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★しょーとれんじすと〜り〜スレッド★
680:海月 亮2005/06/17(金) 00:53
「そっか…気づかれちゃったんだね」
それから小一時間後、呂岱は建業棟にいた。
目の前には、長湖生徒会の座に就任したばかりの孫権。その手には、虞翻が寄越した一通の手紙がある。
その手紙をいとおしそうに眺める孫権の姿に、呂岱は衝動的に地に手をつけ、その額をリノリュームの床に押し付けた。
「申し訳ありませんっ…」
「…え?」
「私は…私は衆目の邪推を間に受け、先輩の真情も知ろうともせず、あまつさえ総代の地位を盾にそれを踏みにじりました…! そして、今まで先輩が影ながら助けてくださっていたことも知らず、己の功績ばかりを鼻にかけて…私のような人間が総代など、おこがましい話…なにとぞ!」
その表情はわからないが、激昂したその声には嗚咽が混ざっていた。
「私の如き菲才ではなく、是非とも仲翔先輩に…!」
「駄目だよ」
穏かだが、はっきりとした否定の響きを持つその声に、呂岱は思わず顔をあげた。孫権の視線は、その手の中にある手紙からまったく動く気配がない。
「仲翔さんは、きっとそんなの喜ばない…ボクだって何度も仲翔さんをこっちに帰してあげたかった…でもね、自分はもう十分働いたから、どうかこのまま卒業まで居させて欲しい…って。もう自分の出番は終わったから、これからの長湖部を担う子達の席次を、私なんかに与えないでくれって…」
言葉と共に、孫権の碧眼からも涙が伝わり、落ちてゆく。呂岱は、その涙に孫権の真意を見た。
「ボクはそれ以上何もいえなかった。ボクだって、あの人のことずっと誤解してたから…理解しようとしなかったから。だから、最後くらいは、あのひとの望みをかなえてあげたいんだ」
「…はい…」
呂岱はただ、頭を下げることしか出来なかった。
「そっか…あれはちゃんと、部長の下に届いていたんだね」
「…本当に」
座ったまま大きく伸びをする虞翻に、俯いたまま呂岱が問い掛けた。
「先輩は本当にこのままで良かったんですか…? あなたなら、私なんかよりずっと総代として相応しい才覚を持っている…その気になれば、始めから総代としてこの地に赴き、平定する事だって出来たはず…」
「…性に合わないんだ、そういうの」
跳ねるように立ち上がり、もうひとつ伸びをしながら言う。
「私はやっぱり、こういう裏方仕事のほうが好きなんだ。それにさ」
そして棍を一振りし、それを担いで振り返る。
「私には決定的に人望ってモノが欠けているからね」
「そうでもないと思うよ?」
不意に背後から、酷く懐かしい声がする。呂岱も思わず目を丸くした。
恐る恐る振り返った、その視線の先には…。
「部長…それにみんな」
その視線の先には、孫権を筆頭に、彼女が交州へ赴く直前の幹部会メンバーが居た。
ただし、家の事情で既に学園を去った駱統と陸績はおらず、その代わりに潘濬と陸遜がいたのだが。
虞翻はこの突然の事態に、言葉を失った。
「あなたは冗談だけじゃなくて、芝居を打つのも下手だってことなのかしらね…まぁ、アレは私の立案だから言えた義理ないけどさ」
「およ、ご自分のことはちゃんとお解かりでしたか大先輩」
張昭の一言にすかさず茶々を入れる歩隲。その隣では顧雍と薛綜が納得したように頷いた。
「まぁ子布先輩の独りよがりは今に始まったことじゃ…」
「なぁんですってぇ〜!」
厳Sが余計な追加攻撃を叩き込むが早いが、張昭の怒りが爆発し、蜘蛛の子を散らすように散開する少女たちを追っかけていく。
「…ったく、アイツは何時も一言多いんだから」
「まったくですね」
逃げ惑う少女たちのきゃーきゃー言う声と、ヒステリー全開の張昭の声をBGMに、諸葛瑾と敢沢が呆れたように呟く。
視線のその先では、立ち位置のせいで無理やり巻き込まれた感のある潘濬が張昭に捕まっていた。
「…どうして」
虞翻はようやく、それだけの言葉を喉からしぼり出すことが出来た。相当に感情が高ぶっているのを最大限に抑えたような、震えた声だった。
「どうして、こんなところへ来たのよ…こんなところ、せっかくの休みの日にくるようなトコじゃないでしょ…?」
「どうして…って言われても」
「ねぇ」
手前に居た陸遜と孫権が顔を見合わせた。
「会いたくなったら、会いに来ちゃいけないんですか、先輩?」
「そうだよ〜」
その笑顔を見たら、もう歯止めなんか利くはずもなかった。
人目もはばからずに、まるで幼い子供のように大声をあげて泣き出した“仲間”の姿を見て、張昭たちも追いかけっこを止めて微笑を浮かべていた。
「話には聞いてましたけど…現物は凄いですね」
潘濬が感心したように呟くと、
「“泣きの仲翔”は健在、って所かしらね」
「あ、巧いこと言いますね。それいただき」
張昭と歩隲がそう付け加えた。その隣で、珍しくそれと解るほどの微笑を浮かべた顧雍が頷いた。
その日の夜。
彼女は別れ際、孫権から手渡された一通の案内状を、飽きることなく眺めていた。
約一ヶ月後に控えた長湖部体験入部、その案内状だった。しかし彼女はその裏側…本来何もない面を眺めている。其処には、孫権が書いたと思われるもうひとつの“案内状”があった。
曰く『そのあと、みんなで打ち上げをやります。先に引退した人もみんな呼んで楽しくやりたいから、絶対に来てね』と。
「…打ち上げ、か」
そろそろ、学園生活も終わりに近い。
一匹狼で居るのにもいささか飽きていた彼女は、このまま、誰とも打ち解けずに学園を去ることが寂しいと思うようになっていた。
「推薦入試の結果ももう出てるし…楽しみだね」
呟いて、彼女は目を細めた。
もう既に、その心は一ヵ月後に飛んでしまっているようだった。
その飲み会で何が起こるかなんてことは、今の彼女には知る由もなかっただろうが…。
(終わり)
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