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★☆蒼天航路スレッド☆★
305: 2002/10/21(月) 22:45 白崎ゆきと 2002年03月26日火曜日 09時05分 岡本さま、レスありがとうございます。 とりあえず、西晋時代の墓から出てきた、片側に鐙のついた騎馬俑の画像をあげておきました。 http://www.mitene.or.jp/~masakato/3guo/tre_kibayoh-302.html あと少し内容が違いますが、山田先生の『睡人亭』でのコラムでこんなのがあります。 http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~tyv07679/chuugoku/koramu/ko981011.htm#sono2 >ところで、おっしゃる文献は学研からでている中国古代の戦術・兵器に関する本でしょうか。 これは中国編2冊をまとめて買いましたが、ざっと見てイマイチな部分があまりに目につきとても信頼できず、ほとんど参考にしていません。 そういったわけで久しぶりに読みましたが、中国古代編の「戦力と戦術のすべて」は興味深いですね。;^_^A >典イの双鉄戟自体も80斤の1つの方天戟を持っていたのか、40斤の通常の戟を2本もっていたのか2説あります。 >似た例で、甘寧が凌統といさかいを起こして呂蒙にとめられたとき、”双戟”の舞を見せています。これは2本の戟を持つ舞のようですので、典イの双鉄戟は2本の戟と私は解釈していますが。 二刀流で有名な宮本武蔵でさえ、刀では二刀流は使わなかった(使えなかった)といわれているぐらい、両手で武器を扱うことは難しいです。 ましてや、戟は長いうえに、片方に重量が集中していますから、とり回しはより困難なのではないでしょうか。 舞ならば殺傷能力は関係ありませんから、それ用に軽くしておくこともできますが、実戦用となるとそうもいきません。 ただ、力を誇示することが目的で、戟を2本持っていたのかも……。 何だかんだいって、世の中ハッタリも大事ですからね。(^-^)
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