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372:岡本2004/04/25(日) 01:36
法全様、はるら様 初めまして。
アサハル様 お久しぶりです。予備役の岡本です。

イラスト、投稿で華やかですね。

>劉備のクロスタイは公孫サンのものを譲り受けた。
劉備が群雄として成り上がる最初は公孫サンの別部司馬(別働隊隊長)だったのですが、
陶謙の後を継いだ際に、公孫サンと袂を分かっている節もあるのです。(袁紹に徐州刺史就任の
打診をしていますし。)このあたりで劉虞を処刑するということもしている
ので、公孫サンの孤立化がすすんだ時期でもあります。

ここらの政治的な流れはいろいろ調べてみると結構面白いです。
劉備が徳とか運のような不確かもので成り上がったわけでなく、かなり強かに
泳ぎ回ったことが伺えて興味深いです。
”当世の英雄は君と余だ”という曹操の台詞がよいしょに聞こえません。

同様に、後漢カルテットと三君主+呂布を結びつけて考えるのもありました。
絵的には美しいのですが、個人的にはこれも首を捻っているところはあります。
文字通り、つじつまが合わないところが出てくるのです。
もっとも、のっぴきならない事態が生じるまでは厳密さよりはノリを優先するのが
学三の方針でしたね。

私淑という形での関係としてはありえたとしても、
政治理念や組織としての行動方針を考えると學三でいう
皇甫嵩の代、袁紹の代、曹操・劉備・孫堅の代、孫権の代
の4世代で何があったかと思うくらい(実際、歴史的事件が頻発したわけですが)
完全に価値観が割れています。
そう考えると、単純に理念が継承されていると考えると、矛盾どころか破綻します。
尊敬はするが、私は私、という感じに近い気がします。
実際、曹操・劉備そして孫堅の3人が
基本的に誰かの理念を受け継いだのでなく、最初から最後まで試行錯誤を経て得た
己の理念で動いていたところが英雄という言われた所以だと私は思っていますので。

ながながと勝手な語りに入ってすみませんでした。
1-AA