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馬軍団その1 ■馬騰■
1:玉川雄一 2003/08/03(日) 23:07 馬軍団総帥・馬騰タン。 雍・涼校区では陸上部活動が活発であり、学園外との交流試合も活発に行う強豪揃いであった。 馬騰はその中の一チームの主将位に就くと次第に頭角を現し始める。 当時、学園では諸組織の独立自治運営を求める運動が盛んであり、 孫堅率いる長湖部などと並んで陸上部連合もこれに加わっていた。 しかしその要求は学園中枢部から比較的遠距離にある長湖部らに関しては認められたものの、 学園の副中枢である長安を擁する京兆棟群の近傍にある陸上部連合には色好い返事がなかった。 このため馬騰は連合を挙げて度々蒼天会と衝突し、反覆常ならぬ状況が長く続くこととなる。 かの董卓が失脚した直後には当時蒼天会本部が置かれていた長安を制圧する計画が成功しかけたが、 今一歩で露見してしまい京兆以西の雍州校区の混迷を徒に激化させるに終わった。 だが曹操が蒼天会と提携し、長安に鍾ヨウを送り込むと状況は軟化し始めた。 鍾ヨウは副官の張既とともに粘り強く陸上部連合と交渉を重ね、 曹操が袁紹と対峙するという大事な時期に雍州方面を沈静化させることに成功する。 陸上部連合はやや妥協した形で蒼天会(生徒会)と和解し、 馬騰は後に主将の地位を次妹の馬超に譲ると、 下の妹の馬休、馬鉄らとともに中央執行部に移籍したのだった。 しかし、曹操の漢中アスレチック接収宣言に過剰反応した馬超らは連合を挙げて生徒会に決戦を挑み、 完膚無きまでに敗北して連合は解体されてしまう。 馬騰はこの(第一次)関西動乱の責任をとり、二人の妹らとともに引退したのだった。 異説に拠れば、馬騰は蒼天会長・劉協による曹操排斥の謀議に荷担していたとされ、 この謀議が露見したことで曹操に処断されたとも伝わるが、真偽のほどは定かではない。
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