三国雑談スレ ◆奥の方のテーブル◆
162:2002/11/02(土) 13:02AAS

中根東竜 2002年03月26日火曜日 01時18分

お久しぶりです、何か委員会、拝読しました〜。
相も変わらず濃いですね〜。読みふけってしまいました。
まあ、スレが沈んでしまった後に追跡調査してたことを
折角コーナーも出来たことですし、書いておきます〜。

1,趙氏の系図について

趙氏に関しては最近中国で専門の書が出ました。
神保町を例の如くふらついていてハケーンしたのですが、
余りにも内容が濃すぎて何ともまだ読み切れていません。
この本は姓氏の歴史の叢書の一冊で、特に神話関係に詳しいです。
また、この書では趙佗ー趙雲同族説は採っていませんでした・・
(言及なし)

2,瑯邪の王氏はコーエーゲーに既に登場

『三國志3』に、王祥・王覧の父、王基が登場しています。
3ではお気に入りでよく使っていました。しかしその後の
シリーズには出てませんなぁ。なお、ぐっこさんが
王羲之は書の正流なのか、とおっしゃられてましたが、
まあ規範と言っていいと思います。みな書をやる人は
一度は王羲之の書を通過しないといけないみたいな
感じですかね。なお、王氏はみな書に堪能であり、
趙宋の『淳化閣帖』という名筆を集めた本に
多数の王氏出身書家たちの書がみられます。

3,陶侃と陶潜の関係は正式には不明?

最近、故・李長之氏の陶淵明(陶潜)に関する
史伝『陶淵明』(筑摩書店)を読んでいたら、
陶侃に関してかなり長く書かれていました。
で、この本によると陶侃ー陶潜の関係は
「陶潜が書き残した陶侃に関する記録を巡って
学会で論争されており、直系なのか単なる親戚か
分かっていない」ということのようです。
まあこの件では『晉書』はシロですね。

正直、この本を読むと陶侃にしろ陶淵明にしても
謎の多い人物であることが身にしみて分かります。
まあ、彼らは変な邪推を受ければ命が危ない
時代に生きているので、必然的に筆が曖昧になるようです。

後の世から忠誠を謡われる陶侃にしても謀反をたくらんだようです。
事実、李氏が指摘するとおり陶侃は晋の王室が反乱で危機に
陥ってもまともに兵を出そうともしておらず、
(一度は出したがすぐに帰ってきてしまっている)
説客・温矯(刺史奮迅の温恢の子孫ですな)の説得で
ようやく重い腰を上げています。
この人も色々あるみたいですねぇ・・
1-AA