下
★☆蒼天航路スレッド☆★
292: 2002/10/21(月) 22:33 玉川雄一 ◆千年どころか二千年! 今週の蒼天◆ なんか、悪い予感が的中してしまった。 それはおいといて、温恢の頭身はさすがに厳しいなあ。 先週はさほど気にならなかったが、今週何コマか絵的に無理があったぞ(^_^;) 曹操… くうぅ!(>_<) 程G… ぶわわ(T_T)
293: 2002/10/21(月) 22:33 ぐっこ 2002年03月16日土曜日 00時17分 まさかこう来るとはなあ…! ここのところ妙にマターリしてたのは、ここでオトすためだったか! いや、全然悪くない!充足を知る者恥辱を受けず!政界にいて、なお充足を知るという事の難しさは、ムネヲ議員が身をもって示してくれましたが、今回の「充足」は、まさに人間の大往生!(死んでないけど)。 心の底から「お疲れさまでした」と言いたい。 …でも、あそこまで引っ張ったんだから、最後に一回くらいは活躍して欲しかったかな…(;^_^A
294: 2002/10/21(月) 22:36 左平(仮名) (あらすじ紹介) 曹操と温恢が騎馬にまたがり、合肥の南、盧江方面へと向かう。 …甲冑姿の温恢、似合ってるのか似合ってないのか。TATSUさん風に言うと、SD温恢・戦場バ―ジョンか!? あと、彼の足もとを見ると、鐙が! 源平合戦の武士が使う鐙の様な、くの字形の板状のものではなく、近代風(というか西洋風というか)の、金具形の鐙です。これは!? この時代、鐙があったかどうかが不明なので、興味あります。 程Gの引退をめぐり、馬上で問答がかわされます。 盧江を通りかかると、曹操に対し舌打ちをする民が!この地の住民は、かつて徐州での虐殺を逃れたものの、袁術の暴政・江南の混乱に遭い、数々の苦難をなめたという。 豊かな合肥にあえて背を向け、曹操に強い憎悪を向ける民。そんな彼らに対する、曹操の対応は!? 詳しくは、呉主伝を。 再開後の、どこかゆったりした雰囲気とはだいぶ異なる回です。心なしか、いつもよりも短い様な(カウントはしていませんが)。
295: 2002/10/21(月) 22:36 岡本 2002年03月20日水曜日 00時57分 左平様、岡本と申します。 >鐙 本職が科学関係であるせいではないですが、こういった技術史に関心があります。映画の時代考証も参考にしておりますが。 さて、鐙は中国においては出現は遅く、漢の時代のものは鞍の片側だけにそれこそ騎乗の際の足がかり程度の役目しかありませんでした。必然的に乗馬の際は股の締め付けで全体重を支えることとなり(蟹股の原因)、生まれたときから騎乗になれている北方騎馬民族か乗馬術を習えるだけの(そして馬を飼えるだけの)裕福な家の出でないと乗馬術は身につきませんでした。これは洋の東西を問わず紀元0年付近ではいえたことで、カエサルがガリア戦で急行するため軍団兵に馬を与えたとき、”近衛兵に取り立ててくれた”(近衛兵は貴族階級が多いという意味でエリート)と喜んだとの話があります。 形状も、ご指摘のように鎌倉武士の足乗せ形でなく、金輪です。 記憶があやふやですが、両側に鐙(金輪とはいえ)が付いたのは東晋以降だったように思います。そのため、過去三国志について述べた文章で、関羽は9尺の大男で82斤青竜刀(〜18 Kg)を遣うときは”片足をよっこらしょと地べたにつけて体重を支えて斬った”、という記述を見たことがあります。青竜刀自体あったかどうか(似たような長柄刀はありましたが)疑わしいので、かなり憶測を書いていたのだと思っています。 ですから、過去いろいろの三国志の漫画で時代考証を考えた場合、本場中国での科学技術史の進歩も関係するため、時には”ん???”と思うようなものもあります。横山光輝氏も参考にしていたと思われる三国志連環画(全12巻:私が高校生の時にあったのですが手が出ませんでした。)は、中国の冷兵器(火薬を使わない兵器)と甲冑の技術が頂点に達した明の時代のものを多く参考にしています。
296: 2002/10/21(月) 22:37 ぐっこ 2002年03月20日水曜日 01時38分 >左平(仮名)様 え!? もうモーニング出てるですか!? チックショウ、気付かなかった! あうう、明日読んでから私の感想を書きます〜! >岡本様 相変わらず詳しい…(;^_^A そうですよねえ…あの当時輪乗りしながら一騎討ちするようなのは居なかったでしょうし…。鐙はもっと後になってからですか〜。 三国志演義がどれだけ出来のよいノベライズだとしても、所詮は後生作家の作品…(;^_^A
297: 2002/10/21(月) 22:42 左平(仮名) 2002年03月20日水曜日 21時39分 >岡本さん さっそくの詳しいご説明、ありがとうございます。 なお、作中で見た範囲では、鐙が両側にあったかどうかは分かりませんでした(温恢の左足が鐙にかかっているのは確認できましたが、右足の方は書かれていませんでした)。 ただ、描き方からすると、やはり両側に鐙がある様に思われます。 >ぐっこさん 今週は、木曜日が祝日だからでは?としか言い様がないです。普段の週でも、時々ですが水曜日に「モ−ニング」が置かれている事があります(私がいるのは広島県。いくら何でも、広島が一番早いという事はないはずです)。 ちなみに、今月は「文藝春秋」の発売日の10日が日曜日という事もあってか、8日の金曜日にはもう書店に並んでいました。宮城谷三国志もいち早くチェックできましたよ。
298: 2002/10/21(月) 22:42 玉川雄一 2002年03月20日水曜日 22時23分 ううっ、温恢がこんなに出ずっぱるなんて… 史上こんなおいしすぎる三国志マンガが、 いや三国志を描いた作品があっただろうか! いや(多分)ない。 ああ…いずれあの城に張遼・楽進・李典の三人が乗り込んでくるんですね。(既に脳内ビジュアル化済み) たださらにもう一押し欲しいところ。劉馥は曹操にすら敬服される破格の待遇でしたが、温恢は現状はまだそこまでのキャラではなく。前回の程Gといい、今回の曹操の絡みといい、どうも受け身キャラにとどまってるのが残念。 いっちょ、彼が実力を発揮するシーンを合肥攻防戦あたりでお願いしますよゴンタ先生! ところで鐙。片方…左だけ、だったんでしたかねえ。最初は。それがいつ頃からなのかはよく知らないのですが。しかし、趙雲の長坂のアレは鐙ナシじゃあ成り立たない芸当だったけど…」
299: 2002/10/21(月) 22:42 ぐっこ 2002年03月21日木曜日 00時59分 私もさっきコンビニで確認〜! なんでこんなに早く… 温恢…本当に鎧をつけたSDキャラみたいだ(;^_^A しかし話の内容はディープ…。後半の展開、ああいう伏線と結末を 持ってくるとは…! 多分次回予告はあてずっぽうだろうな… >あぶみ あ、趙雲本当にあぶみ使ってら(;^_^A よく見れば呂布も。
300: 2002/10/21(月) 22:43 白崎ゆきと 2002年03月22日金曜日 13時33分 みなさま、始めまして。白崎と申します。 ちょっと興味のある話題でしたので……。 騎乗時に用いる両足の鐙の登場は、全世界的に遅いので、中国はそれほど遅くなかったハズです。 それどころか、この手の鐙を生んだ地域の有力候補だったと思います。 また、今のところ確定している、中国での片足鐙の例は西晋だと思っていました。 これは出土物と騎馬俑(これの載っている図録は入手)の造形で確認されています。 でも、ここ2、3年で発見があったのかも……。 岡本さん、宜しければ漢代には存在したという話の情報源をご教授ください。すごく興味があります。 西晋でも片足鐙しかないということで、必然的に三国志では両足鐙はないとされてますね。 鐙がなければ踏ん張りが効きませんので、騎乗しながら反動の大きい武器を使うと、落馬する危険性が高いそうです。 そのため、使える武器はかなり制限され(斬るよりも、刺すが主体なそうな)、一騎打ちで斬り合うなどもってのほかみたいです。 ちなみに、青龍刀はもっとずっとずっと後の武器だそうな。 あと、もう読んでいないのですが(爆)、蒼天で鐙はデフォルト装備ですよ。
301: 2002/10/21(月) 22:43 ぐっこ 2002年03月23日土曜日 00時08分 わ、白崎ゆきと様、ようこそおいでくださいました〜! 岡本様待ちに割り込むカタチになりますが(^_^;)、まずはご挨拶をば。 基本的に中国も戦車の国でしたから、趙雲のご先祖様(←勝手に決めてる(^-^;)がウマーに直接乗るという突飛な概念を輸入してなかったら、もっと騎馬軍団の出現は遅かったでしょうね〜。 で、あぶみ…あ、いま南蛮王読み返したら、ちゃんと公孫楼初登場の時に「鐙のない時代に…」て書いてある! 凄ェ俺! …と自画自賛してみる(^_^;)。 それはともかく、歴史の本とか読んでて疑問発生。当時の馬上兵器として戟や戈が紹介されてるのがありますが、「すれ違いざまに首を刎ねる」という文に疑問(^_^;) これって戦車戦での使用方ですよねえ…。 だいたいあぶみが無い馬の上で、それなりに高速ですれ違う相手の首に刃物引っかけたら、自分も引きずり落とされるような。 日本では、騎兵は攪乱と陽動が主任務で主力になり得なかったらしいですが…三国志当時の騎兵の戦い方についての考察、どなたかプリーズ!
上
前
次
1-
新
書
写
板
AA
設
索
★☆蒼天航路スレッド☆★ http://gukko.net/i0ch/test/read.cgi/sangoku/1034771727/l50