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茂先ちゃん ■張華■
1:玉川雄一2004/04/26(月) 23:35
東晋ハイスクール西晋期最高の名宰相、張華タン。
曹氏蒼天会末期に幽州校区の地方執行部員として参画し、
その才を認められて中央執行部に移る。
司馬炎からの諮問に際しては豊かな知識を披露し、
流れるような応対を称され信任を受けることになった。
当時弱体化の一途をたどっていた長湖部に対して
前線の実動部隊からはその討伐がしきりに提案されたが、
中央執行部では重鎮の賈充以下主立った面々がことごとく慎重論を唱える中で、
張華はただ一人討伐論を推進した。
結局、彼女の後押しもあって討呉は開始され、やがて成功裏に終わったのだが、
賈充一派の反感を買い左遷の憂き目を見ることになった。
しかし幽州校区の総代として優秀な治績を挙げ、再び中央に返り咲く。
司馬炎の引退後、一連の混乱の後に女傑・賈南風の専権体制が確立する。
協力を要請された張華はこれを受諾し、裴頠と共に
事実上の執行部首班を務めることになったのである。
数々の非行で知られる賈南風も張華には敬意を払い、
張華もまた学園の為にその全力を尽くした。
「闇主虐后の朝に当たるといえども海内晏然たるは張華の功なり」という言葉は
必ずしもそのままに受け止めるわけにはゆかないとしても、
この時期に張華が果たした役割を評するものとして最高の部類に属するだろう。
しかし再び訪れた激動の波乱は彼女を飲み込むこととなる。
趙の君・司馬倫はその行いにつねづね張華の忌むところがあったのだが、
賈南風の排斥を主張するその裏に蒼天会簒奪の意が露わになるに及んで対立は決定的となる。
強硬手段に訴えた司馬倫一派により、張華は裴頠ともども処断されたのだった。
張華はその博識を活かした実務能力は言うに及ばず、
大局的な戦略眼を備えて機を失うこともなく、その持てる力を振るって学園のために尽くした。
また人を見る目にも長けており、彼女に見出されて立身の機会を得た者は枚挙にいとまがない。
さらに文章家としても価値ある作品を記すなど、
まさに当代随一の才人と呼ぶに相応しい人物だといえよう。
それだけに、非業の結末は多くの者を悲しませることになったのだった。
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