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★☆蒼天航路スレッド☆★
441: 2002/10/22(火) 00:13 玉川雄一 2002年09月26日木曜日 21時47分 蒼天航路では比較的珍しく、次回に(直接的に)引っ張る内容でしたね。 華佗、ここで来たか!の「家に帰って書をまとめてきます」 ↓ いきなり獄中に! その間のいきさつは次回を待て!? あと、なにげに荀イクの「死病」を見抜いている辺り、令君は病死という方向なんでしょうかね。 それと崔エンキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!! 容貌をしっかり再現しているなんざ、ゴンタお主やるのう、といったところ。 ただ、彼のセリフは後の運命を暗示しているような内容でしたね。 来月は26巻出るし、当分楽しめそうです。
442: 2002/10/22(火) 00:13 ぐっこ 2002年09月26日木曜日 23時16分 確認! マターリとしてる崔エンと荀揩サクッと無視するあたり、華佗の長年の恨みが出ててよし! 儒のデフォルメ論が騒がしいようですが、是非はさておき、当時の社会の癌にスポットを当ててるあたり、三国志漫画としても充実してきますた! あーあ…官渡と赤壁さえなければ…。 次回、いきなり投獄からですね(^_^;) 華佗はなにが不満だったんでしょ? 即物的な技術を求められたことにブチ切れした?
443: 2002/10/22(火) 00:13 クェン 2002年09月27日金曜日 00時05分 おおぉぉ!張仲景!!まさか三国志漫画でこの名をお目にかかれることになるとは。 以前、大学の講義で読まされた「傷河論(漢字は違うかも)」という本で「諸葛亮の墓が豪勢なのに、張仲景の墓がヘボいのは、今までの中国の価値観がおかしい証拠だ」みたいなことが書かれてました。これを読んで以来、私の中では張仲景こそが漢代で一番の偉人、というイメージが出来上がった次第。 で、肝心の華佗と荀揩ノついてですが、この2人は物語のテーマを論じる上で重要な役割を課せられているような気がします。そのためか、なかなか丁寧に扱われていて、良い感じです。
444: 2002/10/22(火) 00:13 惟新 2002年09月27日金曜日 09時14分 張仲景は正史に登場しませんからね。 それでも後世に与える影響は莫大なものがあるわけですが。 ついでですので、彼について皆さんにお尋ねします。 まず、彼は200年頃長沙太守になったといわれますが、この真偽やいかに? あるいは史実としても、これは彼が劉表の臣であったことを示すのでしょうか? 次に、なぜ正史に登場しないのか? 皇甫謐の著作には登場するそうですし、それなのに後漢書にも三国志にも登場しないのはいったいどういうことなのでしょう? 以上、ちょこっと沸いて出た疑問です。 自分の浅はかな知識では限界がありますので、皆様の深い見識をお借りできれば幸いと存じます。スレ違い申し訳ありませんが(^_^;)
445: 2002/10/22(火) 00:15 ぐっこ 2002年10月01日火曜日 21時41分 少なくとも私はそれ以上の知識ないです(^_^;) コレラでしたっけ、彼が治したのは。 助っ人きぼん…
446: 2002/10/22(火) 00:15 NOB 2002年10月02日水曜日 06時08分 助っ人というよりも、いつも通りさらに話題を発散させそうな気がしつつ…(^-^; 昔、張仲景について自分のサイトで取り上げたことがありますので、拙文ですがよろしければ御覧ください。 http://www2.nightmare.to/~nobmatsu/san3/38.html 維新さんやぐっこさんのお答えになるようなことは一切書けていないのですが…。 維新さん: > 彼は200年頃長沙太守になったといわれますが、この真偽やいかに? 以前、神保町(たしか小宮山書店という古本屋です)で分厚い「傷寒論研究どーたらこーたら」といった本を見つけ、ちょっと立ち読みしたのですが、張仲景がどんな人だったかというのはよく分かっておらず、張機と張仲景は別々の人物だったのではないか、という説もあるそうです。なので、長沙太守になった張某と医聖の張某は実は別人、ということもありえますよね。 全然答えになっていなくて申し訳ないのですが、どうやら研究者の間でもよく分かっていない、少なくともその本が出た時点では分かっていなかったというのが現状のようでした。 後は、イマジネーションを働かせて想像してみるしかないみたいです(^-^; ぐっこさん: > コレラでしたっけ、彼が治したのは。 「傷寒」は「チフスなど高熱を出す病気の古称」(全訳漢辞海/三省堂)、「腸チフス・チフス、体が冷えることによって発熱する病気」(中日辞典/小学館)だそうですが、彼が傷寒論に記したとされていることを読むと、伝染病や熱病一般についての弁証と処方について記されているようで、傷寒もそのくらいの意味で使われているのかもしれません。もちろん、今伝わっている「傷寒論」が張仲景の手によるものかどうかは不明ですが。もっとも、張仲景の存在自体疑われたりすることもあるようですから当たり前かもしれませんが(爆) コレラとの関わりは、すみませんがちょっと分かりません。 なお、傷寒論がネットで読めます。いるかそんなもん、って感じですが(笑) http://village.infoweb.ne.jp/~kojindo/ 張仲景が記したとされる『傷寒雑病論』の傷寒篇が傷寒論として、雑病篇が同じサイトにある金匱要略として現在伝わっているといわれているそうですが、真偽のほどはごにょごにょごにょ…(笑)
447: 2002/10/22(火) 00:15 NOB 2002年10月02日水曜日 06時17分 こんなの見つけました。 http://www.city.nanyo.yamagata.jp/WEBS/SISEI/YUUKO/nanyang04.htm 医聖祠、張仲景を祀ってあるところです。武侯祠に勝てるかどうかは怪しいですが、今ではかなーり立派なお墓(厳密にはお墓じゃないですね)になっているようで。 そういえば、奇しくも医聖祠と臥龍崗祠、どちらも南陽でご近所ですね。
448: 2002/10/22(火) 00:16 惟新 2002年10月02日水曜日 10時42分 ぐっこ様、NOB様、お答えありがとうございます! なるほど…研究者の間でもよくわからないんですね…残念。 でも、おかげさまで一ヶ月に渡る煩悶が解けました。 あ、NOB様の解説は自分で調べていたときに読ませていただいていました(^_^;) この場を借りて厚く御礼申し上げますm(__)m 先月受けた集中講義で触れられてから自分で調べてみて、高校世界史で習うほどの偉人なのに正史に載らないってどういうことなんだろ、と思っていたんです。 しかも光@の三國志でも見かけた記憶ないし。 う〜ん、存在自体疑われたりもしてるんですね… 古代史だとこういうことも多いんでしょうか、やっぱり。 なお、その集中講義では川原秀城氏が寒食散(五石散)の説明として、 張仲景の記載→何晏の(よくない)アレンジと乱用→大流行 という使用の歴史的流れを話されていました。 この寒食散の乱用で中国における薬物乱用の歴史が始まり、後の金丹、さらにずっと後のアヘンの乱用にも繋がるとのこと。 救民のために記した彼の医学が中国史上随所に見られる薬中毒の発端になったかと思えば、何やら皮肉な思いがします。
449: 2002/10/22(火) 00:19 むじん 2002年10月02日水曜日 23時32分 張仲景…うーん、うーん、知らにゃい(>_<) でもお話を伺っているうち、このまえりゅうぜんずチャットで出た話題を思い出しました。荊南四郡をもって劉表に対抗した長沙太守張羨です。彼が長沙太守を務めていたのが、北方で官渡の戦いが起こっていたころです。南陽出身とのことで、同郡の交州刺史張津と関係があるのではないかと考えておりますが、なんだか張仲景と重なる部分もあるような…? どちらかというと、同一人物というよりは、同名異人の混同のような気がしないでもないです。
450: 2002/11/02(土) 16:59 中根東竜 2002年10月03日木曜日 07時19分 お久しぶりです。 >今週の蒼天 ・・・あらすじだけ読むと、なんか『三国志』の漫画としては、史実から見て変な気がするのですが。まぁ読んでみてから感想を言いたいと思います。どうも当時の思想・文化を勘違いしている悪い予感がしますねぇ。 >求賢令に対し、屈託無く反応する崔エン(王+炎) ううむ、ジュンイク共々斬られる筈の人が法家に賛同するとは考えがたい話ですが・・以前、この漫画は「史実では儒教をコケにしていた孔融」を、儒の擁護者として描き、「史実では儒教を崇めていた曹植」が儒を批判するという大チョンボをやらかしているので、それに比べれば軽いのかも知れませんが・・ いや別にいいんですけどね、所詮フィクションだし、史実とか無関係に「学園三国志」みたいなもんだと思って作者の豪快な絵をみて楽しんでいればいいのだ、とは思うのですが、ひっかかる・・ >傷寒論 一応、入手しやすいこの本の紹介としては、山田慶児『中国医学はいかにつくられたか』(岩波新書、1999)があります。僕もつん読になって読んでいない本なので、これもきちんと読んでみてから紹介しますね。まあ、ざっと見たところ非常に複雑な伝来事情があるようです。
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