サンホラ雑談スレ
70:惟新2004/06/14(月) 01:54AAS
う〜ん、私はその辺はさして違和感なかったですが。

亡命後について。
強い者に靡くというのは必然でして、
特に帝国の快進撃がアルヴァレスによって行われている以上、
彼の亡命は人を集める旗頭としては十分でありましょう。
省25
71:惟新2004/06/14(月) 01:58AAS
しまった、リロードしとけば良かった…

人格についてはですね、成長物語なんですよ、これ。
だからなんぼアルヴァレスがヘタレだったとしても、
その後の彼(推測込み)をも含めて考察した方が良いのでは、と。
72:★玉川雄一2004/06/14(月) 02:08AAS
>ミクロな世界の限られた情報から、どれだけマジレス気味に考察して膨らませるか
>>58-64あたりで見たように、『アーベルジュの門出』の辺りから既にして
ものごっつい試練が待ちうけていることは想像に難くないわけですが。
ブリタニアの地で自らの居場所を、そして何より存在意義を新たに見出してのち、
再びガリアの地に足を踏み入れて彼はどう生きるのか。
これもまたひとつの物語の始まりということになりますか。
73:★玉川雄一2004/06/14(月) 02:11AAS
あ、俺も時間差だ。惟新さんの分についてはまた今度。
74:岡本2004/06/14(月) 07:55AAS
いつものように私論を書いてみましたが、あまりにも語調がきつすぎましたのでちょっと文体を変えてみました。
かなり毒がありますが、ネタと思ってください。
75:岡本2004/06/14(月) 07:55AAS
◆ガリアにおける“死神”アーベルジュの一考察◆  〜トマス・マロリー〜(註)
[1]
さて、この時代の戦争の立役者であったアーベルジュこと“死神”アルヴァレスであるが、その軍事的才能とそれを制御した人格はいかなるものであったのか?彼が歴史に及ぼした影響を慮れば、これは論者としては無視すべからざる問題と思われる。

彼の短くも猛々しい人生は、故郷ベルガを滅ぼされた後にフランドル帝国の常勝将軍として周辺諸国の恐怖の的となった“死神”としての前半生と、ローザ女王の誘いに応じブリタニア王国に“単身”亡命し終戦へと尽力した“薔薇の騎士”としての後半生に分けられる。ある意味、前後半で人格が様変わりしたような観を受ける。

省9
76:岡本2004/06/14(月) 07:56AAS
[2]
ここで問題となる“アルヴァレスには将才がない”の根拠であるが、これは彼のカスティーリャ遠征における歴史的勝利、“アラゴン平原の戦い”で明示される。5000の騎兵を率いピレーネ山脈を越えた後、カスティーリャ王国北方防衛軍12000を粉砕した戦いである。

この論説を執筆するに当たり、論者はあらためてこの伝承を耳にしたのであるが、淡々と述べることでこの戦いの描写を叙事詩として吟ずる効果を最大に高めた女流詩人とは対照的に、英雄を演じた詩人のほうは“常勝将軍”を“最強の戦士”として演じたあたり、英雄譚を吟じるにはいささか役不足であったといえる。だが、あるいはこれが“英雄”の本来の姿であったのやもしれない。古来、ピレーネ山脈越えはそれだけでも一大軍事計画である。物資の調達、兵員・兵力の状況維持、麓で待ち構えているであろう敵軍の情報等、総指揮官に要求される能力は到底一個の戦士で賄いきれるものでない。それらの条件を超ええたとしても会戦時には人馬共に疲労し本来の能力は到底出しえず、ましてや火事場の糞力を期待することもかなわなかったことはいうまでもない。ましてや敵の兵数は倍以上である。ここにおいてアーベルジュのなした軍事指導は唯一つ。自身先頭に立っての騎馬突撃である。まったく大した将帥ぶりである。言うまでもないが、騎馬突撃は歩兵・弓兵の援護があって初めて効果のある戦術である。また遊牧民族でもない以上、騎兵のみの長期の軍事行動は(輜重を度外視する短期と違い)返って歩兵よりも多くの物資を必要とする。山越えにもっとも適したのは歩兵であり馬は損害が多い動物であるが、以後のカスティーリャ平定において神出鬼没の用兵で数に勝るカスティーリャ王国軍を各個撃破し、初期の5000の騎兵戦力のみでカスティーリャを滅ぼしたとされる以上、疲弊した騎兵の突撃のみで勝利して見せたというのである。何のことはない、詩人達は予備兵力である歩兵、それもおそらく少なく見積もっても2,3万の歩兵を勘定にいれなかったのである。単にこれらが“騎兵隊長”アルヴァレスの直接の指揮下に無かったという理由で。これらの歩兵が数を利して12000を押さえ込んでいる間に、突撃しか知らない迷指揮官の騎兵が突っ込んだというべきであろう。騎兵の特質である機動力と意外に弱い防御力に目をつけず、その絶大な打撃力にのみ見せられた指揮官は洋の東西を問わず枚挙に暇が無い。アルヴァレスも指揮官突撃あるのみという“見事な”戦術思想から考えると、絶大な打撃力しか頭に無かったといえよう。そんな人物が王国の軍団長になれた理由は、王族の血縁者であったからというのが大きい理由であろう。また、元へ戻るがそのような人物の軍事活動である以上、騎馬数千のみはありえない。伝承では彼は“ベルガ再興のために(皇帝の口車に乗って)カスティーリャを滅ぼした”と後悔したとされるが、何のことはない。彼は(自覚していなかったとはいえ皇帝の威を借りていた)紛れもなくフランドル帝国の中心軍だったのだ。
77:岡本2004/06/14(月) 07:57AAS
[3]
さて、ここで彼の後半生の入り口となるブリタニア王国への亡命に関して考察してみる。となると、“奇跡”と称されるローザ女王とアルヴァレスの邂逅そして、軍団長の単独亡命自体も検証する必要が出てくる。
ブリタニア攻略において第3軍団が、先行した第1・第2軍団を大きく引き離してあまりにも北方に異常に侵入した敵中上陸がそもそも疑わしくなってくる。また、彼が亡命したあと、指揮官不在とはいえその時点では戦力もまばらな敵中にいた第3軍団が指揮官代行を立てての戦闘行動の続行もせず、また戦力を回復して第1・第2軍団を南端まで追い下げたブリタニア軍によって壊滅されもせずに無事引き上げたというのはかなりキナ臭くないであろうか?可能性はいくつか考えられるが、一つの案としては流石に今回は兵力不足もあって被支配地域から兵を集めた第3軍団の幹部連がローザ女王と密かに交渉し、内応したと同時にその保障として“ベルガの復讐鬼”でありながらフランドルの鬼子でもあってそれなりの外交カードである無能指揮官をブリタニアに売ったと考えるのが自然でなかろうか。ブリタニアの交渉人はローザ女王本人、第3軍団側は併合されたプロイツェンの騎士・ゲーフェンバウアーである。そして、奇跡の邂逅は脚本・主演・ローザ女王、演技指導・ゲーフェンバウアーの一本釣り政治劇いや茶番劇であった可能性が高い。ローザ女王自身かなりしたたかであり、彼女が絶対であるブリタニア王国の性格上、戦争勝利のため村ひとつ演出のためにつぶすのは必要経費におさまったであろう。アルヴァレスの人格に関しては、子供のまま大人になったような集団の統率者としては余りにも無責任・無軌道な点が際立っており普段から大した運営上とるべき対応をしていなかったのは明白である。彼一人欠けたところで軍団の運行には何の支障も無かったであろう。そうすると、第1・第2軍団は押しているどころかブリタニア軍の遅滞戦術に引っかかって内地に引き込まれていたと考えるほうが理にかなっている。
78:岡本2004/06/14(月) 07:57AAS
[4]
吟遊詩人の語りによれば、彼は亡命後“多を生かした”とされる。が、他を寄せ付けぬ個人的武勇に依存した“常勝”将軍としての評があったとしても、統率者・軍略家あるいは政務家・交渉者のいずれにおいても疑問の余地が有り余る人間が、果たして亡命後の高々3年間の“善行”でこれまでの10年近くにわたって全世界に振りまいてきた“他の追随を許さぬ暴虐”の爪痕を拭い去ることができうるものであろうか?
また、彼の勇名を頼りにガリア全土から反帝国の亡命者がブリタニアに集ったというが、それこそ彼の“常勝”伝説の肥やしとしてベルガ以外のガリアの諸国は彼の手によって打ちのめされフランドル帝国の頸木に繋がれたといってよい。王族の縁者であれば言うまでもないし、フランドル譜代の将でなければなおのことフランドルの“将帥”よりフランドルの“走狗”としての認識の方が強いことは疑いの余地は無い。となれば、ブリタニアの反抗と反フランドルの運動の原動力は、信頼関係や政治的権力など薬にもしたくないようなフランドル王家の“ベルガの脳筋野蛮人”でなく、彼を手懐け引き抜いたしたたかな薔薇の女王に対する各諸国の期待感であったとするほうが自然であろう。
そして、3年後、休戦会議が成り立ちアーベルジュは御用済みになった。ローザ女王は3年前の密約の相手であるゲーフェンバウアーの手を借り、アーベルジュを今度は物理的に退場してもらうことにしたが、口封じもかねてパーシヴァルにゲーフェンバウアーをも殺させたのが裏目に出た。彼がガリア大陸において裏の世界ではあるが反フランドル帝国運動の重要人物であったため、ローザ女王の意図を他の反フランドル勢力の重鎮が疑ったのである。結局、講和条約締結はならず、ローザ女王も策士策に溺れる結果となり、戦乱終結にはさらに数年を要するようになった…。
畢竟、アーベルジュ自身は復讐と故国再興の念を根幹とした英雄といわれるが、その余りに無軌道な行動から考えるに、とりえとする個人的武勇を振り回すことしか頭にない匹夫でありながら神々の一方ならぬ恩寵で悲劇を糧とした“常勝”将軍に祭り上げられた哀れなる道化としての前半生に、したたかな薔薇の女王に外交・軍事の手札として操られる傀儡としての後半生にすぎないと評するのは酷にすぎるであろうか。
“善を百日行えど今だ足りず、悪を一日行えばなお余りあり”とは東洋の言い回しであるが、思うにアーベルジュはその悲惨な前半生を埋め合わせるかのようにこの世界を創造した神々から一個人の身をはるかに超えた恩寵を与えられていたに相違あるまい。この世界を創造した幾柱かの神々は、音曲・吟詠においては彼のアポロン・アテナに比すことも吝かではないが、蓋し人の営みや英雄の創造そして時代の潮流の制御においては、今だ砂上に箱庭を拵えて悦に浸る童たちと差して変わらぬといえようか。
省8
79:★ぐっこ2004/06/14(月) 23:57AAS
(;´Д`)…。コメントハサシヒカエサセテイタダキマス。ブッチャケ ココ ファンスレナンデスガ。
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