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公祺ちゃん ■張魯■
1:玉川雄一2002/12/08(日) 22:56
炊けないお米に、意味はあるんでしょうか。張魯タン。
彼女の母は学園の経営陣に名を連ねているとも噂されるが真偽のほどは定かではない。
また、自称「天文部の部長さん」(ただし部員は彼女だけ)でもある。
姉の代より、益州校区でご飯食推進組織「五斗米道」を主宰していた。
後に学園の混乱に乗じて、当時放棄されていた漢中アスレチックを占拠。
独自の組織運営に則って同地を再建し、コミュニティを形成した。
この辺りには少なからぬ資金が必要とされたはずであり、母の影響力が取り沙汰されるゆえんである。
こうして独立勢力を築きあげたわけだが、これといって外向きに悪影響を及ぼすこともなく、
また交通険阻の地にあったため征討もままならず、学園当局としては黙認という形で事を収めていた。
見事に整備されたアスレチックは、来場者は誰でも利用することが可能であった。
遊び疲れてお腹が空いた場合にはその旨申し出れば「お米券」を進呈され、
最寄りの引換所で飯盒炊爨を楽しむことができた。
交通手段が限られるために千客万来、という訳にもいかなかったが、
生徒による自主運営でまかなうには丁度バランスが取れていたともいうことができる。
もっとも、ふるまわれるお米の出所についてはやはりしかるべきルートがあったと見られている。
だが、曹操が学園の大半を掌握するようになると、この小さなユートピアも無関係ではいられなくなった。
涼州校区の陸上部を一掃した曹操は、ついに漢中アスレチック接収に向けて動き出す。
もっとも、張魯としてもそれを拒否する絶対的な理由は無かったのだが、
妹である張衛は徹底抗戦を叫び、またスタッフの閻甫も「駆け引きとしての抗戦」を勧めた。
そこで陽平関を閉じて立て籠もったが、歴戦の曹操勢はあっさりそれを撃砕。
結局張魯は巴西方面へ落ち延びたが、その際アスレチックの各施設を封印し、無傷で明け渡した。
その行為は曹操をいたく喜ばせ、後に一党が出頭するとそれぞれ厚遇されることとなったのである。
その後張魯は曹操に随行してきた許チョと偶然趣味の天文を通じて意気投合した。
二人はささやかな天文同好会を立ち上げ、星を見て過ごしたという。
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