下
子[王炎]ちゃん ■黄[王宛]■
1:玉川雄一 2004/01/09(金) 02:02 そして後漢祭り旭絵からスピンアウト。黄王宛タン。何故か桃太郎カット。 あーもう、諱も字も表外字かよ! 蒋エンといい、全ソウといい… もっとも、1800年も後になって自分の名が想像も付かないメディア上で 表記不能になるなんざ知ったこっちゃない、ってもんですかね。 やはり手書きに勝るものはないのか… さて彼女。なんかめっちゃ腕っこきの予州校区総代だったそうですやん? 董卓に迎えられて中央執行部最高幹部を歴任するも、 長安への蒼天会本部移転に反対して楊彪とともに失職。 その後また復帰し、王允と組んで董卓を追い落とすもその残党に飛ばされた、と。 一説には曹操を襲い、曹邵(秦邵)をとばしたとも?(時系列的に見てどうよ) また、劉焉や来敏などと縁故があった模様。 あ、後漢書に伝ありますやん。 ほほう、黄瓊って人のお孫さんだったんですね。 ……那御さん、へるぷみー<(_ _)>
2:那御 2004/01/09(金) 23:30 んな〜、いよいよ難しくなって来ましたね。。 実際今回はかなり苦戦しましたw(資料不足) 残る後漢シリーズは・・・楊彪、鮑信、馬日テイ、士孫瑞、張温、 そして「リヨみて」で大活躍の呉匡・・・他にもイパーイいますな。。 この辺だったら伝書けますので大丈夫ですw <黄エン伝> はじめ豫州校区総代として、 主に校区の治安維持に大きな功績を挙げ、学園にその名を轟かせていた。 当時、名声のある生徒を集めることに夢中であった董卓に招かれて洛陽棟入りし、 評議会議長、蒼天承認委員会委員長など、生徒会の重職を歴任した。 反董卓の連合軍が組まれ、洛陽棟にも危険が迫ると、 董卓は長安棟への本拠地移転を敢行しようとする。 黄エンはこれに強く反対したが、逆に職を解任され、謹慎となる。 しかし、同じように董卓の本拠地移転を諌めた伍ケイ、周ヒツらがトばされたことを知り、 やむを得ず董卓に服従を誓うこととなった。 その後、司隷校区総代となって、このとき評議会議長だった王允と結託し、 計略を以て董卓を飛ばすことに成功した。 しかし、李カク、郭シが長安棟を占領した際、捕縛されてトばされた。
3:★惟新 2004/01/10(土) 16:49 あっ桃太郎カットだ! 黄[王宛]タンは董卓に仕えても面従腹背。 虎視眈々と機会を伺い、ついに宿願を果たした苦労人。 黄[王宛]、揚彪、荀爽の諫言トリオには さすがの董卓も耳が痛かったことでしょう(^_^;)
4:★ぐっこ@管理人 2004/01/12(月) 15:55 この人も奥が深い人ですやね〜。彼女も活躍時期は党錮のちょっと前から。 ちなみに姉の黄瓊に日食のことで助け船を出して、世に名前が知られた時は、 まだ小等部くらいかな? リアルで7歳児だし… 順調に出世し、青州の総代やら右扶風の方の棟長として治績を上げ、中央入り。 当時の腐敗した中央部に憤って、陳蕃と同志の契りを結ぶも、事成されず生徒会 追放に。 でも程なく推挙を受けて復職し、黄巾討伐のゴタゴタに揺れる学園を何とか建て 直そうと尽力…そして>>2へ繋がると。 実際、「秦邵事件」は全く謎なんですねえ…。曹真のストーリー上、どうしても 取り入れたいところですけど、理由と時空列が…。董卓の命を受けて、ってことは まず無いでしょうから、それよりももっと前。袁術の部下というラインもあり得ないし… まあ、曹操の履歴をみると、沛相の袁忠に処罰されそうになったといいますから、 (このへん、夏侯淵の救出事件と搦むのではないかと妄想)、その直属の上司であった かもしれない黄琬たんとは、何らかの関わりがあるかなあと。
上
前
次
1-
新
書
写
板
AA
設
索
子[王炎]ちゃん ■黄[王宛]■ http://gukko.net/i0ch/test/read.cgi/gaksan2/1073581372/l50