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★しょーとれんじすと〜り〜スレッド★
448:那御2004/04/20(火) 01:42
いやぁ、はるらさまGJ!
相変わらず人気抜群の盧植先生、そして最強(笑。
両名、「頭はさほど悪くないのに授業を聞かないからできない」を地で行ってますな。
そして言い訳でスベりまくる二人に爆笑。
449:国重高暁2004/04/20(火) 16:41 [takaaki@wb3.so-net.ne.jp]
■■ 将軍の飼い方 ■■
「呂奉先さん、いらっしゃいますか?」
「いるよ。入っといで」
いつもどおりのぶっきらぼうな口調で、安楽いすの呂布は来客を室内に迎えた。
省92
450:国重高暁2004/04/20(火) 16:54 [takaaki@wb3.so-net.ne.jp]
いかがでしたでしょうか。
今回の出典は「綱鑑」です。
曹操と陳登との談義が実に
面白いので、SS化してみました。
政略結婚については公式設定がない(?)
ようなので、「マリア様がみてる」風に
省10
451:はるら2004/04/20(火) 17:56
国重高暁さまはじめまして、はるらです。
早速ですが読ましていただきました。国重高暁さまグッジョブ!!
呂布が接着剤・・・。思わず「おぉ!!」と感嘆してしまいました(^_^;)
452:岡本2004/04/20(火) 18:36
■ 邂逅 ■(1)
「あれっ、憲和。この写真って…。」
帰宅部連合写真部の記録保管庫にて整理作業中に一休みしてアルバムを見ていた法正はその中にあった一枚の写真に目を留めた。アルバム自体もほこりの多い片隅に平積みと保管が悪かったため、ほとんどの写真はセピア色に色褪せていた。
法正が課外活動からの引退を決意したのは高2の12月。帰宅部連合の一員としてやりたいことは先週の漢中アスレチックス攻防戦の勝利で大体終え、受験を考えての惜しまれながらの早期引退を行ったのである。1つ上の悪友というべき簡雍も卒業を控えてほぼ同時期の引退を決意。以後、帰宅部連合を揺り動かす大事件が連続して起こることは神ならぬ彼女らには予想もできなかった。
省23
453:岡本2004/04/20(火) 18:37
■ 邂逅 ■(2)
尋問内容:
“3年前の3月3日 幽州校区涿地区ピーチガーデンであったことを証言してください。”
証言その1:赤パーカーと眼鏡着用の張り扇娘
省51
454:岡本2004/04/20(火) 18:38
■ 邂逅 ■(3)
3年前の3月3日、蒼天学園司州校区河南地区洛陽棟にある司州校区事務課は学生でごった返していた。年度末の風物詩、事務手続きである。窓口のひとつでも背丈から中等部と思しき生徒が事務員と応対していた。その後ろは数名生徒が順を待って並んでいる。早くしろとの無言の威圧はかなり大きい。
「あら廖淳さん、あなた本貫の欄が抜けてるけど。」
「あぁ〜〜、すみません。えぇっとぅ、荊州校区襄陽地区です。」
廖淳と呼ばれた生徒は必要書類の不備を指摘されて、慌ててカバンから筆記用具を出そうとした。が、慌てていて見つからない。見かねた事務員が窓口の横にあるペンたてを指差す。すみませ〜んと頭を下げて、ペンを取ろうとしたがつかみ損ねて、途中で取り落としてしまった。
省53
455:岡本2004/04/20(火) 18:38
■ 邂逅 ■(4)
ところ変わって、冀州校区常山地区に存在する華夏研究学園都市唯一の神社である常山神社では近日に迫った“曲水の宴”の準備で大忙しだった。
〜 曲水の宴 〜
― 観梅の時期、三月の第一日曜日[古代では三月上巳(弥生はじめの巳の日)]に行われる雅やかな歌会。梅園の中を流れる曲がりくねった小川に小船に乗せた酒盃を流し、それが目の前を流れる前に漢詩(奈良時代)もしくは和歌(平安時代)を読む宮廷人の遊びである。作品が出来たらその杯の酒を頂き注いで再び流すというものと、作品が出来ない場合に罰として酒を飲ませるという2通りがあるようである。
省38
456:岡本2004/04/20(火) 18:39
■ 邂逅 ■(5)
外野の雑音を気にした風もなく、件の人物は稽古を続けている。ビュッ、ビュッと短い風切り音が聞こえるが、力任せに振っているようには見えない。つまり得物の重心を把握した上で無理なく全身運動で振るっているため、動きの途切れがなく“きれ”が非常によい。よほどこの得物を使いこなしているのであろう。
一つ一つの型の終わりでは血振りしての納刀が入るのだが、その血振りと納刀がまた一風変わっていた。通常の血振りと納刀は右手のみで握った刀を頭上を通るように斜めに振り、そのまま鞘の鯉口に当てた左手の親指と人差し指の又に刀の棟を載せて切っ先を誘導して納める。この人物の場合、諸手の残心の構えから右手を離し鍔のすぐ上の棟のところを握り拳にした右手で音を立てて叩くのである。そして逆手で握りなおした右手のみで柄を握り、そのまま下から刀身を半回転させて左の二の腕と少し抜いた鞘の鯉口に当てた左手の親指と人差し指の又に載せ、切っ先を誘導して納めるという見慣れない血振りと納刀の仕方をするのである。実際にやってみようと思うと少々ややこしい動きであるが、これもまたよほど遣り込んでいるらしく滑らかな動きである。
「あれは多分、香取神道流です。」
納刀を見て首をかしげていた陳到の疑問に答えるかのように趙雲が口を開いた。
省39
457:岡本2004/04/20(火) 18:39
■ 邂逅 ■(6)
関羽は、境内で香取神道流の型を一通り遣って一汗かいた後、山門から石段を下るときに目に入った桃園によることにした。
緑の木々の間に淡い桃と白の花が慎ましくも美しく咲き乱れ、遠目にも芳しく薫るようである。18年後に陶淵明が随説を書く、荊州校区は武陵地区の秘境・桃源郷にも見劣りはしないであろう。
桃はバラ科サクラ属モモ亜属、つまり桜の仲間で花を楽しむ花桃と果実も取れる実桃がある。3月の花であり、古来東洋では明るく美しい女性の象徴である。
省29
上前次1-新書写板AA設索