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472:★玉川雄一2005/01/03(月) 21:45
 ■東興の戦い
んー、正史をざっと見てみたらこんなカンジ。

 252年10月
諸葛恪、かつて放棄された東興隄を修復して城を築き、全端と留略を配置。

 252年12月
魏軍、歩騎七万の軍勢を動員して諸葛誕、胡遵らに東興を包囲させる。
同時に王昶に南郡を、毋丘倹に武昌を攻撃させた。

  同月19日
諸葛恪、四万の軍勢を率いて救援に赴く。

  同月23日
呉軍、留賛、呂拠、唐咨、丁奉らを先鋒として降雪をついて出撃。
強襲により魏軍は敗走、楽安太守桓嘉(桓階の子)、前軍督韓綜(韓当の子)らは戦死した。

 253年1月5日
王昶らの軍が撤退。

 253年2月
呉軍、東興から凱旋。盛大に封爵恩賞が行われた。

丁奉の手勢が三千だったというのは彼の伝にも記述がありますね。
襲撃部隊はいずれも寡勢軽装で魏軍の油断を誘っています。
今ひとつの見せ場はかつての呉将・韓綜の戦死であり、
彼(彼女)についてはいずれお話を書いてみたいと思っています。
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