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★☆蒼天航路スレッド☆★
331: 2002/10/21(月) 23:04 玉川雄一 2002年05月17日金曜日 22時51分 >周泰 ほら、赤壁八人衆(笑)の中のハチマキしたちんちくりんの人です。 その269、その270でも登場。諸葛亮に触られてフリーズしたりもしました(^_^;) 今回の孫・劉会談でさらに新キャラ出ませんかねえ。
332: 2002/10/21(月) 23:05 左平(仮名) 2002年05月17日金曜日 23時31分 >周泰 そういえば、赤壁八人衆、いましたね(一人だけ最後まで名前が出ずじまいでしたが)。 徐盛【→五百程度の兵を率いた経験あり。髪も髯ももじゃもじゃとして、割と年とっている感じ】、甘寧【→川賊の頭目。目つきがむちゃくちゃきつい。背中に羽飾り】、リョウ(凌−ン+シ)統【→侠客・リョウ操の子。バンダナを巻いた感じ。まだ十代】、呂蒙【→30くらいのはずだが、やけにかわいい感じ。額に三本の傷】 潘璋【→丸っこくて、人が良さそうに見える。この時点では呂蒙より頭良さそう】、陳武【→体格と顔が何か一致しない感じ。一緒に出てきた吾粲が、一気にブレイク】、?、そして、周泰【→小柄で、顔は平板。寡黙。ただ、わりと冷静な感じも】…後の三(四)人は、伯符の代からつき従ってきたとはいえ、二十歳を少し超えた程度、と言われていますが…そりゃ、赤壁の時に二十歳そこそこでは活躍する場面も少ない筈… それはそうと、ひょっとして、人間化した諸葛瑾あたりが出たりして。
333: 2002/10/21(月) 23:05 ぐっこ 2002年05月19日日曜日 00時00分 うーむ! ようやく確認〜! 今週は文字通り忙殺されてましたモノで、長い間顔を出せずにスマソですみなさま〜! ところで孫権の妹たん、私も確認いたしました〜! うーむ、確かに辻加護系ではありませんでしたが…祝融たんを10代にしたようなワイルド美女!しかも関西弁! 丹田の↓ねえ…(*^。^*) 個人的には、真っ赤になっていた武装侍女連中や、無表情にやけ酒を勧める関羽に萌え〜! 来週はいよいよ孫権と直接対面ですか…というか孔明出てこない… 周泰…確かに傷だらけでしたが、ちょっとイメージと違ったような…(^_^;) そういえば蒼天リングの管理人様がTATUさまに変わられた様子…
334: 2002/10/21(月) 23:06 japan 2002年05月19日日曜日 23時12分 >玉川様 そうでした! もう一度コミックスを読み返してきます〜(^^;) 赤壁編あたりからどうも記憶がいい加減になっているような…駄目だなぁ。 >新キャラ 陸遜…はまだ早いかな? 仕官はしている筈ですが、表舞台への登場は呂蒙の晩年ということに なるのでしょうか。 話は変わりますが、正史三国志において、皇帝以外で一人一巻の伝記が立てられているのは『蜀書』の諸葛亮と『呉書』の陸遜だけですよね(うろ覚え)。 そう思うとやはり陸遜も三国志のキーパーソンなんだなぁ、と改めて実感。
335: 2002/10/21(月) 23:08 クェン 2002年05月20日月曜日 00時28分 >話は変わりますが、正史三国志において、皇帝以外で一人一巻の伝記が立てられているのは『蜀書』の諸葛亮と『呉書』の陸遜だけですよね(うろ覚え)。 >そう思うとやはり陸遜も三国志のキーパーソンなんだなぁ、と改めて実感。 実は私、よくわからないんですが…陸遜ってそんなに重要な人だったんですかね。 諸葛亮が一巻を占領するのは納得なんですが、陸遜が諸葛亮に相当するほど呉で重要だったとは思えないです…呉書を読んでると、むしろ周瑜か張昭のが重要に思えます。 なんか魏との戦いで、セコイ戦法や逃げ足の早さばかり目立つのは気のせい??
336: 2002/10/21(月) 23:09 ぐっこ 2002年05月22日水曜日 00時32分 「Σ( ̄□ ̄;)!! なんという神をも恐れぬ発言を!>ジークさま うー、今すぐに説明したいですけど、ごめんなさい、また眠たくて眠たくて…さっきからたまに意識が… とりあえずどなたか、陸遜の凄いところを世露死苦… 私的には、必要最小限の勝利を繰り返すあたりに、周瑜ら以上に完成された用兵の美学を見ますが…
337: 2002/10/21(月) 23:10 中根東竜 2002年05月22日水曜日 17時30分 >クェンさん >陸遜ってそんなに重要な人だったんですかね。 陸遜の重要さは2つの点から論証できます。 1,重要地点・荊州を長年不満もなく統治 2,あっさり勝って負けたことがない まず1について説明します。 『読史方輿紀要』という本があります。これは 中国全土の地理と、戦争史をまとめ、地勢とどこでどう戦ったら有利かという情報を書いたものです。この中で 荊州は、「三国時代以来、常に天下の軍事的重要地」とされています。 何故こんなことが言われるかぼく流に考えてみると、荊州は戦争が上手いだけで押さえられる地域ではなく、勢力が入り組んでいて南部には 異民族がおり、折衝が出来る人でないとつとまらないからです。 実際、何時の時代にも統治者には皇帝クラスの有力者が任命されています。そうでないとすぐに反乱が起きたり攻められたりする。 そういう重要な土地を任されていた人が、重要でないということはあり得ないです。 そして2について。 どうも武将の評価をするときに、派手に勝った人が凄くて 地味に勝っていく人が冴えないような感じで書かれることがおお いんですけど、『孫子』にいわせると逆なのだそうです。 派手に勝つのは良いものではなく、損傷少なく・あっさりと・ 確実に勝つのが真の名将である、と。 陸遜の戦いぶりを見ていると、他の武将のような派手さは ありません。極めて慎重で、勝つときは軽々と勝つ。 ぐっこさんが既に「必要最小限の勝利」っておっしゃってますけど、 そういうことなんですね。なぜなら戦争は常に損傷を伴い、 下手に派手にやると国家の存亡の危機を招く物だからです。 ・・うーん、わかりにくい上に論旨がいまいち不安・・・
338: 2002/10/21(月) 23:10 玉川雄一 2002年05月22日水曜日 21時20分 あー、中根さんのフォローが。 私もトータルで言えば陸遜は重要人物だったと思います。 荊州方面の総督として軍・政両面に渡って統括した実績は評価されてしかるべき。 また、呉の実状からいって陸遜のスタンスはベストだったと思われます。 ぶっちゃけた話、魏に無謀な軍事行動をしかけて消耗するより、均衡を保ったことの方が難しかったのでは? 張昭の役回りは別でしょうが、周瑜が生きながらえていれば陸遜のようなポジションに付いたのでしょうか。
339: 2002/10/21(月) 23:10 ぐっこ 2002年05月23日木曜日 01時27分 いきなり誤爆ごめんなさい(;^_^A ジーク様→クェン様 そうですね〜! 中根様や玉川様の仰るとおり、陸遜は東呉に欠くべからざる人物だと思います。 ただクェン様が言わんとすることも何となく分かります。 演義から来る印象もそうですが、東呉の軍師リレーって、代が変わる事に人物が小粒になってゆく印象が拭えないんですよね…。 ついでに言えば、その権限は複数の大官に分割されていて、諸葛亮のような「万能の宰相」という手腕をふるう機会が少なかったんですよね… >周瑜が生きていたら… 陸遜のようなポジションが私も理想的だと思いますが、ちょうど天下二分の計の真っ最中でしたから、遠く益州まで言っていたような気も。
340: 2002/10/21(月) 23:11 クェン 2002年05月23日木曜日 23時40分 私が疑問に思ってたことは・・・諸葛亮が蜀に無くてはならない人物であり、皇帝に匹敵するほどの重要人物だったから、彼の伝が皇帝と同じように一巻を占拠するのはよ〜く分かる。一方、陸遜はたしかに重要人物だが、一巻を占拠するほど(≒皇帝クラスの扱いを受けるほど)重要人物だったのか??・・・ということです。 で、中根様のおかげで疑問が解けました。ありがとうございます。 特に、 >実際、何時の時代にも統治者には皇帝クラスの有力者が任命されています。そうでないとすぐに反乱が起きたり攻められたりする。 ↑この部分ですごく納得しました。 やはり陸遜も皇帝クラスの有力者だったんですね。 やっぱ疑問に思ったことを人に聞くといいことありますねえ。 >ぶっちゃけた話、魏に無謀な軍事行動をしかけて消耗するより、均衡を保ったことの方が難しかったのでは? つまり諸葛亮よりも陸遜のが難しいことをやってのけた、ということでしょうか。けど孫権が陸遜の努力を無駄にしてますね(無謀な軍事行動をして)…。 >演義から来る印象もそうですが、東呉の軍師リレーって、代が変わる事に人物が小粒になってゆく印象が拭えないんですよね…。 そうなんですよね…特に天下を取ってやろう!!という気概が周瑜&魯粛→呂蒙→陸遜と徐々に小さくなってますから…まあそれぞれの「立場」や「当時の状勢」というのもあるんでしょうけど。
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