下
サンホラ雑談スレ
67:左平(仮名) 2004/06/13(日) 22:56 …ディ−プなネタなだけに、なかなか入りづらい(←なら無理に入るな!というのはご容赦を)ですが… これらの元ネタ、中世騎士道もの+北欧神話+先キリスト教のケルト文化 あたりでOKですか? 展開次第では「強大なる異教の〜」なんてのも出そうですが、やはりイスラム・モンゴルあたりを元ネタに するのでしょうか。 先日、「モンゴルvs西欧vsイスラム 13世紀の世界大戦」(伊藤敏樹 講談社選書メチエ)という本を 買ったので、そのあたりになれば少しは入れそうなのですが…。
68:★玉川雄一 2004/06/13(日) 23:58 ■アルヴァレスって… 岡本さんの考察はなかなかに鋭いところを突いていると思いますよ。 私が>>58で少し触れたアルヴァレスの人格についてですけど。 彼はこと戦闘能力に限っては当代一の傑物であったことは確実ですが、 それ以外については至らぬ点ばかり。「時代の求めた英雄」と呼ぶには抵抗があります。 時として思わぬ人物を祭り上げてしまうのが「時代の勢い」とはいえ、 アルヴァレスには前科がありすぎる。 物語の根源的な問題として彼の性格(人格)に破綻したところが見られるのですが、 ノリとテンションで聴き抜ける分には…まあ、ねえ? 全体を通して聴くとまた別の観点から捉えることもできるのですが、 確かに考え出すとドツボにはまる。 あらまりおねえさんにはいつの日か学三のナレーションをお願いしたいと言ってみる。
69:★ぐっこ 2004/06/14(月) 01:35 んー… 裏の頃から続くコーナー趣旨、どう説明しよう… 真面目に歴史物として見れば、人物はペラペラだわご都合主義だわで幾らでも叩けますが。 「聖戦と死神」じたいが、歴史小説でも戦記風小説でも何でもなく、いち同人音楽CDの 中の、ほんの四、五曲ほどの中のお話。 そういうミクロな世界の限られた情報から、どれだけマジレス気味に考察して膨らませるか、 というのが、ネタ趣旨です。 まあその性質上、全肯定が前提になってますので、音盤の出来映え、脚本設定の不備云々 を語るスレではない、と。 とりあえず、そんだけ。 >アルヴァレスの人間性 んじゃ、そういう趣旨に則っての考察の予行といきますが… 私もアルヴァレスは、ひどく未熟な人格であると思います。彼が復讐鬼として屍山血河を 築いていった時期は、おそらくプロイツェン攻略あたりまでで、それから先は、目的は あるにしても、彼にとっての意味合いはきわめて稀薄な、半ば惰性での戦争であったのでは ないかと。 それじゃ燃え尽きるか虚無恬淡な解脱者みたいになるかというと、そうでもなく。 かなり「他人事」のような感覚で、状況に流されるように戦争を続け、漠然とした希望的観測 のみで国王の空約束を信じ続け、あげくは思いつきで軍を脱走してしまう。 そしていつも口にする言葉は「私は取り返しのつかない過ちを犯してしまった…」 ローザじゃなくても、「バカ」と言いたくなるような無気力っぷり。 そして何の悩みもなく、敵方の女王にホイホイついてゆく無責任っぷり。 こんな「大人になれないガキ」に歴史をかき回されていたガリアの人々も、迷惑この上ない話 だったでしょう。 が。 私は彼に救いがあったと思いたい。真の主に出会って初めて、真の生涯が開けた勇将が歴史上多々いるように、 アルヴァレスも「アーベルジュ」となって、はじめて能動的な人生を歩めるように為ったのではないかと。 ルーナ・バラッドが謳ったように、「多くを生かし」「多くを為した」のは、ブリタニア亡命後から。 それまでの殺戮を帳消しにして余りあるほどの行を、彼は自分で考えた為した、と思いたい。 まあぶっちゃけ、私の中でアーレン・ブラフォード化してるわけですが。 本来「Knight of the Rose」は、ローザが主役ですから、アルヴァレスもパーシファルやトリストラム と同じく、まさに円卓の騎士の一人なのでしょうね…。彼ら一人一人が、後世、戯曲になったりした、と。 その一節が「聖戦と死神」ではないかなあ、と。 どうしよう、いま「聖剣を岩から引き抜くローザたん」を想像しちゃった(;´Д`)ハァハァ >あらまりおねえさん HPから秘書タンのシステムボイスとかゲト。弟の声もハァハァ。つか、凄いですよね、この人の 声の幅…。もっとブレイクしてもおかしくないと思う…。学三ナレーション…(;´Д`)ハァハァ… >元ネタ まあ、中世騎士道もの+北欧神話+先キリスト教のケルト文化、というのがマンマそうかと。 イスラムやモンゴルは、入ってきなさそう…。 円卓の騎士がいるくらいだから、けっこう中世でも「雑なほう」の時代かと。
70:惟新 2004/06/14(月) 01:54 う〜ん、私はその辺はさして違和感なかったですが。 亡命後について。 強い者に靡くというのは必然でして、 特に帝国の快進撃がアルヴァレスによって行われている以上、 彼の亡命は人を集める旗頭としては十分でありましょう。 ましてや聖戦への反感が高まっていた最中、敵の敵は味方、呉越同舟の故事もあり。 薩摩と長州でさえ、坂本竜馬というプロデューサーによって同盟を実現しております。 この物語においてはあの女王様がいるわけで、どうやら彼女は演説がお上手 (という設定)のようですし、その辺はうまくやったことでしょう。 ハンニバルとの違いはそこです。かの名将が哀れな末路に終わったのは 彼を使いローマと戦おうというプロデューサーがいなかったから。 もちろん誰もが彼を快く思っていなかったでしょう。 が、それが問題として噴出するのは戦後、もしくは戦争終盤。 彼の暗殺から五年も帝国はもってますから、この時点ではまだ余力があったようです。 というわけで、彼の存命中にはそれほど表立って表面化はしていなかったと思われます。 ただし、彼が暗殺から逃れていれば、近く何らかの形で表出したことでしょう。 彼の戦場投入ですが、さすがにその機会は少なかった…というか、そればかりは無理。 役どころとしてはせいぜい侍従武官程度だったと推測します。 ただし、女王の親征などがあれば戦場でもその才幹を発揮したでしょうし、 戦略眼があるのであれば、そうでなくとも十分な活躍をしたでしょう。 さて、アルヴァレスの人格についてですが、そんなにひどく描かれてます? いえ、死神と呼ばれるくだりはわかるのですけれど。 若輩者にて、皆様のご高説賜りたく存じます。
71:惟新 2004/06/14(月) 01:58 しまった、リロードしとけば良かった… 人格についてはですね、成長物語なんですよ、これ。 だからなんぼアルヴァレスがヘタレだったとしても、 その後の彼(推測込み)をも含めて考察した方が良いのでは、と。
72:★玉川雄一 2004/06/14(月) 02:08 >ミクロな世界の限られた情報から、どれだけマジレス気味に考察して膨らませるか >>58-64あたりで見たように、『アーベルジュの門出』の辺りから既にして ものごっつい試練が待ちうけていることは想像に難くないわけですが。 ブリタニアの地で自らの居場所を、そして何より存在意義を新たに見出してのち、 再びガリアの地に足を踏み入れて彼はどう生きるのか。 これもまたひとつの物語の始まりということになりますか。
73:★玉川雄一 2004/06/14(月) 02:11 あ、俺も時間差だ。惟新さんの分についてはまた今度。
74:岡本 2004/06/14(月) 07:55 いつものように私論を書いてみましたが、あまりにも語調がきつすぎましたのでちょっと文体を変えてみました。 かなり毒がありますが、ネタと思ってください。
75:岡本 2004/06/14(月) 07:55 ◆ガリアにおける“死神”アーベルジュの一考察◆ 〜トマス・マロリー〜(註) [1] さて、この時代の戦争の立役者であったアーベルジュこと“死神”アルヴァレスであるが、その軍事的才能とそれを制御した人格はいかなるものであったのか?彼が歴史に及ぼした影響を慮れば、これは論者としては無視すべからざる問題と思われる。 彼の短くも猛々しい人生は、故郷ベルガを滅ぼされた後にフランドル帝国の常勝将軍として周辺諸国の恐怖の的となった“死神”としての前半生と、ローザ女王の誘いに応じブリタニア王国に“単身”亡命し終戦へと尽力した“薔薇の騎士”としての後半生に分けられる。ある意味、前後半で人格が様変わりしたような観を受ける。 そもそも彼は生地たるベルガにおいて如何なる身分にあったのであろうか?彼はベルガにて平民であったのであろうか、それとも支配階級にあったのであろうか?羞恥に耐えぬことであるが、論者は蒙昧にして正確な情報を得ていない。フランドル王国軍の一部隊長として彼がその復讐の暗い願望を初めて満たしたオッフェンべルグの戦いにおいて、フランドル王国軍の一部隊長として登場する。この戦いの活躍によって皇帝に引き立てられるようになったとするならば、故国を崩壊させられ裸一貫で傭兵としての戦歴を重ねてきた平民であろうと、国をなくし客将として異国で冷や飯を食ってきた貴族であろうと問題にはならない。 重大な問題は、門閥や後見といった集団・閥としての力を持ちえぬ人間が単に一個の武勇のみで帝国の方面軍軍団長にまで付けるのであろうかということである。平民であるにしろ貴族であるにしろ苛烈な戦歴を潜り抜ける上で、戦場にて信用できる手足は必須であるし、そういった集団戦力を個人でもっていることが国内の政治的発言力の上昇につながることを考えると、単なる帝国の一ベルガ人にすぎなかったとする伝承は眉に唾して聞くべきであり、はっきりいって論者には“通常ならば”理解しかねるといえる。 が、別の可能性を考慮すれば、これが事実であることも不可能ではない。彼はそう見ていなかったとはいえ、彼には絶大な後見があったとするならば。対象はフランドル帝国の皇帝、キルデベルト6世である。ここで彼の出自が問題となる。平民であるならば、武勇のみがとりえで部下を用いる類の将才はかけらも無い人物を“便利な手駒”と看做すいわれが無い。個人的武勇のみで単なる騎士ならいざ知らず将軍としてやっていけるのは貴族階級のみ。それもフランドル国内の貴族の利権争いから遠い位置にあって国王の覚えもめでたいとなると、王族と遠くはあったろうが血縁関係にあったベルガの王族ないし地方領主という可能性が最も高い。
76:岡本 2004/06/14(月) 07:56 [2] ここで問題となる“アルヴァレスには将才がない”の根拠であるが、これは彼のカスティーリャ遠征における歴史的勝利、“アラゴン平原の戦い”で明示される。5000の騎兵を率いピレーネ山脈を越えた後、カスティーリャ王国北方防衛軍12000を粉砕した戦いである。 この論説を執筆するに当たり、論者はあらためてこの伝承を耳にしたのであるが、淡々と述べることでこの戦いの描写を叙事詩として吟ずる効果を最大に高めた女流詩人とは対照的に、英雄を演じた詩人のほうは“常勝将軍”を“最強の戦士”として演じたあたり、英雄譚を吟じるにはいささか役不足であったといえる。だが、あるいはこれが“英雄”の本来の姿であったのやもしれない。古来、ピレーネ山脈越えはそれだけでも一大軍事計画である。物資の調達、兵員・兵力の状況維持、麓で待ち構えているであろう敵軍の情報等、総指揮官に要求される能力は到底一個の戦士で賄いきれるものでない。それらの条件を超ええたとしても会戦時には人馬共に疲労し本来の能力は到底出しえず、ましてや火事場の糞力を期待することもかなわなかったことはいうまでもない。ましてや敵の兵数は倍以上である。ここにおいてアーベルジュのなした軍事指導は唯一つ。自身先頭に立っての騎馬突撃である。まったく大した将帥ぶりである。言うまでもないが、騎馬突撃は歩兵・弓兵の援護があって初めて効果のある戦術である。また遊牧民族でもない以上、騎兵のみの長期の軍事行動は(輜重を度外視する短期と違い)返って歩兵よりも多くの物資を必要とする。山越えにもっとも適したのは歩兵であり馬は損害が多い動物であるが、以後のカスティーリャ平定において神出鬼没の用兵で数に勝るカスティーリャ王国軍を各個撃破し、初期の5000の騎兵戦力のみでカスティーリャを滅ぼしたとされる以上、疲弊した騎兵の突撃のみで勝利して見せたというのである。何のことはない、詩人達は予備兵力である歩兵、それもおそらく少なく見積もっても2,3万の歩兵を勘定にいれなかったのである。単にこれらが“騎兵隊長”アルヴァレスの直接の指揮下に無かったという理由で。これらの歩兵が数を利して12000を押さえ込んでいる間に、突撃しか知らない迷指揮官の騎兵が突っ込んだというべきであろう。騎兵の特質である機動力と意外に弱い防御力に目をつけず、その絶大な打撃力にのみ見せられた指揮官は洋の東西を問わず枚挙に暇が無い。アルヴァレスも指揮官突撃あるのみという“見事な”戦術思想から考えると、絶大な打撃力しか頭に無かったといえよう。そんな人物が王国の軍団長になれた理由は、王族の血縁者であったからというのが大きい理由であろう。また、元へ戻るがそのような人物の軍事活動である以上、騎馬数千のみはありえない。伝承では彼は“ベルガ再興のために(皇帝の口車に乗って)カスティーリャを滅ぼした”と後悔したとされるが、何のことはない。彼は(自覚していなかったとはいえ皇帝の威を借りていた)紛れもなくフランドル帝国の中心軍だったのだ。
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