子孝ちゃん2 ■曹仁■
2:玉川雄一2003/12/23(火) 21:01
>>1から続き

そして、思うところがあったのか唐突に“薔苦烈痛弾”の解散を宣言する。
チームの面々が大きな衝撃を受けたであろう事は想像に難くはないが、
渾身の説得に従ってみなが更生し、新たな道を歩むことになった。
曹仁は彼女らの身の振り方まで世話を焼き、多くは正規の実戦部隊へと転属することになる。
ある者は曹操親衛隊“ピンクパンサーズ”に加わり、またある者は対長湖部の最前線へ、
ある者は関西方面へと赴いた。こと戦歴に関しては学内随一である彼女らはまたよく身を慎み、
偉大なるヘッドの名を辱めることはなかったという。
また曹仁自身も以前の姿からは想像も付かないほどの変貌を遂げ、
生徒会執行部としての務めを見事に執り行った。
これにはあの曹操ですらも驚きを隠せない様子ではあったが、
苦笑しつつもその姿を見習うようにと周囲に諭していたという。

曹丕の登極により新蒼天会が成立すると曹仁は中央執行部の最高幹部に名を連ねたが、
一方で長湖部に対し数度の攻勢に出るなどなおも実戦から離れることはなかった。
湖東方面での作戦を最後に引退し、学業に追い込みをかけて見事進学を果たしたのだった。

波乱に満ちた彼女の学園生活は長く語り継がれ、数年後に傅玄が残した記録によれば
その武勇は伝説の域に達しており、鬼姫と恐れられた張遼ですら彼女の次に位するという。
※なお考察を加えるならば、ことタイマン勝負であるならば
 曹仁の自己流ケンカ殺法が張遼の冷徹なまでの剣技に抗し得たかは大いに疑問が残る。
 だが大軍を指揮しての戦い、あるいはその中における総合的な破壊力に関しては、
 戦績から見る限りではかの合肥の勇将をもってしても次位に甘んじざるを得ないといったところだろうか。

また余談ながら、当時学園内で運営されていた巨大掲示板“Gちゃんねる”において、
曹仁が顔面にハイキックを食らうというアスキーアートが流行したことがあった。
蹴り手は基本的に許チョが務めることが多かったが、
双方の本来のキャラクターとのギャップも受けて大いにもてはやされたという。
またその実写版コラージュ画像が出回ったこともあり、
下手人はその道のプロフェッショナルたる曹洪かともっぱらの噂となったが、
曹仁とは従姉妹にあたり古くからのつき合いがあってその気性をよく知る彼女が
果たして敢えて冒険に踏み切ったのかどうか、今となっては真相は闇の中である。
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