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サンホラ雑談スレ
78:岡本2004/06/14(月) 07:57
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吟遊詩人の語りによれば、彼は亡命後“多を生かした”とされる。が、他を寄せ付けぬ個人的武勇に依存した“常勝”将軍としての評があったとしても、統率者・軍略家あるいは政務家・交渉者のいずれにおいても疑問の余地が有り余る人間が、果たして亡命後の高々3年間の“善行”でこれまでの10年近くにわたって全世界に振りまいてきた“他の追随を許さぬ暴虐”の爪痕を拭い去ることができうるものであろうか?
また、彼の勇名を頼りにガリア全土から反帝国の亡命者がブリタニアに集ったというが、それこそ彼の“常勝”伝説の肥やしとしてベルガ以外のガリアの諸国は彼の手によって打ちのめされフランドル帝国の頸木に繋がれたといってよい。王族の縁者であれば言うまでもないし、フランドル譜代の将でなければなおのことフランドルの“将帥”よりフランドルの“走狗”としての認識の方が強いことは疑いの余地は無い。となれば、ブリタニアの反抗と反フランドルの運動の原動力は、信頼関係や政治的権力など薬にもしたくないようなフランドル王家の“ベルガの脳筋野蛮人”でなく、彼を手懐け引き抜いたしたたかな薔薇の女王に対する各諸国の期待感であったとするほうが自然であろう。
そして、3年後、休戦会議が成り立ちアーベルジュは御用済みになった。ローザ女王は3年前の密約の相手であるゲーフェンバウアーの手を借り、アーベルジュを今度は物理的に退場してもらうことにしたが、口封じもかねてパーシヴァルにゲーフェンバウアーをも殺させたのが裏目に出た。彼がガリア大陸において裏の世界ではあるが反フランドル帝国運動の重要人物であったため、ローザ女王の意図を他の反フランドル勢力の重鎮が疑ったのである。結局、講和条約締結はならず、ローザ女王も策士策に溺れる結果となり、戦乱終結にはさらに数年を要するようになった…。
畢竟、アーベルジュ自身は復讐と故国再興の念を根幹とした英雄といわれるが、その余りに無軌道な行動から考えるに、とりえとする個人的武勇を振り回すことしか頭にない匹夫でありながら神々の一方ならぬ恩寵で悲劇を糧とした“常勝”将軍に祭り上げられた哀れなる道化としての前半生に、したたかな薔薇の女王に外交・軍事の手札として操られる傀儡としての後半生にすぎないと評するのは酷にすぎるであろうか。
“善を百日行えど今だ足りず、悪を一日行えばなお余りあり”とは東洋の言い回しであるが、思うにアーベルジュはその悲惨な前半生を埋め合わせるかのようにこの世界を創造した神々から一個人の身をはるかに超えた恩寵を与えられていたに相違あるまい。この世界を創造した幾柱かの神々は、音曲・吟詠においては彼のアポロン・アテナに比すことも吝かではないが、蓋し人の営みや英雄の創造そして時代の潮流の制御においては、今だ砂上に箱庭を拵えて悦に浸る童たちと差して変わらぬといえようか。
註)論者であるトマス・マロリーは“アーサー王の死”なる書物を著した異世界の人物である。ナイト爵は持っていたものの、あらゆる悪事を働き幾度と無く投獄された問題人物でもあったという。
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