下
通耀ちゃん ■王叡■
2:玉川雄一2004/01/12(月) 22:01AAS
もうコースアウトしまくりで恐縮の至り。
王叡クラスを投入するとなるとターゲットが一気に広がるよぅ(((((;゚Д゚))))
そろそろ本道に戻して締めくくらねば。
で、なぜに王叡かと申さば。
……今まで黙ってたけど、ウチ、琅邪王氏萌えやねん。
香香さんが潁川鍾氏を、japanさんが潁川陳氏を愛して止まないように!
ちなみに琅邪王氏とゆうと、厳密には琅邪国臨沂が本籍。
この王叡、王融以下王祥、王覧を経て王敦、王導はては王羲之に繋がるのがこの系統。
また、魏の幽州刺史王雄から「竹林の七賢」のひとり王戎、
さらには清談ヲタのヘタレ宰相・王衍などを輩出した系統も。
この二流がどこかで繋がるのかは不明。でもたぶん同族っしょ。
で、意外なところでは孫権の妃である王夫人(孫和の母の方)も琅邪の人だそうな。
でもね、根本的なところでちょっと疑問が。
物の本には「名門」って書かれているけど、それっていつからだったんでしょ?
誰の代から羽振りを利かせるようになったのか、
そしていつの時代から世間に名門と認識されるようになったのか。
少なくとも魏代にはかなりの地位に昇るようになっていますが、
後漢以前に系譜を遡ることができるのかしら?
例えば、『後漢書』に琅邪王氏の人って立伝されているのかな。
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