★しょーとれんじすと〜り〜スレッド★
461:岡本2004/04/20(火) 18:45
■ 邂逅 ■(10)

張飛にとって、問題は東坡肉を食べられてしまったことにとどまっていない。東坡肉を食われて悔しいのもあるが、それ以上に自分より強い人間が目の前にいるかもしれないという事実に苛立ちを感じるのである。自分の苛立ちの原因がどちらに主にあるのか判断するには張飛は酔っていて冷静さを失っていた。また、簡雍が頭を下げているのを見るのも、自分の力量が足りないことを示しているようで腹立たしかった。
二つの鬱屈を収めるには、目の前の人間を叩き伏せて自分のほうが強いと証明し、東坡肉を獲りかえすのが手っ取り早い。
「翼徳、ようやく話がつきそうなところを。」
「黙ってろ。これはオレの問題だ。」
省48
462:岡本2004/04/20(火) 18:46
■ 邂逅 ■(11)

「喧嘩だ喧嘩だー!!」
ピーチガーデンを満たしていた長閑な雰囲気が破られた。
「張飛が新入り相手に喧嘩売ったんだって。」
「へえ〜相手もかわいそうに。秒殺?」
省33
463:岡本2004/04/20(火) 18:47
■ 邂逅 ■(12)

関羽は抜きつけの一閃後右手で刀を相手に擬したまま、張飛は構えの左右を変えたまま、間合いを空け、互いの隙を窺うかの様に回り始めた。対峙するその意識下で、彼我の状況の観察が続けられる。
関羽の模造刀は“超薄刃仕立て”というが本身ではない。遠めには真剣に見えるが焼入れのできない特殊合金製で、普通の模造刀なら刃の代わりに平面のでている部分が鋭角になっているものである。とはいえ、関羽ほどの達者なら刃筋が狂わず手の内がしまっておれば棍棒ぐらいは両断できる。その刀身の“物打ち”(切っ先から10 cm位までの刃部)が1cmほどにわたってわずかではあるが潰れて捲れ上がっている。
“…先程の音と手ごたえ、妙な位置に二つある金輪、そして捲れたこの刃。あの棍、やはり疑ったとおりか…。”
関羽は視線を相手から外さず右手で刀を擬したまま、左手で器用にベルトに鞘を挿すと、両手に刀を構え直した。
省30
464:岡本2004/04/20(火) 18:47
■  邂逅 ■(13)

生徒集団間の勢力争いが絶えなかった蒼天学園において、戦略や謀略のみならず、戦闘に直接関係する武道や格闘技、戦闘術に秀でた生徒はどの時期においても数多く出現した。後代からそれを振り返って、所詮“見てきたような嘘を言い”の域を超えはしないものの “最強コンテスト”なる私選の番付をするものは多い。その上位陣の常連となる面々はいずれも大規模な騒乱が起こった時期の学生に集中しているのも当然であろう。
後に陳寿著の学園史“学園三国志”で扱われる時期もよく取り上げられる年代であり、 人外の範疇に入りそうな常識はずれの豪勇を示すエピソードを持つ人物が数多く存在した。そういったいずれ劣らぬ猛者の中でも、こと剣技とその駆け引きにおいては関羽が一目置かれていたらしいことは次の言い回しが残されたことで明らかであろう。
“関公面前要大刀” ― 関羽の前で刀を振るう = 身の程知らず
当時の張飛では知る由もなかったが、関羽はその豊富な鍛錬・実戦経験を元に布石をしいてチャンスを待っていたのである。これまでの打ち合いで手の内をそれほど見せず、足捌きか棟での打ち落としで対処していたのも駆け引きであった。
省36
465:岡本2004/04/20(火) 18:48
■ 邂逅 ■(14)

「こらっ、翼徳!あれほど他人様にその道具むけたらあかんてゆぅたやないかぁ!!」
赤パーカーの生徒からは、先ほどまで続いていた剣戟に負けないほどの叱責の声が上がっていた。伴奏にスパコーン、スパコーンといっそ気持ちがいいまでに張り扇の乱れ打ちが続く。打たれるほうの相手もこれまでの勢いはどこへ行ったのか、両膝を折って、頭を守るかのように合わせた両手を持ち上げて平謝りの体勢に入っている。先ほどの瞬間にアルコールが全て飛んでしまったようである。
「うぅっ、姉貴ィ〜〜、相手が歯ごたえありそうだったんでつい熱くなっちまったんだよぅ〜!ごめんよう〜〜。」
どうやらこの眼鏡の人物が、簡雍の言う“うちの大将”らしい。
省38
466:岡本2004/04/20(火) 18:49
■ 邂逅 ■(15)

関羽としては最初はごたごたが済めばこれ以上関わるつもりはなかった。だから無礼を承知で仲裁にたったこの人物に名を告げるつもりは無かったのであるが、この人物との縁をこれで終わらせるのも惜しい気がした。この人となら蒼天学園でやっていけると感じた瞬間かも知れなかった。それに一見して乱暴者の張飛がこの劉備の妹分であるあたり、張飛自身もこの劉備と共感しあうものがあるのだろう。この姉貴分のために手間暇かけて美味い東坡肉を作ったあたり、ただの喧嘩屋ではない。
関羽は東坡肉の大皿を取り上げ、劉備と張飛のほうへ差し出した。
「….お受けください、迷惑料です。」
「…いや、それは姐さんがとったもんで…。」
省46
467:岡本2004/04/20(火) 18:55
岡本です。全15回と意味も無くやたら長い作品で申し訳ありません。
一気に読むと疲れますので、ごゆっくりお読みください。
日本にいる間に完成させるつもりでしたが、今日になりました。

元ネタは桃園結義ですが、
関羽関係は民間伝承から引っ張ってきたネタが多いです。
省12
468:★ぐっこ@管理人2004/04/23(金) 00:17
>>449
国重高暁さま、グッジョブ!曹操と陳登でしたか…
なるほど、タイトルの意味がわかりましたわ(^_^;)
虎にせよ鷹にせよ、呂布の存在をよくよく表しているワードですものねえ…
誰からも、飼い慣らす、という発想を得られなかったのが呂布の不幸か。
それにしてもスール制度か〜…ホント、結婚の類ってどうしたものでしょうかねえ。
省20
469:那御2004/04/25(日) 14:29
>国重高暁さま
結婚に関しては、これもまたちゃんと確定しておきたい事柄ですね。
だんだんと最期へと近づく呂布を見事に描いていますね。
「接着剤」、切れ者陳登のキツイ一言が、引導を渡すか・・・

>岡本さま
省11
470:岡本2004/04/25(日) 16:12
〜 移ろい行くもの、受け継がれるもの 〜

学園三国志の舞台となった時期は、まさに激動の時期であった。学園運営活動に対する価値観や行動理念が学年ごとにくっきりと色濃く分かれ、主たる統治形態に固定概念など存在せず、時流に流されるがごとく、様変わりしていった。
末期の連合生徒会で声望があったのは、双璧といわれた皇甫嵩に朱儁、気骨の文官・盧植、北方の監視者・丁原。政務では千里の駒といわれた王佐の才・王允、カムロと実務の調整役として重きをなした袁隗。やり方に違いはあったとはいえ、彼女らは当時の連合生徒会を支える屋台骨であったはずである。が、如何に個人として優れていようと、その人物の価値観を取り巻く情勢や時の流れが許さない場合、表舞台から駆逐され退場せざるを得ないのが歴史というものであろう。彼女らが学園、蒼天会や生徒会にかけた思いにも関わらず、黄巾事件や菫卓の専横に示されるように、既に連合生徒会には自力で学園を統率するだけの能力を失っていた。それが各校区の総代・生徒会会長や地区長の独立を呼び起こし、群雄割拠の事態を招いたともいえる。結果、彼女らは連合生徒会と象徴たる蒼天会の権威失墜を回復することかなわず、学園の表舞台から不遇のままに消え去ることとなった。

彼女らにとって変わって、群雄割拠の時節に学園の表舞台に上がったのは、袁紹・袁術姉妹や公孫瓉に代表される世代である。彼女らは蒼天会や連合生徒会の無力さを肌で感じて中央から脱却した経緯を持つ。それぞれ、基盤としたものは各地に連綿と受け継がれた名声であったり辺境守備戦の実績であったりしたが、蒼天会に依存しない実力を背景に独自の秩序だてを模索していた。一面、実力が物を言う時節に突入したわけであるが、力のみで泳ぎきれるほど甘くも無かった。公孫瓉は白馬義従と呼ばれ恐れられた当時随一の機動戦力を有していたものの、劉虞を問答無用で飛ばしたことなどで政治的な失敗が重なって諸勢力からそっぽを向かれ、結局は袁紹との政治力や統治能力、声望も含めた総力戦で敗れ去った。袁術は、袁家の権威のみでは求心力には決定的にかけるということに気づかず、地道に自勢力の運営を行って地力を付けることを怠り、諸勢力間の叩きあいで勢力を減退させ、退場することになった。
省28
1-AA