★☆蒼天航路スレッド☆★
298:2002/10/21(月) 22:42
玉川雄一     2002年03月20日水曜日 22時23分
ううっ、温恢がこんなに出ずっぱるなんて…
史上こんなおいしすぎる三国志マンガが、
いや三国志を描いた作品があっただろうか! いや(多分)ない。

ああ…いずれあの城に張遼・楽進・李典の三人が乗り込んでくるんですね。(既に脳内ビジュアル化済み)
省11
299:2002/10/21(月) 22:42
ぐっこ 2002年03月21日木曜日 00時59分
私もさっきコンビニで確認〜! なんでこんなに早く…
温恢…本当に鎧をつけたSDキャラみたいだ(;^_^A
しかし話の内容はディープ…。後半の展開、ああいう伏線と結末を
持ってくるとは…! 多分次回予告はあてずっぽうだろうな…

省8
300:2002/10/21(月) 22:43
白崎ゆきと   2002年03月22日金曜日 13時33分
みなさま、始めまして。白崎と申します。
ちょっと興味のある話題でしたので……。

騎乗時に用いる両足の鐙の登場は、全世界的に遅いので、中国はそれほど遅くなかったハズです。
それどころか、この手の鐙を生んだ地域の有力候補だったと思います。
省18
301:2002/10/21(月) 22:43
ぐっこ 2002年03月23日土曜日 00時08分
わ、白崎ゆきと様、ようこそおいでくださいました〜!
岡本様待ちに割り込むカタチになりますが(^_^;)、まずはご挨拶をば。

基本的に中国も戦車の国でしたから、趙雲のご先祖様(←勝手に決めてる(^-^;)がウマーに直接乗るという突飛な概念を輸入してなかったら、もっと騎馬軍団の出現は遅かったでしょうね〜。
で、あぶみ…あ、いま南蛮王読み返したら、ちゃんと公孫楼初登場の時に「鐙のない時代に…」て書いてある! 凄ェ俺! …と自画自賛してみる(^_^;)。
省9
302:2002/10/21(月) 22:44
岡本 2002年03月24日日曜日 15時18分
白崎様、岡本です。
>片足鐙の例は西晋
全く、そのとおりです。私の記憶が混乱しておりました(やはり文献を見ながら書かないと)、謹んでお詫びいたします、すみません。ああ、恥ずかしい。
両足鐙についても正確に補足しますと、4〜5世紀ごろの南北朝の時代に大量に出現した重装騎兵で、騎乗時の安定性を確保するために出現したようです。ですから東晋というのは間違いではありません。需要との関係で技術も進む一例です。

省27
303:2002/10/21(月) 22:45
ぐっこ 2002年03月24日日曜日 22時18分
うお、早速の詳報大感謝!
さ、さすがは武道の岡本様(¨;)参考になります〜! 
とりあえず私宛のぶんにレスなど…

>戈の形状から使用法の変遷が読み取れます。
省10
304:2002/10/21(月) 22:45
岡本 2002年03月24日日曜日 23時16分
ぐっこ様
>BSドラマの雑兵が、へっぴり腰に「えいえいえいっ」みたいな
>矛の振り回し方をしていて

大体は上記の内容でよいと思いますが、公孫瓚伝に少々気がかりな記述もありまして。
省13
305:2002/10/21(月) 22:45
白崎ゆきと   2002年03月26日火曜日 09時05分
岡本さま、レスありがとうございます。

とりあえず、西晋時代の墓から出てきた、片側に鐙のついた騎馬俑の画像をあげておきました。
www.mitene.or.jp target=_blank>www.mitene.or.jp

省23
306:2002/10/21(月) 22:46
ぐっこ     2002年03月26日火曜日 23時42分
 >公孫瓚伝
なんと! と思って調べてみますと、確かに「瓚自持矛両頭施刃」と…。うーむ…両側に刃が直角に飛び出た十文字槍とも、方天戟ともとれる表現ですね〜。ところでさらに疑問なんですが、あの月牙って、どういう具合に使う刃なんでしょうか〜(^_^;)。図を見ると内に引っ込むように湾曲してるので、撫で斬る用途でもなさそうですし…やはり叩き斬るため? 

 >白崎ゆきと様
リンク先、私も拝見しました〜! 当時の資料、そして「始皇帝暗殺」より…。やっぱり見てる人はそういう視点で観察するんだなあ、と。
省9
307:2002/10/21(月) 22:46
岡本 2002年03月29日金曜日 01時47分
懲りずに補足いたします。
>あの月牙って、どういう具合に使う刃なんでしょうか〜
>(^_^;)。図を見ると内に引っ込むように湾曲してるので、撫
>で斬る用途でもなさそうですし…やはり叩き斬るため? 

省8
1-AA