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★しょーとれんじすと〜り〜スレッド★
747:北畠蒼陽 2005/07/17(日) 10:43 [nworo@hotmail.com] 「あのバカッ!」 シニカルな笑みを浮かべるか、またはにこにこと笑うか……どちらにしても王昶にしては珍しいことに激情を顕わにして机を拳で打ちつけた。 王基も気に入らなさそうに鼻にしわを寄せている。 しかしそれを王渾をはじめとした幕僚たちも止めることはできない。 伝令の伝えたニュースはそれほどショッキングなものだった。 東興において諸葛誕と胡遵、敗北。 韓綜や桓嘉はトばされ、主将の諸葛誕と胡遵も身ひとつで逃げるという絵に描いたような大敗北であった。 王昶も王基もそのまま固まったように動かない。 幕僚たちも戸惑いを止めることはできない。なんといっても今、この場に2人以上の戦歴の持ち主はいないのだ。 実質、指示待ちではあるもののその肝心の2人ともが動かない状態であった。 たっぷり2分凍りついたように動かないでいた王昶がやがてぼそっと口を開く。 「撤収するよ」 「おね……主将! 私たちは無傷です! ぜんぜん戦える状況ですよ!」 抗弁する王渾に今度は王基が答える。 「……ここは長湖部領内ってことを忘れちゃいけないわ。これは一方面の敗北ってだけじゃない……『蒼天会のホンキ』の敗北よ……ただ」 王基がちら、と王昶を見る。 「……文舒、責任とろうなんて考えてないでしょうね?」 「軍隊を無傷で撤収させるんだ。せっかく高まってた士気もがた落ち……誰かが責任とらにゃあいかんだろ」 拳を机に打ちつけたまま王昶が答える。 王渾たちははっと息をのんだ。 それはそうだ。中央の人間の中にも今の自分のように『まだ戦える』と考える人間だっているだろう。 まだ戦えるにもかかわらず撤収などをすれば処罰……最悪、自主引退…… 「玄沖、その場合はあんたが指揮権を握るんだよ。大丈夫、あんたまで責任が回らないようにはしてやる」 「おね……!」 なにかを言おうとする王渾に、王昶はやっと顔を上げ、笑顔を見せた。 「責任者ってのは文字通り責任を取るためにいるんだ。なにもおかしくはない」 「……ふ〜ん」 今にも泣きだしそうな顔の王渾。 しかし王基だけがさらに不満げな顔をする。 「……文舒、1人で責任取るなんてかっこつけたこと、許せないんだけど」 「あんたは残れ、って言いたいけどね。ま、そういう顔したときはなに言っても無理か」 王基は王昶の苦笑交じりの言葉ににっこりと笑った。 「……長い付き合いだからね。諦めなさい」
748:雑号将軍 2005/07/17(日) 10:59 またまた来ましたな、王姉妹&王基!責任者は責任を取るためにいる…なんか前にもどこかで聞いたことがあるような…。 性格が悪い王昶もこの辺りは流石に名将と呼ばれることはありますね。格好いいですなあ。 僕も曹操ネタそろそろまとめないと・・・・・・。
749:北畠蒼陽 2005/07/17(日) 11:06 [nworo@hotmail.com] 以前、海月 亮様が書いてた東興の別視点ですね。 いや、これは私事なんですが前に入院してたうちの祖父が亡くなりましてちょっと里帰りなぞをしておりました。 純粋文人(になりたいなぁ、と思っている)北畠としてはへこんでいるときにしか書けない小説もあるはずだ、などと思ったわけですが…… ごめん、ただの支離滅裂ものだったorz あ、ちなみに祖父はもともと医者から夏まで生きられない、といわれてたんで精神的なへこみはそれほどないのです。 むしろ今まで生きていてくれたことにむしろ7月までよく生きてくれたなぁ、とか思うわけです。 さすが若いころは満鉄の機関士だった男だぜ! 関係ないですけど! 生き死にとかに触れたあとでごく普通のテンションのものってのはちょいと書きづらかったですね、精進が足りませぬ。 >王表の6話まで か、勘弁してください(吐血笑 >五呉将(『ごごしょう』は非常にゴロがいいです 黄蓋、韓当、程普、祖茂、凌操ってのはなしですかっ!?(笑 >呉滅亡についての所見 いや、実際のところ自分の個人的意見ですが『人1人の能力ってのはそれほどかわらない』ってものがありまして。 まぁ、確かに失敗者と成功者がいるわけですが『能力』としてはそれほどの違いはないと思うんですよ。 じゃあ呉末期に有名な人がいないのはなぜか。 呉は負けましたから! 実際、無能モノばっかりだから自分らが攻めていって住民を解放してあげた、という体裁をとらないと王朝としても都合が悪いでしょうしね。 えぇ、本当はいたと思いますよ、歴史が語る以上の『名将』は。
750:北畠蒼陽 2005/07/17(日) 11:16 [nworo@hotmail.com] わおお、あとがき書いてる間に先行カキコされたー!(笑 >雑号将軍様 やっぱ性格悪いだけじゃ『いくさ人』じゃないですよ。 私の尊敬する隆慶一郎先生がその小説に書いてることを自分なりに考えたのですが…… 徳川家康はタヌキ親父などといわれているが戦国時代を通して織田、徳川連合ほど強固で礼儀正しい同盟は存在しない。 だからこそ関が原においていくさ人たちは『このひとであれば自分が信用するに足りる』と徳川方についたのである。 家康はもちろん策略などは使うが武人としての『ルール』は守る。 もちろん『責任者だから責任を取る』ってのもルールだと思うわけですよ。 王昶は『武人としてのルールだけは守る策略家』……そういうふうに書いていきたいなぁ…… あ、ちなみにこのとき王昶&王基は罪に問われてません。 この一事だけを見ても司馬師ってすごいな、と思うわけです。
751:雑号将軍 2005/07/17(日) 13:08 >入院してたうちの祖父が亡くなりまして えーと、なんて言えばいいか…。ご冥福をお祈りいたします。すみません。いい言葉がみつかりませんでした。 >五呉将 おおお!あなすばらしや!あなすばらしや!ここは一発どなたかに五呉将ネタを!って自分出かけよ…。それ以前に五呉将ってホントに誰なんだ?他の皆様方はどうかんがえておられるのでしょう? >家康&王昶 そう考えると家康って劉備に似てません?えっ僕だけ?まあ劉備は家康と違って強大な力が消える前に自分が消えちゃいましたけど。 王昶・・・・・・これこそが大将の器ですよね!これからも頑張って下さい。期待してますっ! >司馬師 司馬懿の息子というのはどうやら伊達ではないようですな!実は僕、司馬師なんかしらないけど好きじゃないんですよ。司馬懿、司馬昭は好きなんですけど…。う〜んなんでだ?あっ!毋丘倹の呪いかっ!
752:海月 亮 2005/07/17(日) 21:20 ふむ、これで東興堤はいっちょあがり…かな? 今うちとこ置いてあるリミックス版と読み合わせても違和感とかまったくなかったです。 同じ事件を取り扱っていても、切り出した方面からまた違うドラマが見えてくる…すばらしいことです。 てか王昶たんカコイイ…(;´Д`) >五呉将 とりあえず海月だと陸遜、甘寧、呂蒙、虞翻、丁奉とか。 ただ好きな呉将を並べたと言う罠_| ̄|○ コレは冗談ですんで… 海月の本音はこんなあたりを参照のこと→>>742 >>743 >歴史が語る以上の名将 とりあえず吾彦の名があがると思われ。 孫皓が彼の忠告に耳を貸していればもしかしたら…。 まぁ敗者の業績は抹消されるが世の常。直江山城とか島左近とか。 >毋丘倹の呪い じゃあ海月の場合、諸葛亮先生が嫌いなのは漢乙女・魏延の呪いっつーことでどうかw
753:北畠蒼陽 2005/07/17(日) 21:43 [nworo@hotmail.com] >呪い? 実は私も諸葛亮のひとが嫌いなわけですが誰の呪いってことにしとく?(笑 >ちなみに 絵描きbbsで玉川雄一様がイメチェンについて述べておられましたが……えぇ、まぁ、それに触発されたわけで今回から王昶書くときは服装の描写していこうかな、と思ってます。 ちょい変わったモノ着せていきますんでヨロ。 >日本だけど 北条家宿老、松田憲秀は裏切りの事実すらなかったと思われるわけです。 史実には『豊臣の誘いを受けて、息子らと共に豊臣家に寝返ろうとするのだが、次男がそれを北条氏直に密告したため、計画は露見して捕らえられ、小田原城の開城後、豊臣秀吉に裏切りの件を咎められ、切腹を命じられた』なんてことになってるわけですが当時、秀吉の敵は北条家が最後ではなく、まだ東北地方にバラバラと潜在敵国の勢力が残っていたわけですから『わざわざ自分から降伏してくれた敵将』を大事にしないわけがないのです。 だってこのあと伊達家とかいろいろ攻めなきゃいけないのに敵勢力からの降伏者は認めない、なんて宣言してるようなもんですからそりゃ今後の戦いが泥沼化しちゃいますよ。 松田憲秀は恐らく北条家にとって真に名将と呼べる人物であり、だからこそ秀吉は彼を恐れて貶める宣伝をしたのではないか、というのが私の推測です。
754:★玉川雄一 2005/07/19(火) 01:37 >呉末 やはりまずは猛獣キラーにしてマルチロールファイターの吾彦があがりますね。 あとは交州統治に携わった陶[王黄]、周魴の子の周處あたりも指揮官としてなかなか。 他には、後に晋朝に仕えて「東晋中興の名将」と謳われた周訪や、 同じく東晋の重鎮・陶侃らも呉の出身で、彼らの父は呉将でした。 他にも戴淵(戴烈の孫)、甘卓(甘寧の曾孫)らも呉の出身ですね。 ただ、各人ともそれぞれちょうど成人した頃に呉が滅亡してしまっており、 それまでの活躍というのはほとんどなきに等しいといったところです。 彼(彼女?)らが主役となるのは『東晋ハイスクール』(そういうネタがあるのよ) においてということになりますね。
755:雑号将軍 2005/07/19(火) 22:00 >呉の末期の名将 な、なるほど。皆さんの意見を総合すると、吾彦は呉末期にしてはかなりの名将であった…ということですな。 不甲斐なきことに、僕はまともな三国志の資料が三國志]の武将ファイルしかないので良くはわからないのですが、見るところによるとかなりの名将のような気がします。 陶[王黄]、周處、周訪、陶侃、戴淵、甘卓…玉川様!ごめんなさい。マジでわからないです・・・・・・やっぱり正史三国志買うべきですかね?やっぱり学校の図書室じゃあ無理あるしなあ…。
756:★玉川雄一 2005/07/20(水) 20:10 щ(゚Д゚щ)オイデオイデー 来たれ正史の世界へ! 『読むのタルい』『おもんない』『長っ!』などと言われてはおりますが、 ポイントを掴めば正史には正史なりの面白さというものがありまする。 むしろ『正史ならではの楽しみ』を見いだせるようになれば、 めくるめく三国志ライフがあなたをさらなる泥沼へと誘うことでしょう… サクッと買いそろえるには少々値が張りますが、 一生モノだと思えば悪くない投資ですぞ。 ところで上記のメンツなのですが、だいたいが三国時代というよりは 次の晋代に活躍した人物でして、一部を除いては三国志には記述がないのです。 ですが『晋書』には彼らの伝が立てられており、その業績を知ることができます。 とはいえ晋書の和訳はまだ存在しないので、私が以前2ちゃん等に投下した 自己流人物小伝をあげておきます。ご参考までにどうぞ。
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