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300: 2002/10/21(月) 22:43 白崎ゆきと 2002年03月22日金曜日 13時33分 みなさま、始めまして。白崎と申します。 ちょっと興味のある話題でしたので……。 騎乗時に用いる両足の鐙の登場は、全世界的に遅いので、中国はそれほど遅くなかったハズです。 それどころか、この手の鐙を生んだ地域の有力候補だったと思います。 また、今のところ確定している、中国での片足鐙の例は西晋だと思っていました。 これは出土物と騎馬俑(これの載っている図録は入手)の造形で確認されています。 でも、ここ2、3年で発見があったのかも……。 岡本さん、宜しければ漢代には存在したという話の情報源をご教授ください。すごく興味があります。 西晋でも片足鐙しかないということで、必然的に三国志では両足鐙はないとされてますね。 鐙がなければ踏ん張りが効きませんので、騎乗しながら反動の大きい武器を使うと、落馬する危険性が高いそうです。 そのため、使える武器はかなり制限され(斬るよりも、刺すが主体なそうな)、一騎打ちで斬り合うなどもってのほかみたいです。 ちなみに、青龍刀はもっとずっとずっと後の武器だそうな。 あと、もう読んでいないのですが(爆)、蒼天で鐙はデフォルト装備ですよ。
301: 2002/10/21(月) 22:43 ぐっこ 2002年03月23日土曜日 00時08分 わ、白崎ゆきと様、ようこそおいでくださいました〜! 岡本様待ちに割り込むカタチになりますが(^_^;)、まずはご挨拶をば。 基本的に中国も戦車の国でしたから、趙雲のご先祖様(←勝手に決めてる(^-^;)がウマーに直接乗るという突飛な概念を輸入してなかったら、もっと騎馬軍団の出現は遅かったでしょうね〜。 で、あぶみ…あ、いま南蛮王読み返したら、ちゃんと公孫楼初登場の時に「鐙のない時代に…」て書いてある! 凄ェ俺! …と自画自賛してみる(^_^;)。 それはともかく、歴史の本とか読んでて疑問発生。当時の馬上兵器として戟や戈が紹介されてるのがありますが、「すれ違いざまに首を刎ねる」という文に疑問(^_^;) これって戦車戦での使用方ですよねえ…。 だいたいあぶみが無い馬の上で、それなりに高速ですれ違う相手の首に刃物引っかけたら、自分も引きずり落とされるような。 日本では、騎兵は攪乱と陽動が主任務で主力になり得なかったらしいですが…三国志当時の騎兵の戦い方についての考察、どなたかプリーズ!
302: 2002/10/21(月) 22:44 岡本 2002年03月24日日曜日 15時18分 白崎様、岡本です。 >片足鐙の例は西晋 全く、そのとおりです。私の記憶が混乱しておりました(やはり文献を見ながら書かないと)、謹んでお詫びいたします、すみません。ああ、恥ずかしい。 両足鐙についても正確に補足しますと、4〜5世紀ごろの南北朝の時代に大量に出現した重装騎兵で、騎乗時の安定性を確保するために出現したようです。ですから東晋というのは間違いではありません。需要との関係で技術も進む一例です。 >この手の鐙を生んだ地域の有力候補 う〜ん、西アジアがどうだったか私は知らないので...。 ところで、おっしゃる文献は学研からでている中国古代の戦術・兵器に関する本でしょうか。それでしたら元ネタは同じです。 >使える武器はかなり制限され(斬るよりも、刺すが主体なそう>な)、一騎打ちで斬り合うなどもってのほかみたいです。 前漢の時代に”斬馬剣”(騎馬をも切れる長大な剣)は存在しました。これは漢書に記述があります。 その関連で、もしかしたら宋の時代の大刀に対応する薙刀が存在したかもしれません。 面白い話としては、北方騎馬民族の武器は鍛(タン:矛の一種)と弓矢と”剣”だったようです。最初の2つは分かるとしても剣とは..。 漢代にはいってから鉄製武具の普及が進むと(秦の時代に旧七雄から武装剥奪のため青銅製武器を集めて溶かしたことも効いている)、製造のしやすさ、と強度、斬り降ろしの威力から、剣から環刀への転換が進みます。この環刀が騎馬兵でどのような遣われ方をしたかは記憶があやふやですのでまた、調べてからお答えします。 日本では、騎馬武者主体の平安後期・鎌倉期は日本刀の形状が薙ぎ切りに適した反りが深く刀身の長い”太刀”だったのが接近白兵戦主体の戦国期になると反りの浅い刀身の短い”打刀”に変貌しました。 もしかしたら、中国の騎兵でも剣→環刀で似たようなことがあったかもしれませんが情報をもっていません。 >すれ違いざまに首を刎ねる」という文に疑問(^_^;) これって >戦車戦での使用方ですよねえ…。 戈の形状から使用法の変遷が読み取れます。戟も漢や三国時代は宋の時代に出現した戟刀(矛に三日月状の刃=月牙がついたもの)ではなく、矛+戈のトの字型の形状ですので同じように解釈してください。記憶を頼りに話をしていますので、流れは正しいですが、正確な年代があやふやです。間違っていましたら補足をお願いします。 1.春秋・戦国時代の戦車戦で使用したものは鎌のようにすれ違い様薙ぎきるので、刃と柄の角度が90°以上。場合によっては120度ちかく。刃の形状も引き切りに適した伸びやかな両刃。 2.秦・前漢の時代に戦車戦が廃れ、騎馬にとって変わられ、戦いもより激烈な接近戦主体となると”薙ぎきる”というよりも”打ち込む”というような使用法に変貌。そのため、刃と柄の角度が90°ぐらいになる。刃の形状は突き刺しに適したナイフ形。 というところでしょうか。横山光輝氏の楚漢戦争”若き獅子たち”では2.の内容が再現されています。 以上、ながながと失礼しました。
303: 2002/10/21(月) 22:45 ぐっこ 2002年03月24日日曜日 22時18分 うお、早速の詳報大感謝! さ、さすがは武道の岡本様(¨;)参考になります〜! とりあえず私宛のぶんにレスなど… >戈の形状から使用法の変遷が読み取れます。 なるほど、そういう風にして割り出すですか! BSドラマなんかで雑兵が持ってる、あのフレミング左手の法則にあてはまりそうな直角に刃が飛び出てる矛が、正解と。 “打ち込む”ということは、あれを横に薙ぐのではなく、縦に打ち下ろして使っていたと言うこと!! おお!? なんか三国志観があざやかに一変した!! いや、BSドラマの雑兵が、へっぴり腰に「えいえいえいっ」みたいな矛の振り回し方をしていて「それは違うだろ」と思ってたんですが、実は正解だったわけですね!? うーむ聞いてみるものだ… 擬音でいうと「ザシュっ」ではなく「ドカっ」という音が方々で響く戦場か…参考になりました!
304: 2002/10/21(月) 22:45 岡本 2002年03月24日日曜日 23時16分 ぐっこ様 >BSドラマの雑兵が、へっぴり腰に「えいえいえいっ」みたいな >矛の振り回し方をしていて 大体は上記の内容でよいと思いますが、公孫瓚伝に少々気がかりな記述もありまして。 若き日の公孫瓚が匈奴の部隊との遭遇戦の際”刃を両側につけた矛”で敵中突破したという記述です。注の絵を見る限りでは”戟刀”にもう一つ月牙をつけた文字通り後世の方天戟になりますので。この問題の”両刃矛”がどのようなものだったのかは私にとっては謎です。 呂布の射た戟の形状も疑問です。多分上記のト型の戟の戈を柄に装着している部分に射当てたと思うのですが...。吉川三国志や三国志演義では戟刀の月牙に当てて砕いたことになっています。 典イの双鉄戟自体も80斤の1つの方天戟を持っていたのか、40斤の通常の戟を2本もっていたのか2説あります。 似た例で、甘寧が凌統といさかいを起こして呂蒙にとめられたとき、”双戟”の舞を見せています。これは2本の戟を持つ舞のようですので、典イの双鉄戟は2本の戟と私は解釈していますが。 >所詮は後生作家の作品…(;^_^A」 ええ、”講釈師、見てきたような嘘をいい”ではありませんが。”うまく騙してくれるなら喜んで騙されよう、学術的意義に抵触しない限り”、でいいと思います。
305: 2002/10/21(月) 22:45 白崎ゆきと 2002年03月26日火曜日 09時05分 岡本さま、レスありがとうございます。 とりあえず、西晋時代の墓から出てきた、片側に鐙のついた騎馬俑の画像をあげておきました。 http://www.mitene.or.jp/~masakato/3guo/tre_kibayoh-302.html あと少し内容が違いますが、山田先生の『睡人亭』でのコラムでこんなのがあります。 http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~tyv07679/chuugoku/koramu/ko981011.htm#sono2 >ところで、おっしゃる文献は学研からでている中国古代の戦術・兵器に関する本でしょうか。 これは中国編2冊をまとめて買いましたが、ざっと見てイマイチな部分があまりに目につきとても信頼できず、ほとんど参考にしていません。 そういったわけで久しぶりに読みましたが、中国古代編の「戦力と戦術のすべて」は興味深いですね。;^_^A >典イの双鉄戟自体も80斤の1つの方天戟を持っていたのか、40斤の通常の戟を2本もっていたのか2説あります。 >似た例で、甘寧が凌統といさかいを起こして呂蒙にとめられたとき、”双戟”の舞を見せています。これは2本の戟を持つ舞のようですので、典イの双鉄戟は2本の戟と私は解釈していますが。 二刀流で有名な宮本武蔵でさえ、刀では二刀流は使わなかった(使えなかった)といわれているぐらい、両手で武器を扱うことは難しいです。 ましてや、戟は長いうえに、片方に重量が集中していますから、とり回しはより困難なのではないでしょうか。 舞ならば殺傷能力は関係ありませんから、それ用に軽くしておくこともできますが、実戦用となるとそうもいきません。 ただ、力を誇示することが目的で、戟を2本持っていたのかも……。 何だかんだいって、世の中ハッタリも大事ですからね。(^-^)
306: 2002/10/21(月) 22:46 ぐっこ 2002年03月26日火曜日 23時42分 >公孫瓚伝 なんと! と思って調べてみますと、確かに「瓚自持矛両頭施刃」と…。うーむ…両側に刃が直角に飛び出た十文字槍とも、方天戟ともとれる表現ですね〜。ところでさらに疑問なんですが、あの月牙って、どういう具合に使う刃なんでしょうか〜(^_^;)。図を見ると内に引っ込むように湾曲してるので、撫で斬る用途でもなさそうですし…やはり叩き斬るため? >白崎ゆきと様 リンク先、私も拝見しました〜! 当時の資料、そして「始皇帝暗殺」より…。やっぱり見てる人はそういう視点で観察するんだなあ、と。 BS三国志、今見てみたらしっかり鐙つけてるし…. 双戟…まあ、太史慈は手戟(トマホークって…(^_^;)何本か携帯してたみたいですから、従来のイメージ通り二本の戟と思いたいところですが…。 ただ以前何かで見たんですが、斧や戟、サン(漢字忘れました(^_^;)のような思い武器は、刃ではなく柄を使って戦ってたらしいですね…。だと典韋もそうなるのかな…
307: 2002/10/21(月) 22:46 岡本 2002年03月29日金曜日 01時47分 懲りずに補足いたします。 >あの月牙って、どういう具合に使う刃なんでしょうか〜 >(^_^;)。図を見ると内に引っ込むように湾曲してるので、撫 >で斬る用途でもなさそうですし…やはり叩き斬るため? 漢・三国あたりでトの字型の矛と戈の合体形で製造されるようになった戟は、それ以後、戈の部分が徐々に矛先に向けて湾曲していきます。唐の時代ごろには十手型の刺又状になり、この枝部分で相手の首を押し切る形に使うようになります。宋の時代にこの枝が最終形態として月牙となり、この部分で叩き切るように使用するようになります。 以前、どこかの辞典で戟を引いたときに、”槍のように突き、斧のように切って遣う万能兵器”と説明していたものがありましたがそれに近いと思います。
308: 2002/10/21(月) 22:46 ぐっこ 2002年03月30日土曜日 22時54分 補足ありがとうございます、岡本様! ああ、やっぱり叩き斬るための刃でしたか〜。槍のように突き、斧のように斬る…ハルバードのようなカンジですね…。
309: 2002/10/21(月) 22:48 左平(仮名) ◆予告は当たりか!? 今週の蒼天◆ (あらすじ) 盧江の〜ですが、一応、当たっていました。「そうか、こいつがいたか」、と思う事うけあいです。 とはいえ、今回の主役は、妙才です。「俺の声は 曹孟徳に似てきたか?」と自問するあたり、なかなか決まっています。 南下した曹操と合流し、曹操が兵法について語った後、(ネタバレ)にとどめを刺すべく、出撃せんとします。 「何人もの将軍を率いる司令官たる者は〜敵を人として、戦を政として、どれだけ興味を持てるかにある」! 今回も言ってくれます、丞相閣下! なお、万億は既に病死したとの事。曹仁はいまだ苦戦中。 …しばらく、孫呉との戦いが描かれそうです。周郎も、まだ出てくるかな? 今日は、送別会につきちょっと遅くなりました。駅のコンビニに入ると、今週の「モ−ニング」が!
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