☆熱帯夜を吹っ飛ばせ! 納涼中華市祭!☆
59:★教授2005/08/18(木) 22:00
◆In the Moonlight -FRIENDSHIP SIDE-◆


「ストレス性の胃潰瘍ですな。よくこんなになるまで放っておいたものじゃ」
 カルテを眺めながら初老の医師は顔を顰める。その横では劉備と諸葛亮の帰宅部2トップが険しい顔をして医師の二の句を待っていた。
 しかし、医師の口から出た言葉は二人を冷たく突き放す内容だった。
「主等の期待しておる答えはない。彼女には暫くの入院、療養が必要なのだ」
「そんな…何とかなりまへんのか?」
「バカモン。吐血するまで体を酷使していた者をまだ使おうと言うのか、お主」
「………」
「ともかく、今は安静にして心のケアが大事じゃ。分かったなら、もう下がりなさい」
 劉備は言い返せなかった、というよりも言葉が浮かばなかった。有能故に重要な任や問題には必ずと言っていい程法正を用いてきた。これからもそのつもりでいたのだから。しかし、病室でベッドに横たわる法正の苦しげな寝顔を見て、言い返せる事など出来ようはずもない。
 己の甘えがまさかこんな形で現れるとは思ってもいなかった。他人を思いやれる劉備が犯した大きなミスだった。初めて人の心を思いやれなかった、法正の体調の変化に気付いてやれなかった…。診察室を出た劉備は唇を強く噛み、拳を固く握り締める。
「総代、気に病む事はないです。一人で背負おうとするのが貴方の悪い癖なのですよ」
「いやに冷静やん…。でもな、説教なら後にしてくれんか…って」
 後ろから語りかける諸葛亮に向き直る劉備。そこにあったのはいつもの涼しげで思考を読みきれない不適な眼差しではなく、白羽扇で顔を隠して肩を不規則に震わせる諸葛亮の姿だった。
「アンタ、まさか…泣…」
「愚問ですぞ、総代。一番冷静にならねばならない者が感情的になる訳はありますまい」
 気を付けて聞かなければ分からない僅かな違い、劉備はそれに気付いた。掠れてトーンが落ちた声、明らかに涙の混ざった感情を篭められた暖かいものに。彼女もまた法正同様、身も心も自分達の為に削っている事に改めて気付いた。そして、彼女にしか出来ないであろう残酷な現実にも。
 しかし、覚悟は出来た。自分達の悲願の為、そして志半ばで倒れた者達に報いる為にそれを諸葛亮に頼む事に迷いはなかった
「孔明。行くで、私らが祭を愉しむのは来年以降や。ホウ統と法正の穴は…アンタに埋めてもらうしかない!」
「…お任せを。我が志に偽りはありませぬ、例えどのような辛苦が待ち受けているとしても必ずや期待に添えて見せましょう」
 二人は互いの顔を見る事無く、踵を返して病院を後にした。新たな決意を胸に――


「………」
 法正が倒れて3日目の夜。彼女は個室の窓から外をぼんやりと眺めていた。
 あれから帰宅部の重鎮や彼女を慕う一般生徒達が見舞いに来てくれた。しかし、その中に孟達、張松の姿は無かった。所在の知れぬ張松ならともかく、孟達には法正が倒れた事が伝わっているはず。なのに、一度も姿を見せる事はおろか、電話伝言といった類もなかった。
「もう…あの頃には戻れないんだね…」
 そう呟く法正の顔は日増しに痩せていた。唯の3日で人はこれ程痩せられるものだろうかと思うくらいに。
 食欲は一番最初に無くなった。固形物が喉を通らなくなったのを皮切りに流動食、飲料水と口に入れるのが億劫になっていった。そして目を閉じれば浮かぶ過去が悪夢を呼び寝不足にも苛まれるようになった。これでは治る物も治らない。今は外している点滴でかろうじて保っていると言っても過言ではない状態なのだ。
「………きっと着る事はもうないんだろうな」
 ベッドの傍らの椅子に几帳面に畳まれた浴衣があった。この浴衣を見る度に法正の胸にはもう友と分かち合う事の出来ない、楽しかった時が蘇る。それがまた辛さを増す要因ともなっていた。その事には法正も気付いている。でも、すぐには片付けるつもりはなかった。せめて祭の期間だけでも傍に置いておきたかった、今だけでもあの頃の思い出に浸っていたかったから――と
 不意に病室のドアがゆっくりと開かれる。法正は担当医か看護婦でも来たのかなと思い、そちらを見遣る――が、違った。
 そこにいたのはぼさぼさの赤い髪を安物の髪留めで結った最近になって見慣れた自分の天敵に等しい存在、簡雍だった。
「孝直、大丈夫?」
「憲和………って、今面会時間じゃない…よね?」
「大変だったけど私の忍び足は一級品だからね」
 事も無げに言い放つ簡雍に思わず頬の筋肉が緩む法正。何時以来だろう、こうやって自然に笑わなくなったのは――そう思った時には既に法正の顔は難しくなっていた。
「…で、何の用なのよ?」
「いやいや、孝直は入院してたから花火見てないでしょ?」
「………まぁね。憲和は見てないってわけじゃないんでしょう?」
「見てたよ。いやぁ、あれは大きかった」
「そう…私は複雑な気分だったから入院してなくても…」
 そこで言葉を切ると俯き暗く沈んだ表情を浮かべる。簡雍は法正の意を知ってか知らずか言葉を続けた。
「まあまあ、そこで憲和ちゃんがいいモノ持ってきたわけよ」
 持参のリュックを背中から下ろすと徐に手を突っ込む。そして引き出された手には、市販されてる花火セットが握られていた。法正の頭にイヤな光景が一瞬で浮かぶ。
「ま、まさか…ここでするつもりじゃ…」
「そのまさか」
「び、病人に鞭打つの…ね」
 法正は観念した様に目を閉じる。だが、それはすぐに簡雍のでこぴんで止める事になった。
「何すんのよ…もう」
「部屋でするわけないっしょ。屋上行こ、いい風吹いてるし…狭い部屋に閉じこもってばっかりじゃ湿っちゃうよ」
「………」
 簡雍の言葉にはっと我に返る事が出来た法正。何故、自分はこんなにマイナス思考になっていたんだろう、と。
「憲和、肩借りられる?」
「お安い御用だね」
 おぼつかない足取りではあるが、法正は簡雍に肩を借りて一歩ずつ歩み始めた。陰はもう背中には見えなかった――
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