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三国雑談スレ ◆奥の方のテーブル◆
244:左平(仮名) 2003/09/23(火) 21:44 しばらく気になっている事が一つ。 まがいなりにも小説らしきものを書いた者としては気になっているのですが…「三国志小説のコ−ナ−」は改装中となってますけど、改装後の姿っていったいどうなるのですか? あの後も二、三作品は出てますし…。
245:★ぐっこ 2003/09/23(火) 22:37 (゚∀゚) すみません完全に忘れておりました。 いや、蒼天辞典とかもそうですけど、そういえば「改装中」でしたねえ(^_^;) まあ、小説の場合、左平(仮名)様の「牛氏」は連載を掲示板で行ってますから、 その終了後html化するとして、蒼天辞典がなあ…。いっそ人物事典路線をやめて ホントに蒼天用語辞典みたいな形にしようとも思ったのですが… 私も小説書きたいんですけどねえ、南蛮王の外伝みたいなのを宮城谷風とか 司馬遼風とか作品ごとに文体書き分けてみて(昔凄い練習しました、コレ)。 どちらにしても完全正史準拠の小説ってのがなかなか集まりませんねえ… 演義のSSは余所でもいっぱい扱ってるから、ウチではやりたくないですし。
246:左平(仮名) 2003/10/15(水) 00:14 「牛氏」、現在五十回を書いてるところで、ようやく牛金誕生かというところなのですが… 一つ確認しておきたい事が発生しました。 「鈞台(きんだい)」について調べたいのです。夏の啓王が鈞台で諸后をもてなしたという故事があるそうなのですが、何に載っているのかが分かりません。 宮城谷氏の複数の作品にこの事が触れられていますので、何かに記載があるはずなのです。しかし、中央研究院のサイトで二時間見ましたが見当がつきません。 どなたかご存知の方がおられたらご教示願います。
247:名無し 2003/10/15(水) 23:39 鈞臺で検索すれば出ますYO>中央研究院
248:左平(仮名) 2003/10/15(水) 23:57 ありました−っ!! 春秋左氏伝(昭公・伝四年)、竹書紀年(巻上・帝啓)に。 左氏伝:夏啓有鈞臺之享。 商湯有景亳之命。周武有孟津之誓。 竹書紀年:元年癸亥,帝即位于夏邑。大饗諸侯于鈞臺。 これで納得して書けます。名無しさん、ありがとうございました! いや−っ、繁字体だったとは…そういえば、台湾は繁字体でしたね。 なるほど、なるほど。
249:左平(仮名) 2003/10/26(日) 23:38 それにしても、ここのところ\withPKで抜擢武将つくりにはまりこんでいて、「牛氏」が進みません。 ネタの余裕が、もう二、三回分程度しかないので、このままでは週一ぺ−スが危ういです。
250:★ぐっこ 2003/10/28(火) 00:24 >繁字体 あー。ちょくちょくありますねえ、検索の時に。前も応劭を應劭と 検索したらバカスカヒットしたことありますねえ… >IXPK …あっ!忘れてた!いかん、一つのことに熱中したら、完全に忘れるんですねえ…(^_^;) さて、Xを待つか、潔く南蛮王を再開するか… >牛氏 うい。ここまでの長期連載となると、義務感に囚われたら負けです! のんびりと書きたいときに書かれるよろし。
251:★玉川雄一 2004/01/11(日) 23:37 何の脈絡もなくふと思ったんですけど。 呂布の賜った「温侯」の“温”って、司馬懿とかの本籍である河内郡の温のことなんでしょうか。 こういう爵位名って、基本的に『封地+爵位』って解釈でいいんですよね? 名目だけで実際には支配領有してないとか色々あるのでしょうが、 意外な因縁…かも?
252: 左平(仮名) 2004/01/12(月) 00:43 温というと、春秋時代には趙氏の、戦国時代には魏の領地だったでしょうか。 となると、この地には趙氏、魏氏の子孫と自称する人々も多かったでしょうね。 呂布との関連となると「?」ですが、何らかの縁があって、となればまた面白いですね。 曲者なのは「○亭侯」とかでしょうね。「○亭」侯なのか「○」亭侯なのか、と。 「演義」で関羽が任ぜられたのは「漢寿亭侯」だったかと思いますが、これも「漢『寿亭』侯」・ 「漢『寿』亭侯」・「『漢寿』亭侯」・「『漢寿亭』侯」という様にいろいろ取りようがありますもんね。
253:japan 2004/01/12(月) 22:00 >曲者なのは「○亭侯」とかでしょうね。「○亭」侯なのか「○」亭侯なのか、と。 「魏書」巻十三に立伝されている三人の爵位の変遷を調べたところ、 以下のようになっていました。 ・鍾ヨウ 献帝が長安を脱出して曹操の元に辿り着いた頃、 それまでの功績により東武亭侯にとりたてられた。 ↓ 魏文帝が禅譲を受けた際、崇高郷侯に「爵位があがった」。 ↓ 廷尉から太尉に昇進するに伴い、平陽郷侯に「領土がえされた」。 ↓ 明帝が位に就くと、定陵侯に「爵位があが」った。 ・華キン 文帝が王位に就くと、安楽郷侯に封じられた。 ↓ 明帝が即位すると、「昇進して」博平侯に封じられた。 ・王朗 文帝が王位に就くと、安陵亭侯に封じられた。 ↓ 文帝が帝位に就くと、楽平郷侯に「昇進した」。 ↓ 明帝が即位すると蘭陵侯に「昇進し」た。 ※「」内はちくま学芸文庫ママ これを見ると、○○侯>○○郷侯>○○亭侯という序列が存在するようです。 関羽が漢寿亭侯に封じられたのは、一介の客将に過ぎない彼を 県侯や郷侯に封じることは不可能だったのか、 或いは当時の曹操の権限では、亭侯までしか上奏することができなかったのか…? という訳で、「漢寿亭侯」は「『漢』の『寿亭』侯」ではなく、 「『漢寿』亭侯」ではないかと思います。(高島先生の受け売りですが…^^;) ちなみに「斉王紀」の裴注に収録されている斉王芳弾劾の上奏文には、 定陵侯鍾イク・博平侯華表・蘭陵侯王粛の名前が記されています。 こういうのを見ると「ちゃんと爵位が世襲されているんだな〜」と感心したり、 魏建国の功臣達の子孫が、ほんの数十年後にはそろって司馬氏に 追従していることに悲しくなってみたり……
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