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255:岡本 2003/04/24(木) 02:59 ■十常侍の乱(前)■ 既に末期化していた蒼天学園連合生徒会の不甲斐無さが形に現れたのが黄巾事件とそれに触発された各地の反乱と見るならば、後の群雄割拠に示される学園騒乱の実質的な幕開けは何進のリタイアとそれによる洛陽棟の混乱−“十常侍の乱”−にあると目されることが多いだろう。 アイドルである妹の“Kai”がファンであった前蒼天会会長・劉宏とその妹・劉弁と姉妹の誓を交したことで、“垢抜けないもののちょっと愛嬌のある肉屋の看板娘”として平凡な学園ライフをおくるつもりだった何進の運命は急展開を示した。 なんと劉宏自身のご指名で、蒼天学園の実質最高責任者といってよい連合生徒会会長に推されたのである。ただ、何進自身はそれなりに頑張ってはいたものの、所詮“それなり”で、連合生徒会会長としての思考のスケールや実行力といった器量の需要と供給の天秤が完璧に破綻していた。野心など薬にもしたくない“気の優しい近所のお姉さん”の域を超え得なかった以上、正規の役職に着かない方が幸せであったのは間違いない。頼みの綱である連合生徒会の官僚組織ですら華夏研究学園都市の13校区を切り盛りするどころか、なんのかんの文句をつけ山のように送り届けてくる問題に対処しきれず運営機関としては末期症状を示していたのであるから悲惨であった。それに加えて黄巾賊蜂起というダブルコンボが見舞ったのであるから目も当てられない。 皇甫嵩・朱儁・盧植・といった将達が奮闘し首魁たる張角3姉妹達を処断することに成功したものの、自らの利権にのみ汲々としている蒼天会執行部“十常侍”が劉宏を動かし玉である彼女らを連合生徒会から放逐処分にすることになり、ダメージを受けた連合生徒会の傷口に薬を塗るどころか毒を塗る結果になった。劉宏に蒼天学園の現状を訴える声が直に届かない以上、唯一十常侍の障壁を超えて劉宏に話ができる何進が現状回復を訴えるのがとるべき方法であったのだろうが、悲しいかな何進自身の思考のスケールで把握できる世界がそれこそ洛陽棟に所在を構える蒼天会と連合生徒会が精一杯であり、“現状”の意味する蒼天学園規模での危険性を把握することなど不可能であった。 結果として中央集権を放棄し有能な(言い方をかえると野心に溢れた)人物を校区生徒会会長として送り込むことで各地の反乱に対処し安定化を図ったわけであるが、各校区の独立化に拍車を掛けることになる。 何進の勢力基盤は名目上とはいえ蒼天学園の最高権力者たる蒼天会会長・劉宏が持てる権力にあったのだが、これを独占していたわけでなく、蒼天会執行部“十常侍”と折半していたに過ぎなかった。 黄巾事件後の何進の連合生徒会会長としての役目は互いの存亡をかけた十常侍との権力の綱引きに終始することになる。 では、なぜ蒼天会と連合生徒会の連絡・調整役たる蒼天会執行部“十常侍”がそれほどの権力を持ちえたのであろうか。それについてはまず“カムロ”という存在について触れねばならない。 くだらないと思われる節もあるが、中華研究学園都市には奇妙なジンクスがある。 “位階・威勢を極めた組織の初代会長はなぜか胸が無い。” それに反して、抗争で敗れたライバル達や組織のNo.2以下の部下達、そして2代目以降の会長は 通常の統計どおりにばらけているか、あるいは非常に均整のとれた容姿を誇っているのである。 例を挙げれば 連合生徒会 始会長・政 蒼天学園 校祖 劉邦 蒼天学園 光武サマ 劉秀 は全員、“のっぺり”した体型、ぶっちゃけた話“ぺた”であったらしい。 それに反して、劉邦と最後まで覇権を争った項籍、勢力を警戒されて粛清された韓信、黥布、彭越は全員非常に魅力的な体型をしていたという。 男性でも、シーザーは若禿が入っていてナポレオンが小男と外見上のコンプレックスをもっていたことを考えると、人生妙なところでバランスが取れているのかもしれない。 現在でも“神聖Aカップ同盟”という秘密同盟があるが、そもそもの起源は政や劉邦が過去の因縁を忘れて肝いりで作った“洗濯板同盟”である。皇帝の高貴な容貌のことを”龍顔“というが、蒼天学園においては伝統的に蒼天会会長の容姿を”龍体“という。龍体=流体、つまり流体力学上抵抗の非常に少ない理想的な形、というひどい駄洒落から来るネーミングである。 なにはともあれ、位人身を極めた面々にとって、公私を問わず日常生活において外観上の理由で不快感を覚えるのは堪える物が有ったらしく、日常生活上の側近という形で“女性らしさを自分以上に感じさせない”者たちをパシリとして使ったのが“カムロ”の始まりといわれている。 “カムロ”即ち“禿”で、そもそもは平家が間諜として用いた髪を短く切りそろえた少年をさす言葉である。 蒼天学園では、 1.髪を“おかっぱ”といっていいショート・ボブまで切り詰め、 2.少年と見まがうばかりに胸がない、ブ○ジャ○いらずの 者が該当した。 最初は何らかの不始末をしでかした者のうち、2に該当するものが“焼きを入れる”ということでリンチまがいに女の子の命である髪を短く切られ、ブ○ジャ○なしかサラシのみの着用に制限され、“カムロ”になっていた。なお、この刑を女性にとって恐怖の刑ということで“怖刑(ふけい)”といっていた。 彼女たちは、そもそもが処罰者ということで能力を必要とする実務上の権限を初めは全然持たされていなかったのだが、形式上とはいえ最高権力者たる蒼天会会長にもっとも近い位置にいて連合生徒会との連絡・調整役を勤めるようになったことからだんだん権力を身に帯びるようになってきた。この風潮は悪化し、後には蒼天学園内で権力を手っ取り早く掴む方法として、蒼天学園の学生としての3年間、 “女性”としてのおしゃれは日常でも厳禁というデメリットにも関わらず自ら“カムロ”に志願するものもでるようになった。事実、曹操が実姉のようにしたった従姉妹の曹騰も志願した“カムロ”であった。 さて、話を元に戻すと、互いの存亡をかけた何進と十常侍との権力の綱引きは、情勢の判断力が決定的に不足していた両者のダブルノックアウトという形で終焉となる。 蒼天会及び連合生徒会がもはや野心に溢れた群雄に対してなんら強制力を持たないという事実はこの事件によって周知の事実となる。むしろ、この時期は、強制力と野心による反発がぎりぎりの均衡を保っており、誰かが先鞭を付けてしまえばあっさり天秤が傾く状態にあったといえるだろう。 これに気づいていた居た者は蒼天会及び連合生徒会内部にはごくごく少数しかおらず、何進と共に狂言回し的な役割を演じた者に、後に河北の巨人として知られる袁紹がいる。具体的には、独立化して強大な力を持つようになった各校区の群雄たちを十常侍達への抑止力として運用しようと考えたのである。危険を感じた十常侍は一発逆転を掛け、詫びをいれるという名目を立てに何進を彼女らの本拠地たる洛陽本部棟へおびき出し始末することを計画する。うかうかと乗ってわずか数名の随員と共に洛陽本部棟へ赴いた何進は、十常侍ら“カムロ”の闇討ちですっとばされることになった。もともと“カムロ”に嫌悪感を抱いていた袁紹は、何進のあだ討ちとばかりに反撃にでることになる。 十常侍の乱当日の袁紹の対処については以下のような記録が残っている。
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