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561:海月 亮 2005/02/10(木) 21:58 「…あ…あの、私…」 沈黙を破ったのは審配だった。 「私…何も出来ませんでした…顕甫お嬢様を護るどころか、曹氏蒼天会に一矢報いることさえ」 袁紹は黙ったままだ。その沈黙が、自分を責めたてているように思えた。 「私にそんな力は無いのに…いきがってつまらない意地張って…こんなことに」 俯いた瞳から、涙が零れる。 不意に、抱き寄せられる感覚に審配は驚き、顔を上げた。 「…え…」 「御免ね…私が愚かなばかりに、あなたをこんなに苦しませてしまうなんて…」 「そ…そんなっ! 本初様は何も悪くないです!」 袁紹は頭を振る。表情はわからないが、その声は涙声だった。 「…私は、たくさんの娘達を…私を信じてついて来てくれたみんなを…裏切ったのよ。そして、残ったあなたたちに、すべてを押し付けて逃げた卑怯者よ…」 「本初…様」 「許してなんて言えないわ…本当に…ごめんね…」 審配は思い返していた。 この部屋に入ってきた袁紹の顔は、酷くやつれていた。官渡の決戦に敗れ、失意の引退宣言をした時よりもずっと、やつれているのが解った。覇道を断たれ、一線を退かなくてはならなかった無念がそうさせたのだと、審配は最初思っていた。 しかし、彼女はそれが間違いだったことを理解した。袁紹はずっと、自分の不明によって失ったかつての仲間達や、残った自分達の事を思い、それに罪の意識を抱き、苦しみつづけていたのだろう。恐らくは、ひとりで。 だから、彼女は思った。 「…大丈夫ですよ…みんなきっと、あなたの事を恨んでなんか居ません」 「…え?」 「考えたプロセスが違ったかもしれないけど、みんな同じ未来を目指して、あなたについてきたんですから」 自分は心底、この人のことが好きだからこそ、この人を見捨てることが出来ないから。 「だから、もうそんなに、ご自分を責めないで下さい…それでもあなたが、ご自分を許せないと言うなら」 それが自分の償いの道であると、そう思ったから。泣き笑いのその表情は、何処か吹っ切れたように見えた。 「私にも、その苦しみを、背負わせてください」 「…正南、さん」 泣き崩れた大切なひとの身体を、審配は強く、抱きしめていた。 部屋を立ち去り、屋上に上った曹操は、振り向きもせずに呟く。 「…どうして、なんだろうね」 「あん?」 「公台も、雲長も、あの娘も…どうして、あそこまでひとりのひとについて行けるんだろうね」 その背中は、酷く寂しそうに見えた。元々小柄な少女だが、郭嘉にはそれが一層小さく見えるように思えていた。 郭嘉は、口にくわえた煙草に火をつけ、その味を一度確かめる。そして、おもむろに言った。 「…そりゃあな、きっとあたし達があんたにくっついていくのと変わらないんだと思うぜ」 「え?」 「あいつ等にはあいつ等の信じたヤツと同じ未来しか見てないように、あたし達は曹孟徳と同じ未来しか見てないんだ…そういうもんさね」 「…そっか」 振り向いた曹操の笑顔は、何処か寂しげだった。 「さ、もう往っちまった連中は放っておいて、これからのことを考えようぜ。まだまだ、先は長いんだからな」 「ん…そだね」 眼下には、棟から去って行く二人の姿が見えた。 かつて課外活動で己の覇道を貫こうとした少女と、それを支えた名臣は、今や只の一生徒でしかない。しかし、彼女等はそれでも、よき友で在り続けることを選んだようだった。 いや、多分、これからふたりは本当の"友達"になるのかもしれない。 曹操の目には、それがあまりに寂しくも見え、羨ましくも見えた。 「ね、奉孝」 「何だ?」 「もし…もしもだよ、あたしが本初みたいになったら、キミはあたしについてきてくれるかな?」 一瞬、呆気に取られる郭嘉。次の瞬間、さも可笑しそうに笑う。 曹操は少し不機嫌そうに、 「な、なんだよ〜、あたしは真面目に話してるんだよっ!」 「ははは…そんなこと、させねぇよ…あたしの命に賭けても、会長を袁紹みたいな目に合わせやしないさ」 「もしもだって言ったじゃん」 「…その、もしも、もありえないさ。絶対に」 微笑んだ彼女が見上げる空は、何処までも青く澄みきっていた。 最期の言葉は、その身に待ち受ける、あまりに過酷な未来をも覆せるようにと…そんな彼女の願いもこめられているようだった。 (終わり)
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