不遇の名将 ■李厳■
1:ヤッサバ隊長2003/08/17(日) 20:05
元・劉璋の配下。
劉備が益州校区入りを果たした際、降伏して帰宅部連合に加わった。
その才覚によって、帰宅部連合内に置いても高い地位を得、劉備が無念の引退を決意した際には、諸葛亮ともども劉禅を補佐するよう命じられる。
だが、その諸葛亮との仲は芳しくなく、その諸葛亮によって永安棟へと押し留められてしまう。
その後北伐の際には戦列に参加。主に後方にて補給活動の任に当たっていたが、ある時運悪く長雨によって食料の運搬が困難になり、
結果北伐を一時断念せざるを得なくなってしまう。
省17
2:玉川雄一2003/08/17(日) 20:40
    ∩
    ( ⌒)     ∩_ _
   /,. ノ      i .,,E)
  ./ /"      / /" .
  ./ / _、_   / ノ'
 / / ,_ノ` )/ /
省16
3:★ぐっこ@管理人2003/08/17(日) 20:57
   n                n
 (ヨ )              ( E)
 / |    _、_     _、_    | ヽ
 \ \/( ,_ノ` )/( <_,` )ヽ/ / good job!
   \(uu     /     uu)/
    |      ∧     /
省18
4:ヤッサバ隊長2003/08/17(日) 21:08
ふむ…確かに、後に
ttp://www23.tok2.com/home/rainy/zuiso-sangokushi-shykatsuryo-rigen.htm
を読み返してみると、諸葛亮が李厳を永安へと派遣したのには複雑な理由があるようで。
李厳同様妹の李豊を要職に就けたりしているのにも、諸葛亮の李姉妹に対する様々な配慮があったようですね。
やはり玉さんの仰る通りポジティブに考えた方が良いのかもしれません。

省14
5:★ぐっこ@管理人2003/08/18(月) 21:58
そうですねえ…
ただし李厳の場合、李平となってからのふてぶてしい行動が妙に印象に残ります。
学三で言うと、妹と二人で後方総司令部みたいなのを主催している間に、ナニやってたのか
興味深いところではありますね(^_^;)
馬忠に説得されて孔明に降るまでの不穏な動きから見ると、疑惑倍増。

省7
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