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★しょーとれんじすと〜り〜スレッド★
744:海月 亮 2005/07/16(土) 17:48 >羅憲VS歩協 …が、頑張ってみます…。 でもそれなら何気に丁奉の出番があるかも。 >甘寧と張悌 いえいえ、甘寧は入れちゃっていいと思いますよ(^^A 最近思い入れ持ちすぎないよう過小評価しているきらいがあったものだから… 張悌は…たしかにかなり難しいところですよね。 あの時代になるともう、ひとかどの人物を呉で探すことが最早困難なような気がしますが…まぁ張悌ならあの時代では、呉将でも飛びぬけた存在ではあることは間違いない気がしますね。
745:雑号将軍 2005/07/16(土) 21:57 >羅憲VS歩協 あ、あの、ただの独り言と思ってスルーしちゃってもかまいせんからっ!気を使わせてしまったようで…。 >呉の五将 なんか難しいですね。やっぱり呉で同時期に五人の将を集めるのは難しいのでしょうかね? >張悌 そうですね。あの時代になるとホントに…。後は・・・・・・ごめんなさい、僕の知ってる限りでは見つかりません。 こう考えると呉が滅亡したのは自然だったのでしょうか?
746:北畠蒼陽 2005/07/17(日) 10:40 [nworo@hotmail.com] 「〜♪」 王昶がお気に入りの洋楽を口ずさんでいる。 王基がそれを胡散臭そうな顔で見た。 王昶はスカートの丈をヒザ下まで伸ばし、別に目に異常があるわけでもないのに右目にアイパッチをつけている。本人に聞いたら『ファッションだ』と言い張ることだろう、恐らく。 ちなみにアイパッチにディフォルメされ可愛くなったドクロのマークが描かれているところなんぞはもうどうツッコんでいいのかすらよくわからない。 だがそういう王基からして曹爽副官時代に着ていたボレロを身に着けているのはアナーキーっぷりを存分に発揮しており、いい感じといえるかどうかすら微妙なのだが。 東興の日 その日、長湖部の巨人、孫権が引退した。 これは蒼天会にとって混乱しているであろう長湖部を打ち倒す千載一遇のチャンスであった。 司馬師はこの機を逃さず諸葛誕と胡遵を東興に、王昶を南郡に、毋丘倹を武昌に進めさせた。 これは現蒼天会を代表する人材であり、まさに司馬師のこの一戦にかける意気込みが伝わるものであった。 「まさに無人の沃野を征くが如し♪」 王昶が本陣とする仮設テントの長机に腰掛けながらご機嫌に呟いた。 王基は微妙な表情をする。 確かに『無人の沃野』だ。人がいなさ過ぎる。 恐らく東興か武昌に全軍を集結させているのだろう。 そちらの戦線が敗れれば……あまり好ましい事態にならないことは確かだろう。 王昶が王基の表情に気づき苦笑する。 「わかってるって、私だってバカじゃない……まぁ、かった〜い校舎があるんだからそれを利用した防衛、ってのが正攻法。多分、敵が集結してるのは胡遵のとこだろうね」 「……うん。だったら今、惜しいものは時間」 「そぉそ♪ OGの孫ビン先輩は敵国に攻められた趙を助けるために敵国の本校舎に直接攻めかかったらしいけどね。つまり私らのなすべきことは……」 「……今だから建業棟を目指す。それがわかってるんだったら……」 すぱこーん。 王基が王昶の頭をスリッパで叩いた。 いい音がした。 「……テントなんか撤収してとっとと動く。一刻一秒の無駄は許せないわ」 「えぇい、伯輿だけが副官ならわざわざ意思確認なんて必要ないわい! 他にもひとがいるから意思疎通のための会議が必要なんでしょ!」 頭を庇うように腕を上げて王昶が王基に抗弁する。 ……まぁ、それもそうか。 王昶の妹の王渾をはじめとして幕僚には恵まれている。だが恵まれてはいるものの意思疎通は重要だ。 「……じゃ、もういいでしょ。動く動く」 「ぇー、まだいいよー。胡遵も諸葛誕もバカじゃないんだから。まともに戦闘せずに時間稼ぎに徹してさえくれれば私と毋丘倹でなんとかするさ」 王基が拳を振り上げると王昶はカンフーポーズで対抗した。よくわからない。 伝令が息を切らして王昶のテントに飛び込んできたのはちょうどそんなときだった。
747:北畠蒼陽 2005/07/17(日) 10:43 [nworo@hotmail.com] 「あのバカッ!」 シニカルな笑みを浮かべるか、またはにこにこと笑うか……どちらにしても王昶にしては珍しいことに激情を顕わにして机を拳で打ちつけた。 王基も気に入らなさそうに鼻にしわを寄せている。 しかしそれを王渾をはじめとした幕僚たちも止めることはできない。 伝令の伝えたニュースはそれほどショッキングなものだった。 東興において諸葛誕と胡遵、敗北。 韓綜や桓嘉はトばされ、主将の諸葛誕と胡遵も身ひとつで逃げるという絵に描いたような大敗北であった。 王昶も王基もそのまま固まったように動かない。 幕僚たちも戸惑いを止めることはできない。なんといっても今、この場に2人以上の戦歴の持ち主はいないのだ。 実質、指示待ちではあるもののその肝心の2人ともが動かない状態であった。 たっぷり2分凍りついたように動かないでいた王昶がやがてぼそっと口を開く。 「撤収するよ」 「おね……主将! 私たちは無傷です! ぜんぜん戦える状況ですよ!」 抗弁する王渾に今度は王基が答える。 「……ここは長湖部領内ってことを忘れちゃいけないわ。これは一方面の敗北ってだけじゃない……『蒼天会のホンキ』の敗北よ……ただ」 王基がちら、と王昶を見る。 「……文舒、責任とろうなんて考えてないでしょうね?」 「軍隊を無傷で撤収させるんだ。せっかく高まってた士気もがた落ち……誰かが責任とらにゃあいかんだろ」 拳を机に打ちつけたまま王昶が答える。 王渾たちははっと息をのんだ。 それはそうだ。中央の人間の中にも今の自分のように『まだ戦える』と考える人間だっているだろう。 まだ戦えるにもかかわらず撤収などをすれば処罰……最悪、自主引退…… 「玄沖、その場合はあんたが指揮権を握るんだよ。大丈夫、あんたまで責任が回らないようにはしてやる」 「おね……!」 なにかを言おうとする王渾に、王昶はやっと顔を上げ、笑顔を見せた。 「責任者ってのは文字通り責任を取るためにいるんだ。なにもおかしくはない」 「……ふ〜ん」 今にも泣きだしそうな顔の王渾。 しかし王基だけがさらに不満げな顔をする。 「……文舒、1人で責任取るなんてかっこつけたこと、許せないんだけど」 「あんたは残れ、って言いたいけどね。ま、そういう顔したときはなに言っても無理か」 王基は王昶の苦笑交じりの言葉ににっこりと笑った。 「……長い付き合いだからね。諦めなさい」
748:雑号将軍 2005/07/17(日) 10:59 またまた来ましたな、王姉妹&王基!責任者は責任を取るためにいる…なんか前にもどこかで聞いたことがあるような…。 性格が悪い王昶もこの辺りは流石に名将と呼ばれることはありますね。格好いいですなあ。 僕も曹操ネタそろそろまとめないと・・・・・・。
749:北畠蒼陽 2005/07/17(日) 11:06 [nworo@hotmail.com] 以前、海月 亮様が書いてた東興の別視点ですね。 いや、これは私事なんですが前に入院してたうちの祖父が亡くなりましてちょっと里帰りなぞをしておりました。 純粋文人(になりたいなぁ、と思っている)北畠としてはへこんでいるときにしか書けない小説もあるはずだ、などと思ったわけですが…… ごめん、ただの支離滅裂ものだったorz あ、ちなみに祖父はもともと医者から夏まで生きられない、といわれてたんで精神的なへこみはそれほどないのです。 むしろ今まで生きていてくれたことにむしろ7月までよく生きてくれたなぁ、とか思うわけです。 さすが若いころは満鉄の機関士だった男だぜ! 関係ないですけど! 生き死にとかに触れたあとでごく普通のテンションのものってのはちょいと書きづらかったですね、精進が足りませぬ。 >王表の6話まで か、勘弁してください(吐血笑 >五呉将(『ごごしょう』は非常にゴロがいいです 黄蓋、韓当、程普、祖茂、凌操ってのはなしですかっ!?(笑 >呉滅亡についての所見 いや、実際のところ自分の個人的意見ですが『人1人の能力ってのはそれほどかわらない』ってものがありまして。 まぁ、確かに失敗者と成功者がいるわけですが『能力』としてはそれほどの違いはないと思うんですよ。 じゃあ呉末期に有名な人がいないのはなぜか。 呉は負けましたから! 実際、無能モノばっかりだから自分らが攻めていって住民を解放してあげた、という体裁をとらないと王朝としても都合が悪いでしょうしね。 えぇ、本当はいたと思いますよ、歴史が語る以上の『名将』は。
750:北畠蒼陽 2005/07/17(日) 11:16 [nworo@hotmail.com] わおお、あとがき書いてる間に先行カキコされたー!(笑 >雑号将軍様 やっぱ性格悪いだけじゃ『いくさ人』じゃないですよ。 私の尊敬する隆慶一郎先生がその小説に書いてることを自分なりに考えたのですが…… 徳川家康はタヌキ親父などといわれているが戦国時代を通して織田、徳川連合ほど強固で礼儀正しい同盟は存在しない。 だからこそ関が原においていくさ人たちは『このひとであれば自分が信用するに足りる』と徳川方についたのである。 家康はもちろん策略などは使うが武人としての『ルール』は守る。 もちろん『責任者だから責任を取る』ってのもルールだと思うわけですよ。 王昶は『武人としてのルールだけは守る策略家』……そういうふうに書いていきたいなぁ…… あ、ちなみにこのとき王昶&王基は罪に問われてません。 この一事だけを見ても司馬師ってすごいな、と思うわけです。
751:雑号将軍 2005/07/17(日) 13:08 >入院してたうちの祖父が亡くなりまして えーと、なんて言えばいいか…。ご冥福をお祈りいたします。すみません。いい言葉がみつかりませんでした。 >五呉将 おおお!あなすばらしや!あなすばらしや!ここは一発どなたかに五呉将ネタを!って自分出かけよ…。それ以前に五呉将ってホントに誰なんだ?他の皆様方はどうかんがえておられるのでしょう? >家康&王昶 そう考えると家康って劉備に似てません?えっ僕だけ?まあ劉備は家康と違って強大な力が消える前に自分が消えちゃいましたけど。 王昶・・・・・・これこそが大将の器ですよね!これからも頑張って下さい。期待してますっ! >司馬師 司馬懿の息子というのはどうやら伊達ではないようですな!実は僕、司馬師なんかしらないけど好きじゃないんですよ。司馬懿、司馬昭は好きなんですけど…。う〜んなんでだ?あっ!毋丘倹の呪いかっ!
752:海月 亮 2005/07/17(日) 21:20 ふむ、これで東興堤はいっちょあがり…かな? 今うちとこ置いてあるリミックス版と読み合わせても違和感とかまったくなかったです。 同じ事件を取り扱っていても、切り出した方面からまた違うドラマが見えてくる…すばらしいことです。 てか王昶たんカコイイ…(;´Д`) >五呉将 とりあえず海月だと陸遜、甘寧、呂蒙、虞翻、丁奉とか。 ただ好きな呉将を並べたと言う罠_| ̄|○ コレは冗談ですんで… 海月の本音はこんなあたりを参照のこと→>>742 >>743 >歴史が語る以上の名将 とりあえず吾彦の名があがると思われ。 孫皓が彼の忠告に耳を貸していればもしかしたら…。 まぁ敗者の業績は抹消されるが世の常。直江山城とか島左近とか。 >毋丘倹の呪い じゃあ海月の場合、諸葛亮先生が嫌いなのは漢乙女・魏延の呪いっつーことでどうかw
753:北畠蒼陽 2005/07/17(日) 21:43 [nworo@hotmail.com] >呪い? 実は私も諸葛亮のひとが嫌いなわけですが誰の呪いってことにしとく?(笑 >ちなみに 絵描きbbsで玉川雄一様がイメチェンについて述べておられましたが……えぇ、まぁ、それに触発されたわけで今回から王昶書くときは服装の描写していこうかな、と思ってます。 ちょい変わったモノ着せていきますんでヨロ。 >日本だけど 北条家宿老、松田憲秀は裏切りの事実すらなかったと思われるわけです。 史実には『豊臣の誘いを受けて、息子らと共に豊臣家に寝返ろうとするのだが、次男がそれを北条氏直に密告したため、計画は露見して捕らえられ、小田原城の開城後、豊臣秀吉に裏切りの件を咎められ、切腹を命じられた』なんてことになってるわけですが当時、秀吉の敵は北条家が最後ではなく、まだ東北地方にバラバラと潜在敵国の勢力が残っていたわけですから『わざわざ自分から降伏してくれた敵将』を大事にしないわけがないのです。 だってこのあと伊達家とかいろいろ攻めなきゃいけないのに敵勢力からの降伏者は認めない、なんて宣言してるようなもんですからそりゃ今後の戦いが泥沼化しちゃいますよ。 松田憲秀は恐らく北条家にとって真に名将と呼べる人物であり、だからこそ秀吉は彼を恐れて貶める宣伝をしたのではないか、というのが私の推測です。
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