★しょーとれんじすと〜り〜スレッド★
981:海月 亮2006/10/28(土) 10:44
「…どうして」
揚州学区の病院の一室に、彼女は眠っていた。
頭には包帯を巻き、その身体には所々計器が取り付けられている。静かな病室の中、無機質な電子音だけが響いている。
「どうしてこんな目に、遭わなきゃならないの…子明さん…」
孫権は呂蒙の手をとると、力なくそう呟いた。
俯いたその瞳からは、とめどなく涙が流れ続けていた。


長湖部内での論功行賞は既に済み、作戦の総指揮をとった呂蒙はもちろん、生き残った者達にはそれこそ莫大な恩賞が与えられ、今回飛ばされたもの達についても十分すぎるほどの見舞金が出されていた。
そして、丹陽に半ば放逐状態だった虞翻もまた、此度の江陵陥落の立役者としての功績が認められ、再び幹部会の会計総括として中央に戻されることとなった。

そして陸遜はというと…流石に功績の大きさから何の扱いも出来ないということはできず、名目として鎮西主将の称号を与えられ、そのまま陸口に留まっていた。
ただしそこにどのような思惑が働いていたのか…彼女はしばらくの間、これまでどおりいちマネージャーとして過ごすこととなる。


そして呂蒙。
「…そういうわけで、問題もひと段落つきましたので…勝手ながら少しの間療養の時間を頂きたいのです」
呂蒙はこの日初めて、自分の体調のことを孫権に打ち明けていた。

呂蒙は戦後処理の直後、宛がわれた自室で倒れているのが発見された。既に限界寸前まで酷使していた身体が、大仕事を成し遂げた安堵感からかその力を一気に失ってしまったようでもあった。
その後数日間病院のベッドで過ごし、この日正式に暇乞いをするために許可を得て病院を出てきていたのだ。

「後任人事は、こちらに総てあるとおりです」
提出されたその表文の中には潘璋、朱然ら現長湖部の武の要といえるものたちの名はあったが…陸遜の名はなかった。
呂蒙は病院にいた間、これまでの部員たちの行動を鑑み、かつ孫権や陸遜当人との約束を守り、その人事案を完成させたのだ。
「…うん…でもまた、帰ってこれるんだよね…?」
孫権は勤めて普段通りの口調で、そう問いかけた。
元気そうに見えたが、呂蒙の顔からもその病状の深刻さが伺えた。孫権にももしかしたら、それが叶わぬ希望とは解っていたのかも知れないが…それでも、そう言わずにいれなかった。
それを解っていたからこそ…また、自分にもそう言い聞かせるように、呂蒙も応えた。
「…ええ。ですから、まだ階級章はお返ししませんから」
「うん…じゃあ、しっかり休んできてね」
そこには涙はなかった。


建業棟を退出し、無言のまま隣り合って歩く呂蒙と孫皎。
「…悪かったな、黙っていて」
先に沈黙を破ったのは呂蒙だった。
「ええんや。今ちゃんと教えてくれたんやから」
頭を振る孫皎。
彼女にも、この戦いに賭けた呂蒙の思いを…自分を心配することで気を遣わせまいとしたその気持ちを解っていた。だから彼女は、自分を"友達"と言ってくれた呂蒙の為に、その疑問を口に出さずひたすらそのサポートに徹していた。
「ゆっくり休んで、また元気に帰ってきてくれれば、それでええねん…」
「…ああ」
寂しそうに笑う孫皎の気持ちを紛らわせるかのように、呂蒙も笑って見せた。


悲劇は、そのとき起こった。

突如黒い影が何かを振りかざし、その視界に現れた。
「…叔朗!」
その叫びよりも早く、鈍い音がして、孫皎の身体が横にふっとばされた。
「奸賊、覚悟ッ!」
殺気を感じ、呂蒙がその場を飛びのくと、それまで彼女がいた場所に何かが通り抜けて地面に突き刺さった。
それが鉄パイプであるということを呂蒙が理解するより前に、四方から立て続けに第二撃、第三撃が襲ってくる。
「ちっ…正当な学園無双で敗れた腹癒せの闇討ちが、てめぇらの流儀なのかよ!」
「黙れッ!留守居を狙ったこそ泥の分際で!」
呂蒙は紙一重でかわしながら、何とか倒れ付した孫皎を回収しての逃げ道を模索する。
しかし、無常にも彼女の体調が、それを強烈な激痛として阻んだ。

直後、凄まじい衝撃が彼女を襲った。



この下手人たちは、たまたま近くを通りかかった水泳部員達によって悉く取り押さえられたものの、そのときの惨状は筆舌に尽くしがたく、被害者たる呂蒙が一命を取りとめていたことが奇跡に近い状況であった。
全身を滅多に打ち据えられ、特に頭への一撃はほとんど致命傷といっても差し支えなかったという。

元々呂蒙は水泳部を中心に様々な運動系クラブを掛け持ちしていたことで、小柄ながら体つきがしっかりしており、その鍛え抜かれた体があったからこそ一命を取りとめることが出来た、とのことだった。

孫皎は比較的軽傷で済んだものの、こちらは目の前で親友たる呂蒙を失ったことでショックを受けて心神喪失状態となり、課外活動を続けることが困難と判断されてドクターストップがかけられてしまった。



今回の謀主でありながら、幸いにも危難を逃れた陸遜はというと。

陸口で「呂蒙闇討ちに遭う」の報を聞きつけた陸遜も、流石にショックを隠しきれずにいた。
彼女はとるものもとりあえず病院へと駆けつけ、目覚めぬ呂蒙と、その手をとって嘆き悲しむ孫権の姿を、ただ呆然と眺めることしか出来ずにいた。
(…これが…こんなことが、このひとの末路でなくてはならなかったと言うの…?)
自身の身体に埋まった時限爆弾の刻限を知り、その時間内に大望を成し遂げるために最大限の人事を尽くしたその姿を、陸遜もよく知っていた。

「この一戦だけ」と、悲壮な覚悟で自分に懇願してきた呂蒙の姿を、陸遜は思い出していた。
それが、昨年の秋口にあった事件のあるシーンと、重なって見えた。

南郡攻略に進発する周瑜を見送った、そのときと。


いずれも、ふたりと言葉を交わした、最後の瞬間だったからだ。


(どうして…どうしてふたりとも、こんな目に遭わなきゃならないの…?)
彼女の目からも涙が溢れ、流れ落ちた。
周瑜と呂蒙…このふたりのやろうとしたことの何処が、理不尽ともいえる"天罰"に触れなければならなかったのかと思い、彼女は天を呪わずにいれなかった。


そしてその場に姿を現さなかったものの…虞翻もまた、呂蒙の末路を聞き及び、一人涙した。

孫策が刺客に襲われたあの日も、そして今回も…彼女はその場に居合わせず、それが取り返せぬ時間と場所で結末のみを知る形となってしまったのだ。
(私は…また大切な人を…守ることが出来なかった…)
どうしようもない運命のなせる業であることも、彼女はその聡い頭脳で理解はしていた。
しかし、その感情は…その場に居合わせることすら出来なかった自分自身をただ責め続けていた。



この数日後、呂蒙を失ったことによる人事再編が長湖幹部内で施行された。
しかしながら、呂蒙を失った穴を埋めるには到底及ばない状態であり…長湖部は暫しの間、その中枢を担うべき将帥のない状態となる。

そしてそれゆえ、数ヵ月後に、その存亡に関わる大事件へと巻き込まれてゆくこととなる…。
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