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【SS】沈んだ歌姫 ── un altro Tragedia
2:桜香雪那 2007/11/11(日) 11:32:26 ID:z+Pg/kAk 第二幕「縁 - invisible lows」 翌日。 ロベリアは昨日と同じくフィレンツァの通りを歩いていた。と言っても、昨日の長閑な場所とは違い、フィレンツァでも一流の店々が軒を連ねる通りである。 そんなところに彼女が何をしに来たかといえば、十数分前に時間を戻せばすぐ分かる。 それでは、時間を遡るとしよう。 「ねぇ、ジェラルド。これなんてどうかしら?」 手近な店の中、広げた赤いドレスを体に当ててジェラルドを振り返るロベリア。 そう、ドレスを買いに来たのである。ほかの物も買う可能性はあるが、少なくともドレスだけは買っていくだろうと思われる。 いつもの事なので、ジェラルドには簡単に予想はついた。 「よくお似合いです、お嬢様。やはり、少々派手ですが」 ため息をつくように言葉を吐き出すジェラルドに、ロベリアはむぅと眉を寄せる。 「そう? というか貴方、さっきから何が不満なの?」 ドレスを店の者に預け手を腰に当てて、無表情に不満たらたらのオーラを垂れ流すジェラルドに向き直る。 問われて彼は今度こそ、深々と嘆息した。 「お嬢様、そのドレスが貴方様のワードローブの何十着目の品か、覚えておられますか? ついでに言えば、二回以上着た品の数も。いつもの事ではありますが……」 その言葉に、ロベリアはむーっと悔しそうにジェラルドを見る。 いつもの事。そう、いつもの事である。 公の場に出たり、乞われてどこかで歌ったりする毎にロベリアは気分を出すためだとかなんだと理由をつけて事前に服を買う。自発的に歌うときにはそんな事は無いのだが。 芸術家である彼女にとって、そういう儀式めいたものは必要なのかもしれない。しかし、それなしでも精神的に安定できるようにはなるべきだ。そう考えての事である。 ……その浪費っぷりに一言、言いたかったのもあるけれど。フィレンツァ公直々にお叱りを頂く前に。 ここまで言われて、流石のロベリアも――いや、彼女だからこそ、今回はプライドの高さから止めるだろうとジェラルドは思っていた。思っていたのだが―― 「今回だけ、お願い」 「……お嬢様?」 その重々しい、何か決意したかのような声に、聞き返す。 彼女は、自分でもよく分からないけれど……そう前置きしてから続けた。 「今回だけは特別な気がするの。小父様があそこまで褒めるのも気になるし……」 ロベリアのいつもとは違う態度。 確かに。ジェラルドは思い直す。 あの老人の眼──いや、今回は耳か──は確かだ。どのような人生を歩んだかは知らないが、彼の翁は専門である絵画だけでなく芸術全般に幅広く深い知識と一流の感性を有している。ギリアム・デューフェイはともかく、まだ名を売り出した直後のヨスキン・ロブラットすら知っていたのにはジェラルドすら顔色を変えた。 そして、滅多な事では人を褒めはしない。それも、ロベリアと同等程の賛辞は今まで耳にした事がなかった。老人もロベリアの実力を重々承知しているからこそ、軽々しくそんな事は言いはしなかったのだ。 という事は、よっぽどの事であることは確かだ。だが、それだけで彼女が──あの“紅の歌姫”が、ここまでの表情を見せるとは思えない。 自分には感じられぬ、何か──陳腐な言葉でよければ、運命か──を彼女は感じ取ったのだろうか。 そうなれば自分が口を出せる事ではない。出来る事があるとすれば、そう……この目の前の姫君に付き従う位だ。 「お嬢様の御心のままに。お父上にはなんとかごまかしておきましょう」 「う……すまないわね、ジェラルド。私じゃお父様に何か言ってもすぐぼろが出るから……」 「お嬢様は嘘がお嫌いですから」 かすかに微笑んで、話はそれで終わり。 その店から出て来た時、ジェラルドの腕には一つの包みが抱えられていた。その中身は赤いドレス。最もロベリアに似合う色と誰もが評して憚らない色のドレスである。 そして現在。 ロベリアは嬉しそうに、跳ねる様に歩いていく。場所が場所ならそのまま歌いそうなほどご機嫌だ。それはドレスがよっぽど気に入ったのか、それとも明日の、相手を打ち負かす時を考えてか。 折りよく天気は快晴。午後を少し過ぎた辺りの、昨日と変わらない穏やかな日差しがフィレンツァの街を照らしている。 その中を風は柔らかに吹き抜け、通りを歩く人々に木々に新鮮な空気を運んでいた。 そんな極上の日。彼女の機嫌が右肩上がりなのも無理はない。 しかし、こういう時の常として、人はなにか過ちを犯すものである。例え長期的に見たなら過ちとは言えなくても、そのときには失敗に見えるような事を。 今回の彼女の場合、それは通りの横合いから大荷物を抱えて歩いてきた少女に思い切りぶつかるというものだった。 「きゃあっ」 「お嬢様!」 大荷物に、避けられなかった少女。その後ろから若い男の鋭い声が響く。 「ごめんなさい! 大丈夫?」 散らばった大小さまざまな箱。その真ん中で少女はこちらを見上げていた。 長い銀髪がつられて揺れる。歳は十四程か、大きな瞳が印象的な子で、その姿は可愛らしい栗鼠を思わせた。着ている服も型は少し古いが上等なもの。どうやら良家のお嬢さんだろうか。 座り込んだままのその子に手を伸ばす。少女は呆、としたままそれに捕まって立ち上がった。 「怪我は無いかしら?」 「は、はいっ。大丈夫ですっ! あのその、そちらこそ大丈夫でしたかっ? わ、わたし荷物で前が見えなくて」 立ち上がった途端、少女は顔を赤くしてまくし立てた。 余計可愛らしさが増したなぁ、などと思い、ロベリアは苦笑する。少女の後ろの従者も安堵したように息をついた。 「私も迂闊でしたわ。何か壊れたものは無いかしら?」 「はい、おそらく……割れるようなものはありませんし……」 首を傾けて、散らばった箱を見下ろす。 それにしても数が多い。彼女の手には余るくらいだろう。後ろに立つ従者は――それ以上の箱を抱えていた。 その従者の顔が、さっきの安心した様子から苦いものになる。 「お嬢様、ご無事で何よりです……しかし、もし何かあったらどうなさるおつもりですか! ですから荷物は店の者に屋敷まで送らせるようにすべきだと申したのです」 「だ、だって自分で持って帰ったほうが愛着がわくでしょう?」 「それで怪我をなされたら愛着も何もないでしょう!」 「うう、反省してます……」 男の剣幕に少女は項垂れる。 その向こうで、ロベリアも背後の従者にしっかりと叱られていた。 「お嬢様」 「わ、分かっていますわ……以後気をつけます」 一言だが、しっかりと感情を押し込んだその声音。彼女も自分に非があるのは明らかなので、素直に謝った。 一方少女はひとしきり従者に叱られた後、散らばった箱を拾い集める。もちろん従者の男の方がより手早く多く片付けてはいるが、任せきりではないあたりにロベリアは好感を覚えた。 それを見て、ふむ、と腕を組む。 先ほどの一件、全てとは言わないが自分に手落ちがあるのも間違いない。ちゃんと前に注意して歩いていればぶつかる事はなかっただろう。 ならばここで知らん振りして過ぎ去るのも如何なものか。 ――如何? そんな事は問うでもない。却下、却下である。そんな馬鹿げた恥知らずな真似を、彼女の誇りが許す訳がない。 「ジェラルド、手伝ってくれるかしら?」 「勿論ですとも」 何を、などと下らない事を聞くようなジェラルドではない。主の意は明白だった。 ロベリアはかがんで散らばった箱のひとつを手に取り、歌うように問う。 「貴方、どこにお住みなの?」 「え? えっと――」 戸惑いながら彼女が挙げたのは、フィレンツァの中でも特に洗練された館が立ち並ぶ一画だった。ロベリアの実家もその区内にある。良家の娘、という予想は当たっていたらしい。 それならちょうど良い、そうロベリアは頷いた。 「ここで出会ったのも何かの縁だわ。ぶつかったお詫びに、荷物を運ぶ手伝いでもさせてもらえないかしら?」 言いながら彼女を安心させるように微笑む。対する少女はふぇ? と小首をかしげた後、見る見るうちに顔色を変えていった。 「そそそ、そんな、お詫びだなんて! こちらこそぶつかって申し訳ないのにその上荷物を持たせるなんて出来ません!」 顔を赤らめて必死に言い募る少女。だがそう言われて、はいそうですかと退くロベリアではない。非はこちらにもあるのだ。その代償を払わないようではフィレンツァの名折れである。 「ぶつかったのはこっちも同じ。 それになんだか貴方、放って置けないのよ。だから手伝わせなさい」 彼女の口調に、控えるジェラルドは思わず苦笑してしまう。相変わらず好意を伝えるのが下手と言うか変に高圧的になってしまうと言うか。おそらくはいままでの生活のせいだろうが、事情を知らない相手は間違いなく気圧される。 予想通りにご令嬢も驚いたような顔をして―― 「はい、お言葉に甘えさせていただきます」 ――とても嬉しそうに笑っていた。 華やぐようなとはこの事か。そう思わせるほどに可憐に彼女は笑っていた。 逆に、ロベリアの方が言葉を失ってしまう。そんな笑顔を見せられて、平静でいられる人間などいまい。誰しが陽だまりの様な暖かさに驚くはずだ。 灯火のような温もりを受け取って、ロベリアはすぐに同じような笑顔を返した。滅多に見つけられない贈り物を受け取った嬉しさから、贈り主の少女に向けて、感謝を込めて。
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