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376:那御 2003/12/08(月) 02:40 駄文書きました・・・ 他の方に比べるとだいぶ劣りますが・・・ 公孫サンと劉備は、それほど懇意じゃなかったと聴きますが、 あえて、猛烈に懇意にしてみました(絡みはないですが・・・) ― 信じられた人と信じられる人 ― 〜易京の戦い〜 公孫サンは窮地に陥っていた。 本拠地である易京棟に篭城したものの、四方を袁紹軍に囲まれ、身動きの取れない状況にあった。 公孫サン――字は伯珪。 「白馬委員長」と謳われ、幽州校区劉虞を倒し、総代となった烈女である。 一時期は、あの名門袁紹を脅かすほどに勢力を広げ、幽州、冀州、エン州と、三校区にわたって支配したこともあった。 彼女の快進撃の原動力。 それは、「白馬義従」と呼ばれた精鋭部隊である。 バイクからの射撃に優れた者を集め、制服、バイクなどを白一色で統一した部隊である。 北の鮮卑高との抗争では、この白馬義従が大活躍し、公孫サンの名は一気に知れ渡ることとなった。 しかし、彼女の誤算は、界橋にあった。 当時、郎となっていた公孫サンは、青州の黄巾の残党の討伐へと出陣。 持ち前の戦闘力で、いとも簡単にこれを平定。 返す刀で、袁紹の治める広宗棟へと軍を進め、ここに陣を構えたのである。 これに激怒した袁紹は、自ら出陣。 両軍は界橋で激突した。 この戦いのキーマンは、袁紹配下の麹義であった。 長く涼州でシゴかれ、バイクとの戦いの経験には事欠かなかった。 この麹義に、公孫サン自慢の白馬義従が、木っ端微塵に打ち砕かれてしまったのである。 そのうえ、前線で袁紹に遭遇したにも関わらず、これを取り逃がしてしまった。 公孫サンは大敗北を喫し、幽州校区への撤退を余儀なくされてしまったのである。 その後、劉虞を倒して総代の座を奪ったのだが、この劉虞が袁紹と懇意であったため、 さらに袁紹の怒りを招くこととなったのである。 袁紹は、生徒会長の権限と兵力を以て、北上を開始した。 勢いを失った公孫サンの拠点は、次々と陥落し、遂に本拠地易京での篭城戦にまで追い込まれてしまったのだった。 一人の生徒が、易京棟の一室のドアをノックした。 「・・・失礼します」 生徒の名は関靖。公孫サンの側近として仕え、よき相談役でもあった。 (また痩せられた・・・) 関靖は、公孫サンに会う度に、そう思うようになっていた。 以前は澄み切っていた蒼い眼にも、どこか曇りが見られた。 白馬義従が破られてから、公孫サンはずっとこんな具合だったのである。 自ら全身全霊を込めて育て上げた精鋭。 常にメンテナンスは欠かさないよう指示していた。 戦場も、極力走りやすい位置を選んで布陣した。 なのに・・・なぜ・・・! 公孫サンは、悔しさで頭を抱え込んだ。 (あれほど覇気に溢れた方だったのに・・・) 関靖は公孫サンのこのような姿を見るたびに、悲しくなっていくのであった。 「自軍の物資の残量を調査しました・・・ここに置いておきます・・・」 「・・・ありがと」 やはり、公孫サンは生返事であった。 関靖はファイルを机の上に置くと、そそくさと部屋を後にする他無かった。 公孫サン軍には、もはやそれほど長い時間篭城していられる余裕は無かった。 公孫サンはファイルから書類を取り出し、焦点の定まらない目で眺めた。 (姐さん・・・アンタはこうなることが分かってたってかい?) 公孫サンの頭に、卒業した元執行部員、盧植の姿が浮かんだ。 公孫サンは以前、盧植に学問の手ほどきを受けたことがあった。 学年でも名の通った優等生であった盧植の部屋には、後輩が集まり、小さな勉強会が行われることがしばしばあった。 そして公孫サンは、盧植の卒業に際して、ある言葉を肝に銘じるよう言われていた。
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