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サンホラ雑談スレ
87:惟新2004/06/28(月) 01:09
余計なことを言ってしまったようで、申し訳ありません。
なるほど、そういうことでしたか。まずは意図の取り違えを謝罪申し上げます。
まず…たぶんですね、その歌、アルヴァレスじゃないんですよ。
アルヴァレスだとすると、後半部分の
「邪教の使徒は根絶やしにしろ眼を背けるなこれが<聖戦>だ」
というのがおかしくなります。彼自身には<聖戦>を信じる動機がありませんから。
(もし信じていれば、後の話に続かず、物語が破綻してしまいます)
仮にアルヴァレス自身も歌っていたとしても、それは軍を叱咤する方便に過ぎません。
じゃあ何かというと、帝国軍の歌であり、かの軍の戦争の狂気を歌ったものじゃないかと。
何にせよ、この歌を彼の性格を描写したものとして捉えるのは難しいと私は判断します。
私の反論としては以上なんですが、折角なので以上を踏まえて論を展開してみます。
彼が虐殺と無縁だったかというと、もちろんそうではありません。
それはおそらくPreuzehn征伐から始まって、それはもう血に塗れたんじゃないかと。
そして、契機となったRoseの救出は、玉川様の仰るとおり、
良心からというよりは、彼の「過去へのこだわり」から。
しかし、その後すぐに改心できたということは、彼の中に問題意識がすでにあったからです。
ところがそれと向き合えなかったために、彼はこうして虐殺の惰性を繰り広げていた、と。
彼の虐殺が惰性であるとする根拠は、彼の自主性のなさにあります。
Preuzehn征伐のときはそれはもう生き生きと虐殺していたことでしょう。
ところが、どうも次第に戦いの動機が俗っぽくなってきます。
彼の感情的になっていた部分が薄くなってきていた証左です。
また、かのGefenbauerを「あの男は私だ…私の過去だ…」といっており、
あのときすでに、アルヴァレスは「変わりつつあった」ものとして描かれています。
つまり、ベクトルはそれほど振れていないんです。むしろ直線上にあるといえましょう。
ただし、Roseと出会わなければ、そして彼女がCharlotteに似ていなければ、
最後の一線を越えることはなく、彼はこのまま惰性の虐殺劇を演じ続けていたはずです。
彼を救ったもの、それはかつての恋人でした。
死神となってなお彼の身を焦がし続けた、彼女への愛だったのです。
良心の呵責云々は、彼の生い立ち、状況証拠から出てきた結論で、深読みといわれれば深読みです。
ですが、彼に問題意識を生じさせたものが何か、と考えれば、その結論が私には自然に思われます。
もしかするとここでも、彼の良心を微かに守り続けたのは、Charlotteだったのかもしれません。
以上、この作品が破綻していないという前提での分析でした。
何度も言うようですが、私は心理学はド素人ですので、当たっていないかもしれません。
なお、この物語には「人は赦されるのか」というテーマもあるようです。
「多くを殺し 多くを生かした 多くを悩み 多くを為した」
彼の罪は、取り返しのつかないほど、大きい。それを贖えることはないでしょう。
彼は、これほど苦しんだ彼は、決して赦されてはならないのでしょうか?
この辺、私はキリスト教的な匂いを感じます。
>ゲーフェンバウアー? ケーフェンバウアー?
私もゲーフェンバウアーだとばかり思っていました。
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