★☆蒼天航路スレッド☆★
302:2002/10/21(月) 22:44
岡本 2002年03月24日日曜日 15時18分
白崎様、岡本です。
>片足鐙の例は西晋
全く、そのとおりです。私の記憶が混乱しておりました(やはり文献を見ながら書かないと)、謹んでお詫びいたします、すみません。ああ、恥ずかしい。
両足鐙についても正確に補足しますと、4〜5世紀ごろの南北朝の時代に大量に出現した重装騎兵で、騎乗時の安定性を確保するために出現したようです。ですから東晋というのは間違いではありません。需要との関係で技術も進む一例です。

>この手の鐙を生んだ地域の有力候補
う〜ん、西アジアがどうだったか私は知らないので...。
ところで、おっしゃる文献は学研からでている中国古代の戦術・兵器に関する本でしょうか。それでしたら元ネタは同じです。

>使える武器はかなり制限され(斬るよりも、刺すが主体なそう>な)、一騎打ちで斬り合うなどもってのほかみたいです。
前漢の時代に”斬馬剣”(騎馬をも切れる長大な剣)は存在しました。これは漢書に記述があります。
その関連で、もしかしたら宋の時代の大刀に対応する薙刀が存在したかもしれません。
面白い話としては、北方騎馬民族の武器は鍛(タン:矛の一種)と弓矢と”剣”だったようです。最初の2つは分かるとしても剣とは..。
漢代にはいってから鉄製武具の普及が進むと(秦の時代に旧七雄から武装剥奪のため青銅製武器を集めて溶かしたことも効いている)、製造のしやすさ、と強度、斬り降ろしの威力から、剣から環刀への転換が進みます。この環刀が騎馬兵でどのような遣われ方をしたかは記憶があやふやですのでまた、調べてからお答えします。
日本では、騎馬武者主体の平安後期・鎌倉期は日本刀の形状が薙ぎ切りに適した反りが深く刀身の長い”太刀”だったのが接近白兵戦主体の戦国期になると反りの浅い刀身の短い”打刀”に変貌しました。
もしかしたら、中国の騎兵でも剣→環刀で似たようなことがあったかもしれませんが情報をもっていません。

>すれ違いざまに首を刎ねる」という文に疑問(^_^;) これって
>戦車戦での使用方ですよねえ…。
戈の形状から使用法の変遷が読み取れます。戟も漢や三国時代は宋の時代に出現した戟刀(矛に三日月状の刃=月牙がついたもの)ではなく、矛+戈のトの字型の形状ですので同じように解釈してください。記憶を頼りに話をしていますので、流れは正しいですが、正確な年代があやふやです。間違っていましたら補足をお願いします。
1.春秋・戦国時代の戦車戦で使用したものは鎌のようにすれ違い様薙ぎきるので、刃と柄の角度が90°以上。場合によっては120度ちかく。刃の形状も引き切りに適した伸びやかな両刃。
2.秦・前漢の時代に戦車戦が廃れ、騎馬にとって変わられ、戦いもより激烈な接近戦主体となると”薙ぎきる”というよりも”打ち込む”というような使用法に変貌。そのため、刃と柄の角度が90°ぐらいになる。刃の形状は突き刺しに適したナイフ形。

というところでしょうか。横山光輝氏の楚漢戦争”若き獅子たち”では2.の内容が再現されています。

以上、ながながと失礼しました。
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