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三国雑談スレ ◆奥の方のテーブル◆
262:★玉川雄一 2004/02/03(火) 00:19 >河西鮮卑動乱 もう魏じゃねェ、晋ですがな。 胡烈、楊欣、牽弘と州刺史クラスを次々に喪い、 司馬駿、文淑、馬隆らの奮戦でようやく鎮定した一大戦争。 討呉開始を遅らせる要因ともなった重要なファクターにもっと注目しる! ……まァ、私もそんなに詳しくはないのですが(-_-;)
263:★ぐっこ 2004/02/03(火) 01:36 >>260 Σ( ̄□ ̄;)!! 電車の中やん! うー、再放送ビデオ録るか… ご覧になった方、どんなもんでしたでしょ? 北方謙三か…。「ふざけるな悩む前にソープに行って来い小僧ども」が印象に 残ってるんですが。(↑一理ある) ハードボイルドな北方三国志世界を、さらに 広げるのかしらん? >>261-262 Σ(;´Д`) また!? 教官とばしてるなあ…。ずっと前掲示板でニセクロ様に コンタクト取ってた宝島絡みの企画、ってのはコレの執筆だったのかな? にしても河西の鮮卑との泥沼の戦、これはレアな。晋にとっての外敵は、呉だけ じゃなかったのね…。異民族がイヤでも戦略を左右する「IX」ともなれば、確かに ふれてくるでしょうねえ。買おうかな…
264:★玉川雄一 2004/02/03(火) 01:48 >>261 ごめん、立ち読み程度で軽々しく内容を判断しちゃいかんですな。 取り上げられている範囲に関しては、それなりに掘り下げていたみたいです。 じっくり読んでみて損はないかも。つうかもう一回きちんと見てみます。 ……いっそ買おうかな(^_^;) >三國志IX武将ファイル 河西鮮卑動乱については1ページのそのまた小さな囲み内で最小限触れられている程度ですが、 このファクターに注目したという点そのもので評価できます。 それ以外にもなかなか読み応えありますよ。単なるゲームのデータ集じゃあない。 人物によっては扱いがちとアレですが。田豫とか(つДT)
265:惟新 2004/02/04(水) 21:22 >NHK人間講座 いやー北方節バリバリでした。 氏の小説観、三国志観を熱く語っておられましたよ。 演目の通り「正史」と「演義」を引き合いに出しつつ 自分が三国志を書こうと思った理由、作家として見出したその魅力… と、まぁ何処かのインタビューで聞いた覚えのある話でしたが(^_^;) 妙に芝居がかったナレーションはちと気になりましたが、 「そのとき歴史〜」に比べれば私は好感が持てました。 次回は「男と男が出会うとき」。 劉備、関羽、張飛について語るみたいですよー。
266:★ぐっこ 2004/02/06(金) 00:14 >>264 本屋で探す時間無かった…。私もみたいものよ… あと、武将ファイル、全作ずらりと並ぶと壮観ですが、どれもこれも、結構 書いてあることは「三オタ納得」のモノが多いので手放せず…。IXもイイもの ですか… >>265 やや、北方節バリバリ!? それは是非とも録画せねば… 演義と正史の比較論とかを、氏がされてるのですかにゃ? それか北方三国志世界を「いいからソープに逝け」という具合に 解説してるのか… 次回もまた、濃ゆそう…
267:★玉川雄一 2004/02/17(火) 00:22 ゴメン、宝島の三国志本2、侮ってた私が悪かった。 正史に準拠して、折々に演義のエピソードも交えながらキーポイントとなる「戦争」を 解説してます。戦術レベルというより、戦略レベルに重きを置いてるっぽい。 (少なくとも私には)斬新な切り口があったりして読み応えがありそう。 まだ官渡の前ぐらいまでしか読んでないのですが、 南陽にいた袁術が曹操にちょっかいを出して完敗を繰り返し、寿春に逃れたという 192〜3年の一連のキャンペーンなんか目からウロコでしたわ。 袁術ってどうしていつの間にか寿春に移ってたんだろうとずっと不思議に思っていたんですけど。 案外とマクロ視点から見ているので、各時期の情勢とかも掴みやすいかも。
268:★ぐっこ 2004/02/17(火) 00:27 あー! どっちも忘れてた_| ̄|○ 北方…っ! そして別冊宝島…っ! まあ別冊の方は本屋に行けば あるか(^_^;) ほほゥ、なかなか読み応えあるですか!? 大澤教官ガンガレ! 戦略orマクロレベル… ニセクロさまあたりの考察が真っ先に浮かびますが、戦争ったって将軍が 突進したら始まるモノで無し、色々な情勢が搦んで推移するんですやね… いっぺん通しでそういう三国志考察を読みたい年頃ですし、今度こそゲト。
269:左平(仮名) 2004/02/28(土) 17:54 さて、いつもの様に新聞を開いてみると… 伴野朗氏の訃報が書かれてました(我が家では3紙とってるのですが、うち中国・日経に載ってました)。 今日の訃報については、網野善彦氏のそれが大きいので全くといっていいほど目立ってませんでしたけど。 略歴については、朝日新聞社在籍時に小説を発表してたという事でそのタイトルも書かれてましたが… それはそうとして、まさか、あの「呉・三国志」が最後って事はないでしょうね。 もしそうだとすると、不評なところがあったのも、病のせいで筆が弱っていた?という気が。
270:★玉川雄一 2004/03/01(月) 21:25 ところで、郭淮の一族ってけっこういろんな名家と縁戚関係にあったと思うんですけど、 どんなカンジでしたっけ? 自分でも確認してみますが、ご存じの方援護射撃おながいします
271:★玉川雄一 2004/03/01(月) 23:25 ↑なんですが。郭淮伝の註を読んだ記憶があったんですわ。 ●郭淮の妻は王凌の妹 ●郭淮の弟・郭配の女婿に裴秀・賈充 ●郭配の次子・郭予の女婿に王衍 こんなところかしら。 ところで、徳間の『三国志人名事典』に「郭予は郭淮の弟」ってあるのおかしくないですかね。 ちくま和訳の記述から見ると 郭淮の弟が郭配→その子の郭展→“次弟の”郭予→“郭配の弟の”郭鎮 で、郭予は郭展の弟ですよね。字を見ても「泰舒」と「泰寧」の組になるわけですし。 もっとも、原文で読むと親子兄弟の順番が分かりづらかったり紛らわしかったりすることは しょっちゅうあるわけですが。
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