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444: 2002/10/22(火) 00:13 惟新 2002年09月27日金曜日 09時14分 張仲景は正史に登場しませんからね。 それでも後世に与える影響は莫大なものがあるわけですが。 ついでですので、彼について皆さんにお尋ねします。 まず、彼は200年頃長沙太守になったといわれますが、この真偽やいかに? あるいは史実としても、これは彼が劉表の臣であったことを示すのでしょうか? 次に、なぜ正史に登場しないのか? 皇甫謐の著作には登場するそうですし、それなのに後漢書にも三国志にも登場しないのはいったいどういうことなのでしょう? 以上、ちょこっと沸いて出た疑問です。 自分の浅はかな知識では限界がありますので、皆様の深い見識をお借りできれば幸いと存じます。スレ違い申し訳ありませんが(^_^;)
445: 2002/10/22(火) 00:15 ぐっこ 2002年10月01日火曜日 21時41分 少なくとも私はそれ以上の知識ないです(^_^;) コレラでしたっけ、彼が治したのは。 助っ人きぼん…
446: 2002/10/22(火) 00:15 NOB 2002年10月02日水曜日 06時08分 助っ人というよりも、いつも通りさらに話題を発散させそうな気がしつつ…(^-^; 昔、張仲景について自分のサイトで取り上げたことがありますので、拙文ですがよろしければ御覧ください。 http://www2.nightmare.to/~nobmatsu/san3/38.html 維新さんやぐっこさんのお答えになるようなことは一切書けていないのですが…。 維新さん: > 彼は200年頃長沙太守になったといわれますが、この真偽やいかに? 以前、神保町(たしか小宮山書店という古本屋です)で分厚い「傷寒論研究どーたらこーたら」といった本を見つけ、ちょっと立ち読みしたのですが、張仲景がどんな人だったかというのはよく分かっておらず、張機と張仲景は別々の人物だったのではないか、という説もあるそうです。なので、長沙太守になった張某と医聖の張某は実は別人、ということもありえますよね。 全然答えになっていなくて申し訳ないのですが、どうやら研究者の間でもよく分かっていない、少なくともその本が出た時点では分かっていなかったというのが現状のようでした。 後は、イマジネーションを働かせて想像してみるしかないみたいです(^-^; ぐっこさん: > コレラでしたっけ、彼が治したのは。 「傷寒」は「チフスなど高熱を出す病気の古称」(全訳漢辞海/三省堂)、「腸チフス・チフス、体が冷えることによって発熱する病気」(中日辞典/小学館)だそうですが、彼が傷寒論に記したとされていることを読むと、伝染病や熱病一般についての弁証と処方について記されているようで、傷寒もそのくらいの意味で使われているのかもしれません。もちろん、今伝わっている「傷寒論」が張仲景の手によるものかどうかは不明ですが。もっとも、張仲景の存在自体疑われたりすることもあるようですから当たり前かもしれませんが(爆) コレラとの関わりは、すみませんがちょっと分かりません。 なお、傷寒論がネットで読めます。いるかそんなもん、って感じですが(笑) http://village.infoweb.ne.jp/~kojindo/ 張仲景が記したとされる『傷寒雑病論』の傷寒篇が傷寒論として、雑病篇が同じサイトにある金匱要略として現在伝わっているといわれているそうですが、真偽のほどはごにょごにょごにょ…(笑)
447: 2002/10/22(火) 00:15 NOB 2002年10月02日水曜日 06時17分 こんなの見つけました。 http://www.city.nanyo.yamagata.jp/WEBS/SISEI/YUUKO/nanyang04.htm 医聖祠、張仲景を祀ってあるところです。武侯祠に勝てるかどうかは怪しいですが、今ではかなーり立派なお墓(厳密にはお墓じゃないですね)になっているようで。 そういえば、奇しくも医聖祠と臥龍崗祠、どちらも南陽でご近所ですね。
448: 2002/10/22(火) 00:16 惟新 2002年10月02日水曜日 10時42分 ぐっこ様、NOB様、お答えありがとうございます! なるほど…研究者の間でもよくわからないんですね…残念。 でも、おかげさまで一ヶ月に渡る煩悶が解けました。 あ、NOB様の解説は自分で調べていたときに読ませていただいていました(^_^;) この場を借りて厚く御礼申し上げますm(__)m 先月受けた集中講義で触れられてから自分で調べてみて、高校世界史で習うほどの偉人なのに正史に載らないってどういうことなんだろ、と思っていたんです。 しかも光@の三國志でも見かけた記憶ないし。 う〜ん、存在自体疑われたりもしてるんですね… 古代史だとこういうことも多いんでしょうか、やっぱり。 なお、その集中講義では川原秀城氏が寒食散(五石散)の説明として、 張仲景の記載→何晏の(よくない)アレンジと乱用→大流行 という使用の歴史的流れを話されていました。 この寒食散の乱用で中国における薬物乱用の歴史が始まり、後の金丹、さらにずっと後のアヘンの乱用にも繋がるとのこと。 救民のために記した彼の医学が中国史上随所に見られる薬中毒の発端になったかと思えば、何やら皮肉な思いがします。
449: 2002/10/22(火) 00:19 むじん 2002年10月02日水曜日 23時32分 張仲景…うーん、うーん、知らにゃい(>_<) でもお話を伺っているうち、このまえりゅうぜんずチャットで出た話題を思い出しました。荊南四郡をもって劉表に対抗した長沙太守張羨です。彼が長沙太守を務めていたのが、北方で官渡の戦いが起こっていたころです。南陽出身とのことで、同郡の交州刺史張津と関係があるのではないかと考えておりますが、なんだか張仲景と重なる部分もあるような…? どちらかというと、同一人物というよりは、同名異人の混同のような気がしないでもないです。
450: 2002/11/02(土) 16:59 中根東竜 2002年10月03日木曜日 07時19分 お久しぶりです。 >今週の蒼天 ・・・あらすじだけ読むと、なんか『三国志』の漫画としては、史実から見て変な気がするのですが。まぁ読んでみてから感想を言いたいと思います。どうも当時の思想・文化を勘違いしている悪い予感がしますねぇ。 >求賢令に対し、屈託無く反応する崔エン(王+炎) ううむ、ジュンイク共々斬られる筈の人が法家に賛同するとは考えがたい話ですが・・以前、この漫画は「史実では儒教をコケにしていた孔融」を、儒の擁護者として描き、「史実では儒教を崇めていた曹植」が儒を批判するという大チョンボをやらかしているので、それに比べれば軽いのかも知れませんが・・ いや別にいいんですけどね、所詮フィクションだし、史実とか無関係に「学園三国志」みたいなもんだと思って作者の豪快な絵をみて楽しんでいればいいのだ、とは思うのですが、ひっかかる・・ >傷寒論 一応、入手しやすいこの本の紹介としては、山田慶児『中国医学はいかにつくられたか』(岩波新書、1999)があります。僕もつん読になって読んでいない本なので、これもきちんと読んでみてから紹介しますね。まあ、ざっと見たところ非常に複雑な伝来事情があるようです。
451: 2002/11/02(土) 17:00 惟新 2002年10月03日木曜日 10時22分 >むじん様 貴重なご意見ありがとうございます〜! 張羨、張津…なぜ知らなかったんだ、私(滝汗) なるほど〜。では、張仲景が長沙太守に任じられたとされる辺りはすごく複雑な情勢だったんですね。ということは、その長沙太守任官の話も真偽のほどは… 少なくとも張羨は朝廷(曹操)側として劉表に反旗を翻したわけですから、朝廷が彼に代えて張仲景を任じるとは考えにくい。 むむ、なんか雲行きが怪しくなってきたぞ… 南陽出身…そういえば張仲景自身、南陽の出身だったはず。 ということは、張羨・張津・張仲景の三人は同郷の出… いかにも混同が起きそうな…でも、互いに何らかの関係はありそうな気もします。 >中根東竜様 ご紹介されている本、タイトルから察するに中国医学史の本でしょうか。 「傷寒雑病論」の変遷もどうも私の中ではごっちゃになってまして、参考にさせていただきます。
452: 2002/11/02(土) 17:00 ぐっこ 2002年10月03日木曜日 21時06分 うおとお!皆様、早速の支援ありがとうございます! …あ、チフスだった(^_^;) 私の記憶力なんてこんなものです…。 あと、寒食散って水晶の粉とかを混ぜ合わせたものなんですよねえ。コレは陳先生に教わりましたが、その後の介子推のお話の方がインパクトあった…。寒食の風習→寒食散って何か因果関係あるのだろうか。 さておきNOBさま、貴重な情報ありがとうございますー! イヤー、マジに知らないことばかりでした…。 サリゲに何ギョウが出てる…。いま漢籍全文資料庫で古小説鉤沈読んでキューキュー鳴いてるところです。こんど社のプリンタで全文出力しとこう… あ、ウチのマシン、ユニコード対応になってた… >むじんさま あー。張羨いましたねえ…。全く気づきませんでした。南陽の張さんというのは、結構幅きかしてるんでしょうか? あと、前から疑問に思ってたのですが、何故史書には姓+字でしか事績の残ってない人が出てくるんでしょうか? やはり本名の方が知られないものなんでしょうか〜。 >中根東竜さま おひさしぶりです! あー、蒼天とか龍狼伝とかって史実とか考えない方がいいですよ〜。としまつと違って、ソレで充分面白いです。私たちは何だかんだ言っても、あの作品が好きですから。 儒教…そうですよね(^_^;) デフォルメデフォルメ。 作品的に言えば、崔エンは儒者として斬られるのを覚悟の上で、飄々と法家を受け入れるカンジでした。 「中国医学はいかにつくられたか」のレビュー、激しくきぼんですー。
453: 2002/11/02(土) 17:00 中根東竜 2002年10月13日日曜日 17時27分 中根です。激しくきぼんとおっしゃられるからには、 まともなレビューを書かなければ!とおもって必死になって読んだのですが、わかりにくいんですねぇ、これ・・ 良い本だとは思いますよ。ただ、難解な中国医学の理論をガチンコで ずっと述べているので、夜勤明けの頭には大層読みづらいものでございました・・ で、この本は理論書なので、張機とかに関しては記述少ないです。 これじゃレビューかけねえよウワァァン、ってわけで もう一冊、石田秀実著『中国医学思想史』(東京大学出版会) を読んでみました。これの方が詳しいです。 で、内容を述べると・・ ・張仲景自体は存在したことは間違いない。ただし、事跡は伝説に彩られている。唐の甘伯宗『名医伝』には長沙太守だったとあるが、これも伝説だと考えた方がよい。 ・魏晋六朝期の文献『皇甫謐解散説』には「華陀ほど不可思議な腕はないが、症状と方剤の対応・扱い方には誰もかなわない」とあり、 精緻な臨床の医師だったようだ。『晋書』皇甫謐伝にも方剤に長けていたと書かれている。 ・傷寒論は現在傷寒論・金匱要略・金匱玉函経の3つに変容している。どれが原型に一番近いか探るのは容易ではない(石田氏は細かく推論しているが、煩雑になるので省略) ・・ということのようですよ。 どうも余り参考にならなくてすいません・・ >おひさしぶりです! あー、蒼天とか龍狼伝とかって史実とか考えない方がいいですよ〜。としまつと違って、ソレで充分面白いです。私たちは何だかんだ言っても、あの作品が好きですから。 あー、そう考えた方が良いですよねぇ。私も故李学仁先生のファンだったモノで(何しろ未だに李氏作品の三夢伝を探しているくらいだ)、 ついマジになってしまいました。史実とか考えない方が良いんですよねぇ。以後そうします(そういって今度は作品でぐにゃぐにゃ言っているのはカコワルイ・・・) >惟新さん 傷寒論の伝承経路は非常に複雑で、上で述べたのが概略ですが、 山田氏・石田氏ともに違った説を書いている状況なので、 これ以上詳しくは素人の僕にはわからんです(^^;) 申し訳ないです。
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