に建つ、柳城棟の食堂付属のティーラウンジ『Willow』である。自治会によって運営されており、給仕やマネージャー、調理人まで生徒が持ち回りの当番制でこなしている。喫茶店だが、軽食も取ることができ、オススメは手作りレアチーズケーキに紅茶がついてセット価格300円。手作りなのでクセがあり、かなり好みが分かれるが、大勢の評判は良く、他の校区からも長城を越えてちょくちょく人が訪れるほどである。
 本来、この柳城棟は袁烏連合の本拠として使われていたが、袁姉妹はそれなりに風紀に気を遣っていたらしく、いくつかのバリケード以外には荒らされた形跡も無く、烏丸高校の生徒達は校外に野宿(!)させていた。故に、袁烏連合四散後も、大きな混乱も無く生徒会に接収され、半日経つ頃にはすっかり平穏になっていた。このことには、郭嘉の尽力が大きい。自治会の再編、生徒への通知などの後方勤務を恐るべき速度でこなしたのである。
 テーブルをはさむように3人がけのソファがあり、一方には曹操が中央に窓側に張遼、廊下側に許チョが。もう一方には中央に郭嘉、窓側于禁、廊下側に徐晃が座る。傍を通った給仕の一般生徒が驚きのあまりトレイを落としそうになった。全員制服姿だが、燦然と輝く一万円札紙幣章をごく自然に身に付けている一人は全校区に名だたる生徒会会長、覇王曹操孟徳その人であり、他の5人も千円札紙幣章所持者である。驚くのも無理は無かった。
 曹操はこのような反省会をよく開いた。行動を振り返り、問題点を探り出し、解決のための行動を決める。主目的はそれであるが、経費で好きなだけ飲み食いするという裏の目的もあった。とにかく、「会」がつけば経費で落とせ!が合言葉である。その経費は郭嘉が部費を農林水産省管轄のある『事業』に『投資』して『割戻』を稼いできているという話だ。正規の部費管理責任者の荀イクも「学園は今まさに乱世。平定のためなら部費くらいなんとしてでも捻出しなければ」ということで苦笑しつつ、容認している。ケーキセットで慎ましやかに始まった反省会は、曹操のプリンパフェ追加を皮切りに、一転、晩餐会の様相を呈してきた。それでも議論は中断せず、よりいっそう白熱するのが曹操軍団である。
 曹操は甘いものを中心にオーダーし、許チョはボウル一杯の杏仁豆腐をオーダー、攻略の真っ最中である。張遼はサラダをつつき、于禁はなぜかレモネードを立て続けに4杯喫している。郭嘉は食欲が無いのか、まだケーキをフォークでつつきまわしている。徐晃はよほどここのケーキが気に入ったのか、ボキャブラリーが無いのか、同じ物を注文し続けている。
「そういや会長。袁姉妹の始末つけといたぜ。さっき公孫康に会長の署名で『烏丸の残党がそっちのほうに逃げたからあとヨロシク〜☆』ってメール送っといた。6時ごろにはあの日和見もカタつけるだろうな。」
「奉孝、お見事!今回の遠征の計画といい、戦の指揮っぷりといい。深慮遠謀、神算鬼謀というべきだよねっ!」
 曹操が大仰に褒め称える。しかしその明るさにはどこか翳りがあった。近頃、郭嘉の様子がおかしい。何も無いところでけつまづいたり、ペンや箸を突然取り落とすということが頻繁にある。食欲も落ちてきているようだ。何故か陳羣が「ちょっと郭嘉。あなた最近おかしいわよ。華陀先生に診てもらったら?」と真剣に忠告している姿をよく見かける。もともと医者嫌いの郭嘉はめんどくさそうにうなずくだけで、保健室に行こうとしない。無理強いすれば反発される。もしかすると郭嘉は自分の病名を知っているのではないだろうか。それが余りにもひどい病気なので隠しているのではないだろうか。それならば医者に見せる振りでもすればこちらも余計な疑問をはさまずに済むのに。と曹操は思っている。
 議論が一区切りつくともう5時近くなっていた。ラウンジに入ったのが3時であるからたっぷり2時間は経っていることになる。うずたかく積まれた皿が片付けられ、淹れなおした紅茶を囲んでの談笑となった。そして話題は柳城で先陣を切り、敵将トウ頓を打ち倒した張遼のことに及んだ。かつて学園最強と呼ばれた呂布軍団MTB部隊の右中隊長(左は高順)を務め、その剽悍な戦い振りから「餓狼」とまで呼ばれ、呂布の次に怖れられた猛将。曹操に降伏後は剣道部に所属し、「餓狼」であることを捨て、知将としての一面を発揮し始めた良将。その風貌は…純朴な牧場の少女。その一言で表現できてしまう。
「そういえば文遠の流派って何だっけ?」と曹操。
「北辰一刀流です。一応は。父が道場を開いていて、でも道場稽古をしたのは5歳くらいまでです。基本的な型とか、防具のつけ方とか。あとは全部自己流で磨いてきました。」
「へぇー。でもなんで5歳でやめたんだ?」と郭嘉。
「父より強くなりたい。と父に言ったら、師の下で修行に励んでも師の半分に達するのがやっとだ。ということで、以後道場に出ることはほとんど無かったですね。」
「我流か。道理で動きが読みづらいわけだな。それに実戦的な動きが多い。」と于禁。
 曹操が何気なく、だが小悪魔の笑みを浮かべてつぶやいた。
「呂布んトコにいたときは毎日が実戦だったしねぇ。」
「や、やめてください会長!。その頃の話は…」
 とたんに真っ赤になってうつむく張遼。曹操が更に追い討ちをかける。
「髪型なんかすごいパンキッシュ…」
「ホントに怒りますよっ!」
 立ち上がって曹操のほうを向き、ムキになって曹操の言葉をさえぎる張遼。
「またまたぁ。いまじゃすっかり落ち着いちゃって。こんなコトしても怒んないじゃん。」
「きゃあっ!か、会長やめ…あ痛っ!」
 曹操の両腕が迅雷の速さで動き、張遼の両わき腹をくすぐる。張遼は身をよじって座り込んだ拍子に肘をテーブルにぶつけてしまい、皿とカップがテーブルの上で短いダンスを踊った。幸い、どのカップも空だったのでウェイトレスを呼ばずにすんだ。
 かすかな連続したシャッター音を于禁の耳が捉えていた。ふと窓の外に目をやるとデジカメらしきものを懐にしまっていた女生徒と目が合った。整髪量など使ったこともなさそうなぼさぼさの髪。こめかみあたりに無造作に挿した安物の髪留め。眠そうだが油断できない目。于禁は脳内の人名録の頁をたどった。該当人物が絞られてゆく。確か劉備の幕僚の、簡雍。何故こんなところに…そこまで考えたとき、すでに簡雍は近くに止めてあった自転車に飛び乗り、まっすぐに長城のほうへ走り去っていた。于禁はそれを呆然と見送るしかなかった。
 …まだ先の話だが、劉備新聞社会面にセクハラ問題の記事があげられ、「逆らえない部下に性的接触を強要する上司」との見出しでこの写真が使われることになる。抜け目無く目の部分に消しが入っており、この日の簡雍のアリバイ工作も完璧だったため、この写真が大事に発展することは無かった。

「まあ、髪形の話は置いとくとして…」
「おねがいですから忘れてください…。」
「そういえば私達が知ってる文遠と呂布って、風紀委員長だった丁原先輩の部下だった頃からなんだけど、初対面ってどんな感じだったの?」と徐晃。
「もともと呂布様と私は匈奴中学の同級生だったんです。クラスが違ったので2年次まで知り合う機会はありませんでしたが。」
 張遼は呂布の名を使うときは必ず「様」をつける。いかに尊敬していたかが伺えた。
「聞きたいなー♪そのときの話。」
「ふふっ、なんだか昔話をしたくなってきました。」
「昔って、髪型が…むぐっ!?」
 言いかけた曹操の口を絶妙のタイミングで許チョがふさぐ。曹操はしばらくぢたばたしていたがやがておとなしくなった。話の腰を折られずに済んだ張遼が懐かしそうに話し始める。

 匈奴中学。運動部高校と評される匈奴高校の付属中学のようなものであり、校風も似ている。平均偏差値は高くないが、スポーツの名門校として相当名が売れていた。男子と女子の割合が9対1という、半男子校であり、当然女子専門の部活は無い。当然男子部にマネージャーとして女子が混じることになるが、伝統なのか、女子に精強な者が多く、公式試合などでは高い実力を持つ女子を男装させて出場させることは珍しくない。全国大会への切符をつかみながらも、直前で明るみに出て、出場停止処分となる泣くに泣けないケースも年に何回か起きている。
 張遼は剣道部に所属し、呂布は当然というべきか帰宅部であった。部長が於夫羅。2年のトップは実力でいえば圧倒的に張遼だが、副部長は部長の弟の呼厨泉が務めている。1年生に劉豹がいた。だが、張遼とまともに打ち合えるものは剣道部の中にはおらず、鮮卑中学、烏丸中学への遠征試合でもこれといった相手はいなかった。そして張遼が2年生の冬。事件は起こった。
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お待たせしました。三国志で私が最も愛する勇士。張文遠主役のストーリーです。
まず岡本様にお詫びを。張遼の流派を岡本様原案の北辰一刀流から、「北辰一刀流をベースにした我流」に変えさせてもらってます(_ _ペコリ
その理由はその2を読んでいただければお分かりになるかと。
全部で4部構成くらいになると思います。
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