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565:岡本 2005/02/13(日) 16:58 海月亮様、北畠蒼陽様 岡本と申します。 こちらに貢献できなくなって久しいですが、閲覧は続けております。 活気を呼び込んでいただいてありがたいです。 >海月亮様 文章はお見事ですが、なまじ私も正史を読んでいるだけに、 ”そこは解釈が違うんじゃないか””あまりにも主人公側を持ち上げ、 敵役を(背景を考えずに)安易に貶めすぎてはいまいか”と気になってしまいますね。 まあ、そこは各執筆者様ごとの見解の違いであって云々すべきところ ではないかも知れませんが。 丁奉=個人的には”三国で見ても最後の豪勇”ですね。そういう意味では興味深い 一人ではあります。ただ、切り込み隊長的スタンスから最後まで抜け出せなかった のが惜しまれますが。この人は最終的に大将軍や大司馬までなっていますが、多大な 功績はともかく政略眼や将帥としての才幹が乏しい人間がこういう地位にいるのは 国としてはある意味不幸だったかも...。攻撃型君主待望論にのって孫皓を皇帝に推挙した 人間の一人でもあるんですよね...(そういう意味では孫皓は末期まで軍官からは以外に悪く言われていません) 韓綜=初期の元勲の不肖の息子(ここでは妹)という立ち位置ですが、そう単純な話でも なさそうなんですよ、これが。韓当の葬儀にかこつけて一族郎党を国外逃亡させ、その際にも部下に親族の娘を 娶わせて離反を防ごうとしています。突発的に反抗したのでなく、かなりの計画性を感じます。 わざと不評を流すことで、処罰を恐れた部下の踏ん切りをつけさせたという説も聞いたことがあります。 結局、20年近く対呉戦線で暴れていたことを考えると軍人としてもこの時期では優秀な部類に入ります。 周瑜の息子が優遇されなかったことに関して、孫権はもっともらしいことをいっていますが、 豪族連合体で権力基盤の弱い孫家を脅かしかねない大姓を一つ一つ牽制していた可能性があります。 程普・黄蓋の息子が優遇されていない、甘寧の息子は交州送りという事柄を考えると、勢力基盤が0に近い一代目は 他の大姓を牽制するために優遇しますが、2代目以降になると逆に彼らが大姓化して孫家を脅かす可能性が無視できなくなり 勢力を削るようになっていたという考え方もできます。 審配=忠魂烈士と評がある人物ですが、彼(彼女)が忠義を尽くしたのは袁紹というよりむしろ袁尚という気がしてます。 かなりきついタイプの人ですね。袁譚と袁尚の仲たがいで決定的に袁家勢力が弱まったことを考えると、果たして 本当に忠義の人物だったか?といわれると首をすこし捻りますね。ギョウ攻防戦で見せた防戦指揮はすばらしいものでしたが、 こと際まる直前に袁譚派の辛評の家族を抹殺したのは、”曹操を手引きした”という問題を追求した結果にせよ、人間として超えては いけない一線を越えた人物という印象のほうが強いです。私は独善性の強い激情家と解釈しています。 以上、長々とあら捜しのような発言で失礼いたしました。
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