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484:那御 2004/05/02(日) 21:48 −占いに無い出会い− 「ふぅ・・・」 夜も更けた深夜1時。すっかり冷え切ったコーヒーを飲み干し、譙周は溜息をついた。 『仇国論』と銘打たれた、原稿用紙数十枚にも渡る論文。 幾度となく繰り返される無謀な北伐の意義について、友人の陳祗と語った内容を、文章で綴ったものである。 今回はこの内容をお話しすることはないが、彼女が帰宅部連合の行く末を憂いていたことが伺える。 譙周、あだ名は允南。 帰宅部連合随一の古典好きで、よくひとりでニコニコしながら古文を暗誦していたようだ。 明晰な頭脳の持ち主であったが、切れ者というわけではなく、不意の質問には答えられないことが多かった。 誠実かつ素朴な人柄で、トレードマークは長い髪の毛を束ねる緑色のリボンと縁無しの眼鏡。 どこか抜けたところがあり、諸葛亮と始めて会ったときには、諸葛亮の部下が笑いを堪え切れずに吹き出してしまったという。 諸葛亮曰く、「私ですら我慢できなかったのですから、あの娘たちに我慢しろと言う方が無理ですよ・・・」と。 最近、帰宅部連合について何度占っても、あまり良い結果は得られない。 事実、北伐によって疲弊した軍と、腐敗した中央政権。これで良い結果を望むほうが無理なのだろうか。 (これから連合は一体どうなっちゃうんだろうな・・・) こんな時間は、なぜか物思いに耽ってしまうことが多い。 (伯瑜さん・・・貴女の言葉の重み、今になって実感しています・・・) 譙周の言う『伯瑜さん』とは、杜瓊のことである。 杜瓊はもともとは益州校区総代・劉璋の下で働いていたが、劉備が益州に入ると、書記として仕えることになった。 小等部に在学中に、周りの友人が『こっくりさん』に興じるのを見て、 「くだらない・・・」と言い放ち、これを聞き付けた占い部の部長・任安にスカウトされて占いを始めたという経歴がある。 そして任安が卒業するまで、その知識の全てを叩き込まれ、その技量は神業級であった。 一口に占いといっても、その種類は膨大なものである。 学園で正式とされている『易』では、筮竹と呼ばれる長さ30〜40cmほどの細い竹の棒50本と、 算木、もしくは卦子と呼ばれる1.5cm角で長さ9cmほどの棒を6本用いる。 筮竹を規則に従って両手で操作し、片手で掴み取った数によって算木を配列する。 算木の2面には、黒く色が塗ってある。これは陽爻を表す。 また、残りの2面には溝が彫ってあり、溝の内側は赤で目印が付けられている。これは陰爻を表す。 筮竹の操作によって得られた爻は、順番に並べられて卦を構成する。 六卦を得るためには、計18回もの筮竹の操作が必要で、算木はそれを暗記するための道具であるといわれている。 杜瓊は、その天才的な占いの技術の反面、彼女は口数も少なく、人付き合いが苦手であったため、 殆ど友人らしい友人はいなかった。 しかし、ある日・・・ 「伯瑜さん、お願いですッ!私に・・・私に占いを教えてくださいッ!」 ・・・もう何度頭を下げたことだろうか。でも、伯瑜さんの答えは素っ気無い。 いきなり押しかけたのがまずかったのだろうか。 「・・・何度も言わせないで。駄目な物は駄目。」 しつこく訊き過ぎたかもしれない。呆れられているかもしれない。 それでも、私は占いの道を究めてみたい。 占いで切り開ける未来。そういうものを私は見てみたい。 でも、今のままじゃダメ。何か決定的なものが、私には欠けている。 それを、伯瑜さんに教えてもらいたい。 そのためには、私は何度だってお願いする・・・ 「なんでです?ど・・・して駄目なんで・・・か?こんなに・・・願いしているのに・・・」 なんだか鼻声になってきている。目の辺りも熱い。 もしかして・・・泣いてるのかな・・・私。 「お願いしますッ!」
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