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★☆蒼天航路スレッド☆★
438: 2002/10/22(火) 00:00 むじん 2002年09月02日月曜日 06時37分 同じハードカバー版の同士としてがんばりましょーや。文庫版にしても間違いはあるでしょうし。 【国学】http://www.guoxue.com/index.htm 【史学連線】http://saturn.ihp.sinica.edu.tw/~liutk/shih/ 【超星器】http://www.ssreader.com/ 【亦凡公益】http://www.shuku.net/ 【熾天使書城】http://www.angelibrary.com/ 【中華文化網】http://yanzi.d2g.com:723/ やっぱりぐっこさまご紹介の【中央研究院】が最高ですにゃ〜。【超星器】は有料ですが、なんと「画像」で書籍を読むことができるらしい…。【中華文化網】ではたぶんweb上では唯一「華陽国志」が読めるサイトです〜。
439: 2002/10/22(火) 00:00 ぐっこ 2002年09月02日月曜日 22時45分 ぐあーん! そんなにもあったですか! 知らなかった… それに! 華陽国志が読めるサイトですと!(;´Д`)ハァハァ… 古書市だと南中志とか巴志とかしかゲットできなかったから…むじん様、情報感謝っ!
440: 2002/10/22(火) 00:11 左平(仮名) 「◆医聖と神医 その差は… 今週の蒼天◆ 今回、華佗が再び登場。しかし、メスを振るいません。求賢令に対し、屈託無く反応する崔エン(王+炎)らを尻目に、儒を苦々しく見つめていますが、一方で、彼もまた国家と儒を、儒と才能を分離できないでいます。 そんな彼に、曹操がつきつけたのは…張仲景の「傷寒論」。曹操が望んだ医術の才の発揮とは、こういう「後世に継承される形」であった様です。 蛇足:書き込むにあたり、白川静氏の「字統」にて、「神」と「聖」を調べてみました。 「神」 声符は申。申は、電光が斜めに屈折して走る形で、神威のあらわれるところ。 「聖」 耳(=耳)と壬(=人の爪先立ちする形)と口(白川氏によると、祝祷を収めた蓋付きの器)から成る。祝祷して祈り、耳をすませて神の応答するところ、啓示するところを聴く事を示す。 なるほど、神医はその医術の術を示しながらも、あたかも電光の如く後世に残さず、医聖は医術の術を伝える事で、後世に名を残しています。 蛇足の蛇足:最後のペ−ジで、「三国史」となってました。誤植?」
441: 2002/10/22(火) 00:13 玉川雄一 2002年09月26日木曜日 21時47分 蒼天航路では比較的珍しく、次回に(直接的に)引っ張る内容でしたね。 華佗、ここで来たか!の「家に帰って書をまとめてきます」 ↓ いきなり獄中に! その間のいきさつは次回を待て!? あと、なにげに荀イクの「死病」を見抜いている辺り、令君は病死という方向なんでしょうかね。 それと崔エンキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!! 容貌をしっかり再現しているなんざ、ゴンタお主やるのう、といったところ。 ただ、彼のセリフは後の運命を暗示しているような内容でしたね。 来月は26巻出るし、当分楽しめそうです。
442: 2002/10/22(火) 00:13 ぐっこ 2002年09月26日木曜日 23時16分 確認! マターリとしてる崔エンと荀揩サクッと無視するあたり、華佗の長年の恨みが出ててよし! 儒のデフォルメ論が騒がしいようですが、是非はさておき、当時の社会の癌にスポットを当ててるあたり、三国志漫画としても充実してきますた! あーあ…官渡と赤壁さえなければ…。 次回、いきなり投獄からですね(^_^;) 華佗はなにが不満だったんでしょ? 即物的な技術を求められたことにブチ切れした?
443: 2002/10/22(火) 00:13 クェン 2002年09月27日金曜日 00時05分 おおぉぉ!張仲景!!まさか三国志漫画でこの名をお目にかかれることになるとは。 以前、大学の講義で読まされた「傷河論(漢字は違うかも)」という本で「諸葛亮の墓が豪勢なのに、張仲景の墓がヘボいのは、今までの中国の価値観がおかしい証拠だ」みたいなことが書かれてました。これを読んで以来、私の中では張仲景こそが漢代で一番の偉人、というイメージが出来上がった次第。 で、肝心の華佗と荀揩ノついてですが、この2人は物語のテーマを論じる上で重要な役割を課せられているような気がします。そのためか、なかなか丁寧に扱われていて、良い感じです。
444: 2002/10/22(火) 00:13 惟新 2002年09月27日金曜日 09時14分 張仲景は正史に登場しませんからね。 それでも後世に与える影響は莫大なものがあるわけですが。 ついでですので、彼について皆さんにお尋ねします。 まず、彼は200年頃長沙太守になったといわれますが、この真偽やいかに? あるいは史実としても、これは彼が劉表の臣であったことを示すのでしょうか? 次に、なぜ正史に登場しないのか? 皇甫謐の著作には登場するそうですし、それなのに後漢書にも三国志にも登場しないのはいったいどういうことなのでしょう? 以上、ちょこっと沸いて出た疑問です。 自分の浅はかな知識では限界がありますので、皆様の深い見識をお借りできれば幸いと存じます。スレ違い申し訳ありませんが(^_^;)
445: 2002/10/22(火) 00:15 ぐっこ 2002年10月01日火曜日 21時41分 少なくとも私はそれ以上の知識ないです(^_^;) コレラでしたっけ、彼が治したのは。 助っ人きぼん…
446: 2002/10/22(火) 00:15 NOB 2002年10月02日水曜日 06時08分 助っ人というよりも、いつも通りさらに話題を発散させそうな気がしつつ…(^-^; 昔、張仲景について自分のサイトで取り上げたことがありますので、拙文ですがよろしければ御覧ください。 http://www2.nightmare.to/~nobmatsu/san3/38.html 維新さんやぐっこさんのお答えになるようなことは一切書けていないのですが…。 維新さん: > 彼は200年頃長沙太守になったといわれますが、この真偽やいかに? 以前、神保町(たしか小宮山書店という古本屋です)で分厚い「傷寒論研究どーたらこーたら」といった本を見つけ、ちょっと立ち読みしたのですが、張仲景がどんな人だったかというのはよく分かっておらず、張機と張仲景は別々の人物だったのではないか、という説もあるそうです。なので、長沙太守になった張某と医聖の張某は実は別人、ということもありえますよね。 全然答えになっていなくて申し訳ないのですが、どうやら研究者の間でもよく分かっていない、少なくともその本が出た時点では分かっていなかったというのが現状のようでした。 後は、イマジネーションを働かせて想像してみるしかないみたいです(^-^; ぐっこさん: > コレラでしたっけ、彼が治したのは。 「傷寒」は「チフスなど高熱を出す病気の古称」(全訳漢辞海/三省堂)、「腸チフス・チフス、体が冷えることによって発熱する病気」(中日辞典/小学館)だそうですが、彼が傷寒論に記したとされていることを読むと、伝染病や熱病一般についての弁証と処方について記されているようで、傷寒もそのくらいの意味で使われているのかもしれません。もちろん、今伝わっている「傷寒論」が張仲景の手によるものかどうかは不明ですが。もっとも、張仲景の存在自体疑われたりすることもあるようですから当たり前かもしれませんが(爆) コレラとの関わりは、すみませんがちょっと分かりません。 なお、傷寒論がネットで読めます。いるかそんなもん、って感じですが(笑) http://village.infoweb.ne.jp/~kojindo/ 張仲景が記したとされる『傷寒雑病論』の傷寒篇が傷寒論として、雑病篇が同じサイトにある金匱要略として現在伝わっているといわれているそうですが、真偽のほどはごにょごにょごにょ…(笑)
447: 2002/10/22(火) 00:15 NOB 2002年10月02日水曜日 06時17分 こんなの見つけました。 http://www.city.nanyo.yamagata.jp/WEBS/SISEI/YUUKO/nanyang04.htm 医聖祠、張仲景を祀ってあるところです。武侯祠に勝てるかどうかは怪しいですが、今ではかなーり立派なお墓(厳密にはお墓じゃないですね)になっているようで。 そういえば、奇しくも医聖祠と臥龍崗祠、どちらも南陽でご近所ですね。
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