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玄徳ちゃん2 ■劉備■
1:玉川雄一2004/01/02(金) 20:04
流れ流れて幾千里、大輪咲かせた劉備タン。
幼少時より大望を抱いており、関羽、張飛を義妹に従え蒼天学園中等部に乗り込んだ。
…というのは誇張に過ぎる表現であり、
他校で何事か問題を起こして転校せざるを得なくなった、というのが真相らしい。
また、中等部時代は全く無名の存在だった。
それでも持ち前のカリスマ性は周囲の人を惹きつけて止まず、
簡雍など気の合う仲間とグループを形成していた。
高等部に進級すると、黄巾騒動をはじめとする様々な事件に首を突っ込む。
その時その時には全校に名を轟かせるような活躍をしたわけでもないのだが、
後になって振り返れば「ああ、そういえばあの時…」と人々の記憶に残っていたという。
反董卓連合に参加して呂布に真っ向から勝負を挑んだことで名が知られ始め、
またその頃から学校新聞作りに精を出すようになった。
学園公認の「蒼天通信」を主宰する曹操とは個人的な友誼を結んではいたが、
混迷を極める情勢に巻き込まれて離合集散を繰り返すことになる。
独自の路線を模索する劉備はやがて曹操と決別し、
自らの地盤を求めて学園の各地を転々とすることになった。
やがて荊州校区に拠点を定めると、彼女の人柄とサークルの境遇とがあいまって、
学園当局から疎外あるいは弾圧を受けた団体が集い始める。
いつしかそれは『帰宅部連合』と呼ばれるようになり、学園内でも有数の勢力に成長していった。
だが決定的な中核を持たないことが仇となり、
曹操率いる生徒会の討伐を受けるとあっけなく瓦解してしまう。
なんとか虎口を脱した劉備は長湖部と提携し、
赤壁島決戦後の混乱に乗じて荊州校区南部に活動拠点を据える。
ここから益州校区に入り、成都棟に本部を移すと北進に転じ、
生徒会との決戦に勝利して漢中アスレチックの奪取に成功した。
ここで“漢中の君”を称し、事後承諾ながら蒼天会から直接の承認を得る。
生徒会とはなおも険悪な関係が続いたが、
帰宅部連合はいまや学園の三分の一を占める一大勢力に成長していたのだった。
>>2に続く
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