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★☆蒼天航路スレッド☆★
686:★玉川雄一2003/11/20(木) 22:17
呂蒙カコイイ!ですね。髭がいいカンジに決まっておられる。セリフ無いけど(-_-;)
涼州掃討戦以来の関西方面軍がフル回転!
曹操の新世代参謀コンビ司馬懿と劉曄ワショーイ!
高祚キタ━━━━……って名前だけかよう。それに解ヒョウはぁー?
省15
687:孫ぽこ2003/11/20(木) 22:19
新章突入と銘打っていたのですが、どの辺りが?と思ったのは私だけですか(笑)?
しかし、ここまで来ると曹操の死も近いですね。なんか掲載終了が近いと思うと、わびしさも・・・。
こうなってくると、返って休載の方がほっとしたりして(核爆)。
688:★ぐっこ2003/11/21(金) 00:17
>このほか曹洪の伯父(?)という曹鼎が『後漢書』蔡衍伝に見え、
>曹騰の弟である河間相曹鼎が蔡衍に弾劾されている話を紹介しています。
ああ、曹洪が若くしてどっかの県令になったのって、叔父の金策があったからという
記憶がありますが、きちんと事績(?)ってあったんですね
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
省30
689:★玉川雄一2003/11/21(金) 00:30
>魯粛
関さんと呂蒙がガンくれあってる二回目のコマにいますよん。
そういやこの人ももう何年かで……(つДT)
>楊脩の可能性あり
っても見た目は完全に曹植なんですよね。目元のアレは曹氏のトレードマークだし、
省14
690:★玉川雄一2003/11/21(金) 00:41
そうそう、で何で曹植であることに疑問を持ったかと言えば、
「この人前線に出たのかなあ?」ってことでして。
前年の合肥遠征の際にはギョウでお留守番だったらしいですが、
それ以降は曹操の後継者が決まるまでの数年間具体的な動向が不明なんですよね。
まあ書いてないからといって「そうでなかった」とは言い切れないわけで、
省11
691:japan2003/11/21(金) 21:04
>そうそう、で何で曹植であることに疑問を持ったかと言えば、
>「この人前線に出たのかなあ?」ってことでして。
本人曰く、
「故武皇帝のお供をして南方は赤岸まで行きつき、東方は青海原を前にし、
西方は玉門を遠望し、北方は玄塞をこえました」とのこと。(228年の上奏文より)
省15
692:★ぐっこ2003/11/22(土) 17:27
今日はしっかりと確認してきました!
ああ、魯粛、ちゃんと呂蒙と並んでたのね…。呂蒙のヒゲに
目がいって気づかなかったわ…。
あー。確かに曹操、荀掾穂、攸の死が余程応えたのか。夏侯惇は何となく、許褚は
やや具体的に、そのへんを気づいてるみたいで。
省16
693:★玉川雄一2003/11/22(土) 20:53
>故武帝のお供を〜
そうそう、それありましたよね。確かに従軍経験はあったということでしょうか。
ただ修辞もあるんでしょうけどさすがに具体性が見えてこないなあ、と思いまして。
>酔っぱらい
関羽の北伐による樊城攻防戦の救援の際ですね。
省8
694:★ぐっこ2003/11/23(日) 23:37
確かに…(-_-;)
どこかに信憑性一覧みたいなサイトはないものか…
695:★玉川雄一2003/11/27(木) 20:55
扉のページでいきなり勝負がついてるのにワロタ。
降伏組の中に、侯選と程銀がいなかったなあ。
もっともこの場面はホウ悳の帰順を描くのが眼目だろうし、
アレで樊城戦への布石になってるといい…ですね。
省17
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