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831:海月 亮 2005/11/16(水) 20:57 その日の昼休み。 あたしは彼女と図書館の談話室に来ていた。子賤(丁固)とか他の娘達も何事かと思ってついて来ようとしたのを、敬風が気を利かせて巧く丸め込んでくれたらしい。振り向きざまににかっと笑って見せたあたり、昨日の鮭冬葉の礼のつもりなのだろう。 世洪にも何か奢ろうとしたけど、今朝のことをおおっぴらに言わなければ別にいいとのたまった。けどまぁ、後でお茶の一本も奢る事にしておくかな。 「…んで、訊きたい事って何なのさ?」 「う、うん。実はね…世洪がやっているあれって…」 「神道夢想流杖術…ああ、なるほど。あんたまだ、あのひとに打ち勝つことに拘ってるのか」 ずばり言い当ててくれるよ、このひとときたら。 あたしが余程解りやすい人間なのか、それとも彼女や敬風の洞察力がバケモノじみてるのか…あるいはその両方なのかもしれないが、もう呆気にとられる他にない。 「うん…だから、せめて詳しい人に、どんなものだか教えてもらおうと思って。今のあたしには、どうしてもあのひとのことを、よく知っておきたいと思うから」 「なるほどねぇ」 彼女は腕組みしたままうんうんと頷く。 「…王文舒先輩の腕前が実際どれほどのものかはあたし知らないけど、少なくとも杖術というならとんでもないひとを、あたしはひとり知ってる」 「え?」 とんでもない、と彼女が言った。 先に対決した王昶先輩ならいざ知らず、世洪の技量だって今のあたしにとっては勝てるかどうか解らない。 …ううん、正直、勝てる気がしない。それがとんでもないひと、なんて…あたしには想像もつかなかった。 「誰なの、そのひとって…?」 あたしは恐る恐るといった具合に、目の前の少女に尋ねてみた。 「姉さんよ、あたしの」 それはなんとも意外すぎる人物であった。 「姉さんは一般的には長湖随一の口の悪さのほうが有名だったアレもあるけどね。良くも悪しくもお祭り人間の多い長湖初期の経理を一手に引き受けていた業績のほうが目立つから、姉さんが杖の達人だったことを知ってる人はかなり少ないと思う」 確かに、彼女のお姉さん…仲翔(虞翻)先輩といえば、皮肉屋として有名な人だ。 でも、先輩は先代部長のために、あえて濡れ衣を被って誰の目からも触れないところから長湖部の危機を救ったひとであり…先代部長と先輩がどれほど強い絆で結ばれていたか…そんなことを知っているのは今の同期の中でもごくごく少数。あたしも、その少数のひとりだ。 けど、仲翔先輩が杖術の使い手だったなんて話は、これが初耳だ。 「姉さんはあくまで護身のためと言い張ってたけど…あたしに言わせれば、あのひとが戦線に立たなかったのが不思議なくらいよ」 「強かった、ってこと?」 「そんなレベルじゃない…はっきり言って、姉さんは天才よ。姉さんが編み出した"秘踏み"は、恐らくは世に出ずに終わる絶技…あたしが主将にならないのは、せめてあたしがあの"秘踏み"をモノにしてから…そう思っているからよ」 そう言った世洪…その顔は、ちょっと寂しそうに見えた。 彼女も、やっぱりお姉さんの後姿を見ながら、色々考えたり、悩んだりしているのだろう。未だに義封(朱然)お姉ちゃんの影を追い続けている、あたしのように。 「やっぱり、その技って難しかったりするの? いろいろと」 「ううん、"秘踏み"の理論そのものは単純よ。公緒、"一の太刀"は知ってるわよね?」 「うん…まだ、習った事はないけど…確か逆足踏み込みから、更に利き足で一気に踏み込みながら撃つのよね」 「そうね。でも"秘踏み"は更にもう一度、そこからさらに逆足で踏み込みながら一気に斬り抜けるの」 「…ええ?」 ええと、つまりはこういうことか。 利き足で踏み込んで撃って、そのまま更にもう一歩踏み込んでいくと…でも。 「そんなことしたら、振りぬきの勢いがかかりすぎて自分の足まで斬っちゃうんじゃ?」 「真剣でやったら、そうかもね。杖や木刀でも、誤爆は骨折の元になるわ。だからしばらくあたし、朝のをしばらく休んでたんだけどね」 一瞬また敬風に騙されたと思ったけど、よくよく考えれば彼女は秋頃しばらく体育は見学してたっけ。 それに頭のいい世洪のこと、のっけの幸いと本当に猫を被ってたのかもしれない。 孫峻先輩ならいざ知らず、見境のない孫リンが彼女の実力を知っていれば本気で潰しにかかるくらいはやってたかもしれないし。 「…ねぇ、世洪」 しばしの沈黙を挟んで、あたしは世洪に問い掛けた。 「もし世洪さえ良ければ…あたしも朝のあれ、いっしょにやっちゃ…ダメかな…?」 恐る恐るその顔を覗き込んでみる。 何か呆気にとられたような顔をしていたが、彼女は、 「そうね。ひとりよりも、ふたりのほうが何か掴むものがあるかもしれないわね」 そう言って微笑んだ。
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