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★しょーとれんじすと〜り〜スレッド★
446:惟新 2004/04/19(月) 23:05 盧植先生のありがた〜いご指導には劉備も公孫[王贊]も適わない! はるら様GJ! 勢いを感じさせる作品ですよ〜! 劉備の必死な誤魔化し方とその結果がとても可愛らしいです(*´Д`) そしてクッキーワラタ。なかなかツボを心得ていらっしゃいますよ〜!
447:★ぐっこ@管理人 2004/04/20(火) 01:14 はるらさま、グッジョブ!!(b^ー°) 盧植とて、後輩たちのまえでは先生でいたいようですし(^_^;) 昔劉備と公孫瓉が机を並べていた光景って、こんなカンジだったのでしょうね〜。 あのころは朱儁も皇甫嵩も丁原も居なかったので、非常にスムーズに授業が… 出来る分けないか、この二人が生徒なら(^_^;) 盧植先生は、学三的にもっと書き込みたいキャラ。演義の無口っ娘はできれば無しの 方向で…
448:那御 2004/04/20(火) 01:42 いやぁ、はるらさまGJ! 相変わらず人気抜群の盧植先生、そして最強(笑。 両名、「頭はさほど悪くないのに授業を聞かないからできない」を地で行ってますな。 そして言い訳でスベりまくる二人に爆笑。
449:国重高暁 2004/04/20(火) 16:41 [takaaki@wb3.so-net.ne.jp] ■■ 将軍の飼い方 ■■ 「呂奉先さん、いらっしゃいますか?」 「いるよ。入っといで」 いつもどおりのぶっきらぼうな口調で、安楽いすの呂布は来客を室内に迎えた。 ここは、下ヒ棟の徐州校区総代室。 元来の校区総代である劉備が、関羽らを率いて袁術を攻めた隙に、棟を守っていた張飛らを呂布が駆逐し、この地を制圧したのである。 「そりゃそうと、あんたはどこの何者よ?」 「お初にお目にかかります。私は、蒼天会の役員で韓胤と申します」 「そ、蒼天会?!」と呂布はマルボロを一服噴かした。 「蒼天会って、もはや袁グループのお嬢様に乗っ取られるほど権威が墜ちてるじゃんか。今更そんなとこから使いをよこすなんて……一体どういう風の吹き回し?」 「申し上げます。実は、その袁お嬢様が、妹をあなたのプティスールにしたいとの思し召しで……」 「プティフール?! 旨そうじゃん。あたいにもちょうだい」 「いえ、そうではございません。プティスール、つまり、妹分にしていただきたいので……」 「あんたを?」 「私ではございません。袁お嬢様の妹でございます」 袁お嬢様とは、もちろん、先日から蒼天会長を勝手に名乗り始めた袁術のこと。 自分の宿敵たる劉備を呂布が庇護したので、妹を彼女のプティスールにさせて懐柔し、地盤の安定を図ろうというのである。 しかし、呂布は首を縦に振らなかった。 「韓胤ちゃん、あたいをプティスールなんか取る柄だと思って?」 「では、一昨年、丁建陽さんのプティスールになられたのはどこのたれでしょう?」 「うっ……」呂布は困惑した。 丁建陽は名を原といい、もと生徒会執行部員の一人である。 しかし、董卓が会長職を奪うと、プティスールの呂布に裏切られ、階級章まで剥奪され、今春、失意のうちに高等部を卒業していた。 「確かに、丁先輩はあたいのグランスールだったけど……あんなもん、出世の手がかりにすぎなかったわ!」 「奉先さん、なんということを……」 「とにかく、嫌といったら嫌だかんね!」 「あの、ケホッ……そんなに、ケホッ、ケホッ……嫌ですか?」 呂布の噴き出す紫煙に咽びながら、韓胤は更に言葉を続けた。 「袁お嬢様は、妹をプティスールにする見返りとして、あなたを蒼天会書記に任命するとの思し召しですが……」 「そんなもんに釣られるあたいじゃないわよ。さあ、とっととお帰り!」 「奉先さん。あくまで固辞するのでしたら、私自らの手であなたの階級章を……」 「聞き分けのない娘ね。みんな、やっておしまい!」 呂布の号令である。たちまち、室内のそこかしこに隠れていた彼女の部下たちが次から次へ飛び出し、逃げ帰ろうとする韓胤を、あっという間にしばきあげた。 捕縛された韓胤は階級章を剥奪された上、制服を引き裂かれ、実にあられもない姿となったのである。 翌日、呂布の部下の一人・陳登は韓胤を連行し、許昌棟の「蒼天通信」編集室へ乗り込んだ。 「編集長、いらっしゃいますか?」 「いるわよ。入っといで」呂布そっくりの応対である。 「お久しぶりです。下ヒ棟の陳登と申します」 「あら、こちらこそ……って、その縛られてる娘は一体?」 編集長の曹操が韓胤に目配せすると、それまで押し黙っていた彼女が漸く口を開いた。 「韓胤でございます。南陽棟の袁お嬢様の思し召しで、彼女の妹をプティスールにしていただくべく、呂奉先さんの所へ参ったのですが……」 ここで、陳登がすかさず縄目を解く。 「固く拒絶された上、私をこのような姿に……シク、シク」 慟哭する韓胤の制服はズタボロに裂かれ、階級章もついていなかった。 「さすが奉先ちゃん、ひどい仕打ちね……それはそうと、元龍ちゃん」 「はい?」曹操の突然の質問に、陳登は驚きを隠せない。 「将軍の飼い方について、あなたはどうお考えかしら?」 「しょ、将軍の飼い方ですか……」彼女はしばし考え込んだ。 やがて、陳登は自分の脳内を整理すると、曹操にこう語った。 「将軍を飼うのは、虎を飼うようなもんだとわたしは考えてます」 「それはなぜかしら?」 「満腹時、つまり任務を負ってる時はいいんですが、空腹時、つまり任務のない時は、ひたすら暴れ回って手がつけられません」 「なるほど……」と曹操が小さくうなずいた次の瞬間、彼女の反論が陳登を襲った。 「あいにく、わたしはそうは思わないわ」 「とおっしゃいますと?」 「将軍を飼うのは、鷹を飼うようなもんよ」 「と、鳥の鷹……ですか?」 「ええ、そうよ」 「それはなぜでしょう?」 「獲物、つまり野望があるうちは必要だけど、それがなくなれば不要になっちゃうからよ」 「正に『狡兎死して走狗烹らる』ってわけですね」 「そういうこと」 曹操は私見を説き終えると、大きく伸びをしてから、傍らの缶コーラを一気に空けた。 続いて、陳登が先刻とあべこべに曹操へ質問する。 「孟徳さん。あなたは、呂奉先さんをどんな方だと思いますか?」 「うーん、あいつは……ボブ=サップみたいな娘ね。タイマンで勝負させたら、かなうやつなどたれもいやしない。蒼天じゅうが『学園に呂布あり』などと誉めそやすのもうべなるかなって感じ」 曹操の回答は正鵠を射ていた。実際、呂布は「鬼姫」と渾名されていて、喧嘩の強さはおろかバイクの運転技術も学園一……というのが専らの評判である。 しかし、イバラにもとげあり。 陳登は、そんな彼女の無二の汚点を見抜いていた。 「あいにく、わたしはそうは思いませんね」 「っていうと?」 「はっきり言って、彼女は……接着剤みたいな娘です!」 「せ、接着剤?!」 狐につままれたような曹操に、陳登は呂布の本心を打ち明ける。 「呂奉先さんは、ただ強いだけで計画性のかけらもないんです。目先の利益に流されるまま、昨日はあの娘、今日はこの娘と接着を繰り返してきました」 「それで?」 「新学期に入ってからも、劉玄徳さんを追い落として徐州校区総代の座を奪い、ただ今は南陽棟の袁お嬢様を飛ばして、蒼天会長の称号を我が手に収めんと必死になってます」 「ふーん……それで、あたしにどうしろと?」 「孟徳さん! 彼女を飛ばすため、早急に軍を下ヒ棟へ差し向けてください。わたし、いざとなればあなたに寝返りますから」 「わかったわ。南陽棟を奪う前に下ヒ棟を押さえとけば、いい行きがけの駄賃になるし」 一礼すると、曹操は何やら文書を作り始めた。 「元龍ちゃん、今日は奉先ちゃんの本心を暴いてくれてありがとう……さあ、今すぐこれへサインして」 陳登は、彼女の示した文書に目を通すと、二つ返事で署名捺印した。 新たなる広陵棟長の誕生が、「鬼姫」退学の端緒を開いた瞬間であった。 糸冬
450:国重高暁 2004/04/20(火) 16:54 [takaaki@wb3.so-net.ne.jp] いかがでしたでしょうか。 今回の出典は「綱鑑」です。 曹操と陳登との談義が実に 面白いので、SS化してみました。 政略結婚については公式設定がない(?) ようなので、「マリア様がみてる」風に 「スール(義姉妹)の契り」と表現して みましたが……これで宜しかったでしょうか? 以上、国重でした。
451:はるら 2004/04/20(火) 17:56 国重高暁さまはじめまして、はるらです。 早速ですが読ましていただきました。国重高暁さまグッジョブ!! 呂布が接着剤・・・。思わず「おぉ!!」と感嘆してしまいました(^_^;)
452:岡本 2004/04/20(火) 18:36 ■ 邂逅 ■(1) 「あれっ、憲和。この写真って…。」 帰宅部連合写真部の記録保管庫にて整理作業中に一休みしてアルバムを見ていた法正はその中にあった一枚の写真に目を留めた。アルバム自体もほこりの多い片隅に平積みと保管が悪かったため、ほとんどの写真はセピア色に色褪せていた。 法正が課外活動からの引退を決意したのは高2の12月。帰宅部連合の一員としてやりたいことは先週の漢中アスレチックス攻防戦の勝利で大体終え、受験を考えての惜しまれながらの早期引退を行ったのである。1つ上の悪友というべき簡雍も卒業を控えてほぼ同時期の引退を決意。以後、帰宅部連合を揺り動かす大事件が連続して起こることは神ならぬ彼女らには予想もできなかった。 ともかく、2人は年明け1月の引退を考えた引継ぎ作業に12月の中旬はてんてこ舞いであった。もっとも、主として引き継ぎ作業で忙しかったのは運営の重鎮であった法正の方で、ものぐさな簡雍のほうは帰宅部連合劉備新聞部写真班班長および帰宅部連合写真部部長であったのだが、書類仕事は前々から全部後輩に投げていたので事務上の手続きの手間は実質皆無であった。 なのに今、保管庫の整理を法正がしているのは新聞部と写真部に残された簡雍の管理物品(のはずの物)の整理に駆り出されたからである。当初は簡雍の手伝いをしていたのであるが、肝心の簡雍がすぐにサボるため、法正も途中で忍耐を切らし、気晴らしに古いアルバムを見ていた。 本当に闇に葬らねばならない、墓場まで持っていかねばならないような社会的に政治的にヤバイ代物、あるいは金になりそうな物件は簡雍自身がちゃっかり安全なところにいち早く動かしていたのだが、それ以外のあまり重要でないか重要そうに見えないもの、公的に発表して問題ない物は“やはり”新聞部の私物棚に投げっぱなしになっていた。こういう物件に関して簡雍は自分の手から離れた瞬間存在自体を忘れることも多々あるので、最初のファイル閉じのような整理作業自体も行ったのは実際にその写真を使用した別人であるに違いない。 当然、荊南地区を制覇して正式に帰宅部連合が発足した今年度初頭以前のネガやデータファイルは全て処分されている。片隅に積み上げられていたこのアルバムもそれ以前のものであるため、もはや焼き増しもできず後は朽ちる一方である。 セピア色に色褪せた写真には、満開の桃の花のした、筵に座って甘酒が入っていると思われる器を手にした人物が3人写っている。折りたたんだ三節棍を腰に挿し片膝立てて座り、左手に杯を持ち右手でヴイサインをしている張飛に、刀袋を脇に正座して両手に杯を持ちカメラに向かって穏やかな笑みを浮かべる関羽、そして二人の間で甘酒の入っていると思しき酒瓶と切り分けられた肉料理を載せた皿を前において、胡坐をかいた劉備が右手の張り扇を肩に担ぎ、左手に杯を持って、二カッと朗らかな笑顔を向けていた。また3名とも制服ではなく私服姿である。劉備はトレードマークの赤パーカーを緑のシャツとジーパンの上に羽織っている。関羽は黒のシャツとベージュのチノパンの上にカーキ色のトレンチコート。張飛はオレンジ色のタンクトップの臍だしルックにデニムパンツとジージャン。 日時は3年前の3月3日。劉備、関羽、張飛そして簡雍がまだ中等部3年もしくは新高1としての期待に胸を膨らませていたであろう時期である。それに日付。“桃の節句” 間違いない、“ピーチガーデンの誓い”の写真だ。 最近の帰宅部連合の隆盛はすさまじく、劉備、関羽、張飛の所謂“ピーチガーデン三姉妹”の名は蒼天学園でも知らぬものがない。 −我ら三姉妹、蒼天学園に入学した時期は違えど、願わくば同じ年、同じ月、同じ日に引退せん。− “ピーチガーデンの誓い”は彼女らの交誼の固さを示すものとして既に学園の伝説となっている。帰宅部連合の前身である劉備新聞部発足時に、資金・印刷機器と取材の足を提供してくれた張世平と蘇双の縁者が現在、幽州校区における3姉妹関係のグッズやイベントに関しての権利を持っている。例えば、該当地の幽州校区涿地区のピーチガーデンにおいては、“ピーチガーデンの誓い”で当の三姉妹が食したという“桃園結義ランチ”なる便乗メニューがあったりする。 だが、その誓いが存在したかの真偽のほどが疑問とされていた以上、このメニューに付属する話も疑わしい。3人も初期の活動区域は涿地区だったため、ランチ自体はどの時期にかは食べていた可能性はある。つまり決定的な証拠がないのである。 ピーチガーデンの宣伝パンフに“ピーチガーデンの誓い”の説明として、咲き乱れる桃の花のした、劉備が差し上げた張り扇に両脇に居並んだ関羽と張飛がおのおの居合刀と連結式三節棍を交差させている写真が添付されているが、この写真は人差し指を突きつけての“異議あり”の連発である。3名とも蒼天学園“高等部”の制服姿であるし、つけている階級章も当時着けていたと思われる1円玉でなく高額の紙幣章である。第一、3人ともいかにも“やらせ”と分かるぎこちない笑みを浮かべている。この写真自体は実際の年以降、おそらく今年の春に撮影されたものであることは明らかである。 当事者の3名に聞けば一発で分かると思われるが、3名の名がここまで大きくなった今、“あれはあったのですか”と直に聞けるほどの度胸の持ち主はほとんどいない。とはいえ、宴会の席等でぽろっと漏れた情報が皆無というわけでもなかった。法正は、その証言内容を思い起こしてみた…。
453:岡本 2004/04/20(火) 18:37 ■ 邂逅 ■(2) 尋問内容: “3年前の3月3日 幽州校区涿地区ピーチガーデンであったことを証言してください。” 証言その1:赤パーカーと眼鏡着用の張り扇娘 「3年前なぁ、あの年は暖冬で桃の開花が早かったから桃の節句に花が咲いたっちゅうんでピーチガーデンに翼徳とバイトついでに花見に行ったんは覚えとるわ。もうひとりいたような気もするけどな…。そうそう、行った先でたまたま関さんに会うたんやった。“関さん”って呼び出したのもあの日からやったなぁ…。せやせや、関さん昔から年の割りに落ち着いてて貫禄あるから、てっきり上級生と勘違いしてもうてなぁ〜。」 韜晦が巧みなのか、大事な情報は多いものの直接関係のある証言はどうしても引き出せず。ゆさぶればゆさぶるほど脱線するようにも思えたので尋問は中断。 証言その2:長身の美髪嬢 「…私が蒼天学園に入学した日ですね。私は姉者や翼徳に出会い、共に蒼天学園での3年を過ごそうと心に誓いました。それで充分ではないでしょうか。」 核心は突いてるがあまりにも漠然に過ぎる。取り付く島もなくこれ以上の証言は引き出せず。 証言その3:スタイル抜群の格闘娘 「う〜ん、先週の宿題の内容忘れてるアタシが3年も前のこと覚えてると思うか?いや、そこで頷かれるとなんか腹立つんだけど。…あのときから姉貴たちにはほんと頭あがんねぇんだけどな。でも今やったら…。あ、やべ、姉貴や関姉には言うなよ。」 忘れた振りをしているのか本当に忘れているのかが判明しないところもあるが、何かをごまかそうとしているのは確かである。だが、釘を刺していたのが義姉二人らしいので尋問は断念。 はっきり“誓い”が成されたかは証明されなかったものの、3年前の3月3日に幽州校区涿地区ピーチガーデンの桃の花見で3人が出会ったことは間違いない。 興味深いのは劉備の「もうひとりいた」という発言である。 劉備新聞部の最初期メンバーは劉備玄徳、関羽雲長、張飛翼徳、簡雍憲和であるが…。 「この中にそのもう一人がいるのよね…。しかも見方を変えると2人…。」 ケース1:簡雍憲和 簡雍は劉備の幼馴染であり、劉備との縁はもっとも長い人物のはずであるが“ピーチガーデンの誓い”は3人姉妹である。 ケース2:関羽雲長 劉備、張飛、簡雍の3名とも蒼天学園の本籍地といってよい最初の登録は幽州校区涿地区内である。関羽の本貫は司州校区河東地区解棟である。このときが初対面だった可能性もある。 が、“もう一人”が関羽だと後の証言に繋がらないし、ピーチガーデン“3姉妹”である事実との矛盾が説明できない。 「…ここらあたりの矛盾に証言がはかばかしくない答えがありそうね…。」 その答えをくれそうな人物は法正に片付けの仕事を任せてサボっていた。 確かに重要人物の一人であることには間違いないが、うかつにつつくと何が出てくるか分からないのと、成都棟開放を除けばあまりにも蒼天学園の公務には関わってこなかったので誰もが尋問をスルーしていた人物でもある。彼女に尋問できる人物はごく限られている。ピーチガーデン3姉妹と諸葛亮、つきあいのある運営庶務三羽ガラスのあと二人である糜竺と孫乾を除けば法正しかいない。 「…どーした、孝直、仁王立ちになって。」 「どーでもいいわよ、キリキリ白状なさい!3年前の3月3日、何があったか。あんた知ってんでしょう!!」 「おいおい〜そんな昔のこと覚えてるわけ…。何、その右手で高々と差し上げた如何にも重そうなアルバムは?」 「いや、ショック療法してあげようかと…。」 にこやかに微笑みながらアルバムを振りかぶる法正に、流石に粘る限界を感じたのか簡雍は内心はともかく急いで寝転んでいたところから起き直った。これを見てとばかりに突きつけられた一枚の写真に、ほぉと目を丸くする。 「…しっかし、よくこんな写真見つけたよねぇ〜、アタシ自身今見せられるまでふと忘れてたのに…。」 あやしい。今の3姉妹の株を考えれば正統的に金を儲けられるこんなお宝写真を撮ったことを簡雍が思い出さないはずはない。何かしら忘れたあるいは積極的に忘れたがっていた理由があるはずである。 「…話してもらえるわよね、何があったか。劉備新聞部の最初期メンバーのあんたが知らないはずはないものね…。」 予想はできるが、この相手は転んでもただではおきない。 「じゃあ、対価は片付け全部やってくれるということで…。」 「うぐっ、多すぎ!せめて3分の1!もともとあんたの仕事なんだから!」 「誰も知らない情報なんだからねぇ〜。3分の2!」 「半分!これ以上は負けられないわよ!!」 「…ま、そこで手を打ちますか…。」 意外にすんなりと商談成立。 「...(ひょっとして謀られた?)…。」 なんとなく納得のいかない表情をしている法正に、簡雍が写真を見ながら思い起こしつつ話したのは次のような内容だった。 ***
454:岡本 2004/04/20(火) 18:38 ■ 邂逅 ■(3) 3年前の3月3日、蒼天学園司州校区河南地区洛陽棟にある司州校区事務課は学生でごった返していた。年度末の風物詩、事務手続きである。窓口のひとつでも背丈から中等部と思しき生徒が事務員と応対していた。その後ろは数名生徒が順を待って並んでいる。早くしろとの無言の威圧はかなり大きい。 「あら廖淳さん、あなた本貫の欄が抜けてるけど。」 「あぁ〜〜、すみません。えぇっとぅ、荊州校区襄陽地区です。」 廖淳と呼ばれた生徒は必要書類の不備を指摘されて、慌ててカバンから筆記用具を出そうとした。が、慌てていて見つからない。見かねた事務員が窓口の横にあるペンたてを指差す。すみませ〜んと頭を下げて、ペンを取ろうとしたがつかみ損ねて、途中で取り落としてしまった。 あっちゃ〜何泡食ってんのよ、アタシってドジ、と思ったところ、横からすっと伸びてきた手がペンを掴み上げた。慌てていたことと、急な動きでは無かったことでそのときには凄いとは思わなかったのだが、後にして思えば反射神経や運動神経が良いだけの者と違い、瞬発スピードに頼らない無駄のない動きで落ちる前に自然に摘み上げていたのである。よほど武道か舞の修練を積んでいないとできない動きであった。なお、廖淳自身も後に武闘派として年季を積んで帰宅部連合・右車騎主将という高位に着くのであるが、このときの動きはいつまでたっても真似できなかったという。 だからといって廖淳を後代において “廖化当先鋒”− 廖化を先鋒にする = 人材不足 とあげつらうのは不当に過ぎるだろうが…。 「どうぞ。」 「あっ、ありがとうござい…(うわっ、デカっ!)」 声に応じてペンを受け取ろうとした廖淳は、振り向いたときに目に入った人物、いや正確には眼の高さにあった“物体”に驚いて声をとぎらせた。 そう、目の前の人物は“いろいろな意味で”大きかった。 170cmを越える長身に広い肩、癖がなく艶やかな腰に余るほど長い豊かな黒髪。そして廖淳の目の高さにある物体。そのくせ全体で見るとすらりと均整が取れている。 「どうかしましたか?事務員さんがお待ちしていますよ。」 廖淳の不躾な視線に気を悪くした様子もなく、女性にしては低い深みのある声で丁寧に廖淳に注意を促す。容貌も声のイメージに違わず、派手ではないが落ち着いた美貌である。 今は進学の決まった生徒たちが高等部の進学、そして大学部の進学手続きを済ませに来る時期である。各校区所轄事務課でも手続きができないわけではないが、蒼天学園という単位互換性を持つ仮想巨大学園が存在する華夏研究学園都市においてはいろいろな事情で手間取りそうな場合、中央事務管理課とでも言うべき司州校区事務課で手続きをするのが通例である。2月下旬から3月中下旬までの一ヶ月はこういった学生たちで大病院の待合室並みの大きさがある司州校区事務課のロビーはごった返すのである。廖淳もその口で、追試が幾つかあったため荊州校区での正規中等部進級手続きに遅れ、慌てて司州校区で手続きに来たのである。 “高等部の先輩かな…。” 担当事務員の手続きに時間がかかりそうな廖淳は、これまでの後ろからのプレッシャーもなんのその、件の人物をゆっくり観察することにした。 彼女は廖淳の隣の窓口で事務手続きを受けていた。 黒のシャツにベージュのパンツ、上に深緑所謂カーキ色のトレンチコート(長身の人が着るとすごく映える)を羽織った男装の出で立ちであるが、声高に上等を叫ぶ連中に在りがちな伊達や無頼を気取っているわけでなく、またマニッシュとも違う。マニッシュというのは“男っぽさ”というより敢えて男装することで逆に女性としての色っぽさをアピールしている感がなくもないが(宝塚の男役はどうみても“美男子”でなく女性の色気がある)、この女性の場合は単に動きやすい服装を選んだらこうなったという様子で、無駄を省いた機能美のほうを考えているようである。 左手に紫の袋(刀袋)に包んだ1 mを越える棒状の物を携え、脇には風呂敷包みを抱えている。蒼天学園の“武闘派”集団のなかには電動ガンや模造刀をこれ見よがしにぶら下げているものも多いが、本来銃刀法では刃のない模造刀といえど公共の場では刀袋に収めておくことが規定されている。 風呂敷には書類や筆記用具が包まれていたのがこれまた古風である。 ちろちろと横目で書類をみると、氏名は関羽、本貫は司州校区河東地区解良棟ということであった。 “…関羽先輩か、よし覚えた…。しっかし、妙に気になる人だなぁ…。” 事務課の他の窓口に来た生徒たちも廖淳ほどじろじろ見ることはないが、時折盗み見たり振り返る者がいた。 いかにも物に動じない穏やかな内にも威を納めた風だが無闇に威圧感があるわけでもない。整った顔立ちに出るとこは出て引っ込むところは引っ込んだ長身、そして腰に余るほど豊かにある癖のない艶やかな黒髪と、1つ1つがモデルでもなかなか見れないような要素を持っているが全体的には落ち着いてまとまっており花が咲き誇るような派手さがあるわけではない。きびきびと動きのつぼを押さえた水際立った挙措であるが、ありがちなオーバーアクションではないので身体の大きさに反して目立つわけでもない。 だが存在感は比類なく大きい。 この女性の方は廖淳と違い書類に不備がなかったようですんなりと事務手続きは終了した。 一度も廖淳の方には振り返らなかったが見遣っていたのは気がついていたようで、それではお先に失礼、と微かに微笑んで会釈し、事務課を後にした。 「…やっぱり、高等部の先輩方ってかっこいいですねぇ。私も後3年もしたらああなれるのかなぁ…。」 絶対無理よ、という社会的・教育的に問題のある突っ込みは内心にとどめ、書類手続きをしていた事務員さんは問題にならないほうの突っ込みを口にした。 「…あの娘、あなたと同じ中等部よ。あ、もっとも新高1という意味で高等部の先輩というのは正しいけどね。高等部への入学手続きだったから…。」 「…え゛っ!大学部への進学だったんじゃないんですかぁ?!」 この時期に進学でなく高等部に入学するというのは妙である。入学試験・正規入学手続き自体は既に終わっている。正確に言えば新高1への編入ということになる。蒼天学園への編入は言ってしまえば試験に合格さえしてしまえば365日いつでもOKである。ということは…。 「体育科だったんですか?」 あの体格ならさもありなんである。 「い〜え、それが普通科よ。久々に編入試験の数学で満点が出たという話よ。」 次の生徒の事務作業を済ましつつ、事務員は廖淳に返事を返す。 世間話をしながらでも作業効率がさほど落ちないのは流石プロというべきか。もっとも華夏研究学園都市の事務員は時折学生の年齢や入学年度が正規書類と合わなかったりと総じてかなり作業内容がアバウトらしいが…。 「え゛え゛っ!!」 一芸でも飛びぬけていれば入れる専門科でなく普通科であると編入の場合満遍なくかなり成績が良くないと入れない。コネでもない限り正規入学者の上位10分の1に入れるくらいでないと駄目である。聞くところによるとかなり珠算が巧みらしく、非常に素早く正確に検算していたため、膨大に計算せねばならないはずの数学で満点が取れたらしい。 …天は二物を与えずって嘘じゃないの…?いや、あの人だって何もせずにああなったわけじゃない、私だっていつかはきっと!廖淳、ガンバよ!! 廖淳、本質は打たれるほどに強くなる熱血体育会系である。 「…廖淳さん早くして…。」 廖淳の夢想は後ろからの催促で破られた。 約1年半後に廖淳はこの娘と再会する。 ***
455:岡本 2004/04/20(火) 18:38 ■ 邂逅 ■(4) ところ変わって、冀州校区常山地区に存在する華夏研究学園都市唯一の神社である常山神社では近日に迫った“曲水の宴”の準備で大忙しだった。 〜 曲水の宴 〜 ― 観梅の時期、三月の第一日曜日[古代では三月上巳(弥生はじめの巳の日)]に行われる雅やかな歌会。梅園の中を流れる曲がりくねった小川に小船に乗せた酒盃を流し、それが目の前を流れる前に漢詩(奈良時代)もしくは和歌(平安時代)を読む宮廷人の遊びである。作品が出来たらその杯の酒を頂き注いで再び流すというものと、作品が出来ない場合に罰として酒を飲ませるという2通りがあるようである。 東晋の右将軍 王羲之が353年3月3日に主催した流觴曲水(りゅうしょうきょくすい)が高雅な現在の形の曲水の宴の起源といわれ、日本では485年に始められた。現在も日本の各地で行われ、太宰府天満宮では、958年に太宰大弐 小野好古が菅原道真の往時を偲んで始めたと伝えられる。 本来、中国においては春の禊の行事であり、秦の時代に清らかな流れに杯を流して禊払いの儀式として行われたのが始まりと言われ、平安時代には杯でなく穢れ払いの人形を流していたのが貴族の姫の雛かざりとなって桃の節句に発展する。― 本来が節句の禊の行事のため、多数の参加希望者の中から抽選で選ばれた衣冠束帯(男役)や十二単(女役)の先輩方の歌会の前には白拍子の舞そして巫女の神楽舞がある。 常山神社の一人娘である趙雲子龍、常山流薙刀道の同輩にして巫女見習いの陳到叔至、そしてバイトで雇われた彼女らの友人にしてライバルの田豫国譲の3人は、この日、神楽舞の練習をしていた。長髪の趙雲と陳到、ショートカットの田豫はいずれもそろいの巫女姿である。 午前中は3人とも物珍しさも手伝って見物にきた生徒たちの撮影に気軽に応じていた。ところが暖冬の影響で桃の開花が早まったため、幽州校区のピーチガーデンでの桃の花見のついでに訪れる生徒がかなり多かったのである。 そのため舞の練習と撮影が度重なると流石に疲れ、午後は人の来ないところで一息入れようと、お茶とお茶菓子を用意して普段は人の来ない神社の裏手に向かった。 ところが薄暗く人けがないはずの裏手からは、やぁ、とぅ、と掛け声が聞こえてきた。 裏手に回ると先客がいた。それも抜き身の刀を持って。といっても危険人物というわけではない。見たことのない長身の生徒が模造刀と思しき刀で剣術の稽古をしていたのである。 関羽も最初は近場の体育館に行こうとしたのであるが、どの体育館も既に部やサークルが練習に使っており、個人が居合刀を遣うスペースを借りられそうになかった。地図を頼りに何箇所か歩き回った挙句、人けのない常山神社の裏手を借りて型を遣うことにしたのである。軒下に風呂敷包みをおき、コートを脱いだシャツ姿であるが既に長時間稽古していたようで寒そうではない。 巫女服姿の三人に気づいて、神社の関係者と思ったのか(趙雲がいる以上間違いではない)、練習を中断し、会釈して“お邪魔しています、ご迷惑をお掛けしたなら引き払います”と聞いてきた。場を弁えた態度に、趙雲が、ご自由にお構いなく、と返事を返すと謝意を示して再び稽古を再開した。三人もタオルで汗をぬぐい、湯のみ片手に軒下に座わり、休憩方々何とはなしに稽古を眺めていた。 大きく動く度にそれに合わせて豊かな黒髪がうねるように波うつ様は印象的であった。が、それ以上に3人の関心を引いたのは、この人物の滑らかな挙措と3人の耳に微かに聞こえた風切り音であった。 趙雲、陳到、田豫の3名とも中学生としては傑出した格闘技能を持っているため、挙動の一つひとつを見ただけで、この人物の力量のおおよそは見て取れる。滑らかな無駄のない動きで俄かには真似できそうにない。また、遠目には撫でる様に大きく軽く振っているように見えたのだが、風切り音はこれまで耳にしたことがないくらい短く鋭いものであった。 「…なあ、子竜。あの人の刀って普通より短いのか?」 疑問に思って、田豫が尋ねる。薙刀をたしなむ二人と違い、田豫は格闘畑である。 「どうしてそう思うの?」 「いや、竹刀に比べたら短いしさ。それだったら早く振れるのも分かる気はするけど…。」 だが、力任せに振ったからといって速く振れるわけではない。 この人物の動きは根本的に違う。 田豫の疑問にクスッと陳到が笑って答える。 「あの人の遣っている刀はかなり長いですよ。背が高いからでしょうね。」 確かに目の前の人物は3人に比べて頭一つ以上高い。 「…デカいのタッパだけじゃないけどな…。」 田豫の視線は胸の辺りにいっていた。 「…それは言わないほうが無難でしょう…。」 趙雲、陳到ともに、自分の胸部を無言で見た後に付け加えた。 竹刀は大体全長が3尺6寸から9寸ある(110 cm 〜120 cm)。真剣に直したならば刃渡り3尺(90 cm)クラスの大業物になる。現在、居合いによく遣われるのは刃渡り2尺4寸5分(74cm)のもの。江戸時代の常寸(普通の長さ:治安にも関わるので触れで規定が出されることも)は時期にもよるが2尺2寸から4寸位である(67 cm ~ 72cm)。 「そんなものだったのか?もっと長いものだと思ってたよ。」 「私の見たところ、2尺6寸(80 cm弱)かそこらだと思いますけど。」 「80 cmよりはちょっと長いんじゃないか?」 「2尺7寸(82 cm)ね。」 こういった得物の寸法の見極めは間合いの見切りの深さにも通じる。その技量はこの3人では陳到<田豫<趙雲であった。
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