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★☆蒼天航路スレッド☆★
286: 2002/10/21(月) 22:30 川雄一 ◆キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!! 今週の蒼天 こういう話、好きだなあ。赤壁の時も、梁習の話(話だけ)のとこみたいな。 国、作ってるね! 今回もネクストジェネレーション登場だ! 劉曄も出てるぞ! そしてついに彼が顔出し! ラブリー♥ しかしもう揚州刺史なのか。俺の解釈間違ってるのかなあ? まあ、出番あるからいいか。 で、ラスト。あのお方が大空にエガオでキメ。 …予告は? 程Gの決断は?
287: 2002/10/21(月) 22:30 japan 2002年03月07日木曜日 21時39分 GONTA先生、魏書巻14コンプリート計画発動か!? などと思ってしまいました。 >今週の蒼天 劉放は微妙ですが、董昭は八割五分の確率で登場することでしょう。 でも、その時文若は…(泣) 今回の話は私的にとても良かったと思います。 ある意味、戦闘が終結した後に本当の戦いが始まるのかもしれませんね。
288: 2002/10/21(月) 22:30 玉川雄一 2002年03月08日金曜日 00時02分 玉川的には魏書巻第15コンプリートをキボンヌ。 今週で3人目、半分達成! しかし程G、感心してる場合か? ここらで重鎮の意地見せないと、なす術なく世代交代されちゃうよ? 「持ち場に戻ります」と小走りに駆けてゆく温恢萌え♥
289: 2002/10/21(月) 22:30 ぐっこ 2002年03月08日金曜日 01時06分 うむ! 蒼天後半パートは、どうやら「正史派狙い打ち」路線の様子! よろこんで! いいなあ、こういう具合にアイツとかコイツとかが再評価されてゆくの…。 笑顔で決めてたアイツ(故人)もス・テ・キ! >程G 確かにやばいかも…。まあ、彼は孫権相手に最後の花を咲かせるのでは…それよりも曹仁…。
290: 2002/10/21(月) 22:31 左平(仮名) 2002年03月08日金曜日 20時20分 「一日遅れですが、私も読みました。 「〇〇(ここでは名は伏せておきます)殿、見事でございますぞっ!」 …無から有を築き上げた一人の男、〇〇の見事な生き様を見て、思わず目頭が熱くなりました。 「星落秋風五丈原」を読んだ時もそうですが、この様な人々の姿には、(だいぶすれてきたとはいえ)感動を禁じ得ません。」
291: 2002/10/21(月) 22:31 玉川雄一 2002年03月08日金曜日 21時20分 TATSUさんのサイトで温恢をプッシュしてきました♪ ところで、魏書巻第15シリーズ、現在の所6人中3人が登場しています。 劉馥:登場 司馬朗:未登場 梁習:登場 張既:未登場 温恢:登場 賈逵:未登場 そして、ある衝撃(でもないけど)事実が! すなわち、蒼天航路で紹介された3人は、コー@ーの三國志シリーズに未登場であるということ! 逆にいえば、これでブレイクすれば次の三國志IXでは…ぐふふぅ(妄想) やっぱ、軍団長は彼らを任命するのが通ってもんでしょ!
292: 2002/10/21(月) 22:33 玉川雄一 ◆千年どころか二千年! 今週の蒼天◆ なんか、悪い予感が的中してしまった。 それはおいといて、温恢の頭身はさすがに厳しいなあ。 先週はさほど気にならなかったが、今週何コマか絵的に無理があったぞ(^_^;) 曹操… くうぅ!(>_<) 程G… ぶわわ(T_T)
293: 2002/10/21(月) 22:33 ぐっこ 2002年03月16日土曜日 00時17分 まさかこう来るとはなあ…! ここのところ妙にマターリしてたのは、ここでオトすためだったか! いや、全然悪くない!充足を知る者恥辱を受けず!政界にいて、なお充足を知るという事の難しさは、ムネヲ議員が身をもって示してくれましたが、今回の「充足」は、まさに人間の大往生!(死んでないけど)。 心の底から「お疲れさまでした」と言いたい。 …でも、あそこまで引っ張ったんだから、最後に一回くらいは活躍して欲しかったかな…(;^_^A
294: 2002/10/21(月) 22:36 左平(仮名) (あらすじ紹介) 曹操と温恢が騎馬にまたがり、合肥の南、盧江方面へと向かう。 …甲冑姿の温恢、似合ってるのか似合ってないのか。TATSUさん風に言うと、SD温恢・戦場バ―ジョンか!? あと、彼の足もとを見ると、鐙が! 源平合戦の武士が使う鐙の様な、くの字形の板状のものではなく、近代風(というか西洋風というか)の、金具形の鐙です。これは!? この時代、鐙があったかどうかが不明なので、興味あります。 程Gの引退をめぐり、馬上で問答がかわされます。 盧江を通りかかると、曹操に対し舌打ちをする民が!この地の住民は、かつて徐州での虐殺を逃れたものの、袁術の暴政・江南の混乱に遭い、数々の苦難をなめたという。 豊かな合肥にあえて背を向け、曹操に強い憎悪を向ける民。そんな彼らに対する、曹操の対応は!? 詳しくは、呉主伝を。 再開後の、どこかゆったりした雰囲気とはだいぶ異なる回です。心なしか、いつもよりも短い様な(カウントはしていませんが)。
295: 2002/10/21(月) 22:36 岡本 2002年03月20日水曜日 00時57分 左平様、岡本と申します。 >鐙 本職が科学関係であるせいではないですが、こういった技術史に関心があります。映画の時代考証も参考にしておりますが。 さて、鐙は中国においては出現は遅く、漢の時代のものは鞍の片側だけにそれこそ騎乗の際の足がかり程度の役目しかありませんでした。必然的に乗馬の際は股の締め付けで全体重を支えることとなり(蟹股の原因)、生まれたときから騎乗になれている北方騎馬民族か乗馬術を習えるだけの(そして馬を飼えるだけの)裕福な家の出でないと乗馬術は身につきませんでした。これは洋の東西を問わず紀元0年付近ではいえたことで、カエサルがガリア戦で急行するため軍団兵に馬を与えたとき、”近衛兵に取り立ててくれた”(近衛兵は貴族階級が多いという意味でエリート)と喜んだとの話があります。 形状も、ご指摘のように鎌倉武士の足乗せ形でなく、金輪です。 記憶があやふやですが、両側に鐙(金輪とはいえ)が付いたのは東晋以降だったように思います。そのため、過去三国志について述べた文章で、関羽は9尺の大男で82斤青竜刀(〜18 Kg)を遣うときは”片足をよっこらしょと地べたにつけて体重を支えて斬った”、という記述を見たことがあります。青竜刀自体あったかどうか(似たような長柄刀はありましたが)疑わしいので、かなり憶測を書いていたのだと思っています。 ですから、過去いろいろの三国志の漫画で時代考証を考えた場合、本場中国での科学技術史の進歩も関係するため、時には”ん???”と思うようなものもあります。横山光輝氏も参考にしていたと思われる三国志連環画(全12巻:私が高校生の時にあったのですが手が出ませんでした。)は、中国の冷兵器(火薬を使わない兵器)と甲冑の技術が頂点に達した明の時代のものを多く参考にしています。
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